亡き母に持たせたかったiPad

AppleiPadの日本での発売が、当初の4月末の予定から1ヶ月ほど延期になって、肩すかしの気持ちになった人は私を含め私の周囲にも大変多い。これを機会に多少冷静になって、少し頭を冷やして考え直してみよう、などとは全く思えず、渇きに似た気持ちがじわじわとこみ上げてくる。こんな気持ちになるのは本当に久しぶりだ。もっとも、昔はしょっちゅうこんな感情の虜になったものだ。すごく欲しいと思うものが沢山あった。自動車なんていうのは最たるもので、ステレオが欲しい、ビデオが欲しいと次から次に欲しいものが出て来たように思う。最近では、一通り必要なものが揃ったということもあるが、ここまで欲しいと思うものが無くなっていた、ということを思い出させてもらった感じだ。


米国ではすでに発売されているから、気の早い人は米国まで出かけて買って、日本に持ち帰って誇らしげに見せびらかしている。発売延期で1ヶ月も余計に待たされる私達とは逆に、彼らは1ヶ月も余計に見せびらかすことができるわけだ。なんと運の良い人達だろう。だが、そういう人達のおかげで、私自身、すでに2度iPadをさわる機会に恵まれた。


何とも、怪しいまでの魅力で輝いている。これは本当にすごい。誰かが『一度さわると買わずにはいられなくなる』と言っていたが、心底腑に落ちる気がした。スペックを並べて既存のネットブック等と比較してみただけでは、この魅力は伝わってこないだろう。(実際、カタログスペックを見ただけで、欲しくないとの感想を述べている人もすごく多い。)だが、実際にさわってみると、何がすごいのかすぐにわかる。(但し、感性で、だ。)私の印象では、女性のほうがこの感覚を敏感に受取っているように思う。ここまで『感情』『感性』に強く訴求するものは過去にあまり記憶がない。どうすればこれほどの仕掛けができるものなのか。一消費者としては、ただただ感嘆し、ビジネスに関わるものとしては、圧倒されて打ちのめされた思いだ。


だが、このiPadを手にして、もう一つ忘れることのできない記憶が甦って来た。亡き母親の思い出である。



私の母は2006年の春に肝臓ガンで亡くなったのだが、その10年くらい前からC型肝炎に罹り、だんだん悪化して肝硬変になり、最後には肝臓ガンになってしまった。肝臓の病気というのは本当に大変で、少し動いただけで疲労で体が動かなくなる。動作もスローモーにならざるをえず、いつも辛そうだった。しかも、晩年は耳が遠くなり、目も悪かった。こんな状態になった母親を田舎において東京で仕事をする自分も、やむなしと自分にいい聞かせながらも、何時も後ろ髪を引かれ、胸にしこりを感じるような日々が続いた。


母はしきりに私に電話をすることを求め、時にこちらの様子がわかる写真を送るように手紙で書いて来た。ところが、時々電話をかけてみると、耳はますます悪くなって会話がなかなか成立しない。コミュニケーションがうまくいかずに、電話の向こうでがっかりする母の様子は痛い程切実に伝わってくる。かといって、写真同封の手紙を書き送ろうにも、あまりの忙しさに中々思うにまかせない。


そんなある夏のこと、帰省すると母がauの携帯電話を持っている。どうやら若者なら誰でも持っているこの携帯電話というものがあれば、気軽にメールのやり取りができる、ということを田舎に住む私の従兄弟から聞いたらしい。耳が悪くて電話はだめだが、これなら私とコミュニケーションが出来ると思ったのだろう。しかも、写真もやりとりできるらしい、というわけだ。そして、私に使い方を教えろというのである。早速私はそのauの携帯電話を片手に、もう一方の手で分厚いマニュアルをくくって、使い方を解読し始めた。


ところが、何と難しいことだろう。当時私はドコモの携帯電話を使っていて、もちろん携帯でのメールも利用していた。ところが、いざ他の機種の体系を把握しようとすると、これがものすごく大変なのである。それでも何とか解読して、母に説明しようとするのだが、これがまた難行苦行そのものだ。簡単な絵入りのメモを作って必死に説明したが、結局埒があかなかった。母も随分長い時間携帯電話と格闘していたが、最後にはあきらめた。その心底がっかりして寂しそうな姿は今でもはっきりと思い出せる。そして、思い出すたびに胸が痛む。携帯電話ではなく、パソコンを買ってやれば良かった? もちろんそれも考えた。だが、それは携帯電話以上にハードルが高いことがすぐにわかった。そもそも母はマウスの『ダブルクリック』ができなかった。どうしても、『シングルクリック』×2回になってしまうのだ。『デジタルデバイド』という言葉がこれほど悲しい響きを持っているとはそれまで考えたこともなかった。


だけど、もしiPadがあったら・・。これなら、きっと母でも使えただろうと思わずにはいられない。一番やりたかったメールも、文字の変換が覚えられなければ、手書き文字で書いて送る方法を教えておけばOKだ。こちらから送ったメールも、携帯電話の小さな画面に目をしかめる必要もない。字が小さければ好きなだけ大きくすればいい。写真など簡単に送ることができる。そして、iPadの美しい画面で見せることができる。母は鳥や動物が好きだった。葬儀の時にお棺に鳥類図鑑を入れたほどだ。そのような美しい鳥の写真も今ならいくらでも集めて保管しておくことができる。iPadの機能を自分で確かめながら、この機能は、あの母でも使えた。この機能もそうだ。きっとこっちの機能も・・。そう思いながらずっと母の姿を回想していた。



あの夏からおよそ1年半くらい後に母は永眠した。仮にiPadがあっても、たかが1年半、ということだったのかもしれない。だが、そんな物理的時間の長短などどうでもいい。もしかしたら体験させてやれたであろう瞬間瞬間は、きっと死出の旅立ちにも持って行ける貴重な思い出になったことだろう。


後1ヶ月半ほど経てば、iPadは日本でも売られているだろう。私には永遠に実現できなかったその瞬間を、もしかするとどこかの家族が共有し、共感することができるかもしれない。いや、あのiPadなら必ずできる。そう思えばこそ、一日も早く日本でも販売を始めて欲しいと心から願う。