日本に活力は必ず戻る/RTCカンファレンスの場で考えていたこと

RTCカンファレンス


約1年ぶりに開催されたRTCカンファレンスに出て、お話を聞いて来た。http://realtimecontext.com/modules/eguide/event.php?eid=35


開催概要は下記の通り。


○テーマ: 『日本活性化の鍵 -大企業×ベンチャー
○日時:  2010年3月24日(水)19:30-21:30(19:15受付)
○場所:  T'S 渋谷アジアビル5階
○司会:  保田隆明氏、上原仁
○ゲスト: 楠見敦美氏、南壮一郎氏


今回のテーマは、現在日本ではほとんど途絶えてしまったかに見える、ベンチャー企業によるIPOにこぎつけた起業家を招いて、成功するベンチャー像、日本のビジネス活性化について議論する、というもの。当日は、『ダダ漏れ』ですっかり有名になった、そらのさんのUstreamによる中継もあった。



あまりの惨状ぶり


リーマンショック後の日本は、経済活動全般に停滞感が非常に強く、起業が活発になる気配はまったくない。活気のある中国やインド等と比較すると、明らかに勢いに違いがあることがわかる。カンファレンスの導引部では、その現状をより具体的に把握するために、Global Entrepreneurship Monitor 2009 Reportからデータが抜粋され、説明があった。そのいくつかをピックアップすると、こんな感じだ。(日本の順位)

 

 ビジネスチャンスがあるか        : 最下位
 起業能力があるか            : 最下位
 失敗への恐怖心             : 1位
 起業はキャリア選択肢として評価されるか : 最下位
 成功した起業家の社会的ステータス    : ケツ2


何とも、目を覆いたくなるような惨状だ。現在の不況は一過性のものではなく、日本が構造的問題を抱えていることをはっきり現している



南氏に対する反発


そこで、打開のヒントを見つけるために、ということで、ゲストが登場する。ただ、このゲストの話の内容以上に、話を聞いた後の会場の反応が面白かった。特に年収1,000万円以上の転職市場に限定した日本初の個人課金型の転職サイト「ビズリーチ」を立ち上げた南壮一郎氏のお話があった後の会場の反応は非常に興味深かった。司会のマイネット・ジャパン社長の上原氏初め、会場からも、Twitterによる投稿さえも、『何か違う』『好きになれない』『ピンと来ない』というたぐいのネガティブな反応が連発する。南氏は目的意識が非常にはっきりしており、目の輝きも同世代の普通の日本の青年とは全く違っている。お話も実にダイナミックだ。『好きになれない』などというのは、どう見ても失礼な話だし、どうしてそんな反応ばかりなのか、もう一人の司会の保田氏は当惑してしまっていたが、それももっともではある。だが、正直なところ、私も違和感を強く感じた。嫉妬心? まあ、それもあるかもしれないが、おそらくそれだけではない。そして、この反応にこそ、今の日本が抱えている問題が象徴的に現れている。会場に参加した人達のぬぐい去る事の出来ない停滞感の正体がそこにある。


南氏の紹介された経歴は以下の通りである。

モルガン・スタンレー証券M&Aグループ)、香港・PCCWグループの日本支社の立ち上げおよび投資担当を経て2003年に株式会社S-1ス ポーツを設立し、日米のスポーツ関連企業に対し、戦略コンサルティング業務を行う。2004年、新球団設立に興味を持ち、楽天の三木谷氏に直談判し、楽天 イーグルスの創業メンバーとなり、GM補佐、ファン・エンターテイメント部長、パリーグ共同事業会社設立担当などを歴任。2009年に株式会社ビズリーチ を起業し代表取締役に就任し、年収1000万円以上の転職市場に限定した日本初の個人課金型の転職サイト「ビズリーチ」をリリースする。その他、ジュビロ 磐田のアドバイザー、慶應義塾大学大学院の講師も務める。


帰国子女で、カナダの大学卒というお話だった。現在の会社を立ち上げる前に、世界中を旅して学生時代の友人に会うと、皆自分の(仕事の)夢を語り、目が輝いていて、それに触発されたという。起業までの職歴も、所謂日本の大学を出て『就社』して終身雇用を余儀なくされ、そのレールをはずれるとキャリアを取り戻すことは難しく、社会的な評価も著しく落ちてしまうような典型的な日本のキャリアコースとはまったく違う。日本でもごく一部のエリートに許された米国タイプのキャリアだ。正社員にもなれずキャリア形成どころではない若い日本人とはまったく住む世界が違う。司会の上原氏の一言が非常に印象的に私の耳に残った。曰く『エコシステムが違う』。自分たちとは関係ない違う世界のことに見えた人が多かったと思う。そして、大抵の人はこう感じたはずだ。『起業ってやっぱりものすごく難しいことで、自分たちにはとても無理だ。』



日本の停滞の原因


人事コンサルタント城繁幸氏や、著名ブロガーの池田信夫氏はじめ、最近では幾人かの有識者が指摘するように、今の日本の労働市場はさすがに異常だ。日本企業の多くが耐用年数切れを起こして、かなり大掛かりな再構築が必須なのは誰が見ても明らかだ。そんな中で、あまり好きな言い方ではないが、『ゾンビ企業』としか言いようのない企業が多くなっているのも隠しようのない事実だ。歴史的な使命を終えた業種や会社にいる優秀な人材を、将来的に有望で伸ばして行くべき業種にシフトしていくことがどうしても必要で、行政のサポートもそれを最優先で進めなければ日本全体が沈んでしまうことも、わかりきっている。だが、現実はまったくそういう方向には向かってはいない。真逆と言ってもいいくらいだ。正社員の雇用は固く守られ、労働市場に新規参入する若年層にそのしわ寄せが及び、非正規雇用比率がどんどん上がっている。正社員から転落すると、同等の条件の雇用を得ることは非常に難しく、社会的評価もガタ落ちだ。確かに、日本でも再雇用市場は広がって来たことは事実だが、『大卒男子で勤続年数が長いこと』が一番有利で社会的な評価も高いという実態は基本的には変わらない。それどころか、不況のため、正社員のレールから転落することがますます恐ろしい事になりつつあるようにさえ見える。連合も正社員だけを相手にしてきた。レールから転落したら二度と戻ることはできず、誰も守ってくれない。しかも、最近では若年層はそのレールに乗ることもできない。そんな中でオンレールとオフレールの待遇の格差は開くばかりなのだから救いがない。



起業に成功しても・・


そんな日本企業社会では、ベンチャー起業に成功したからといって、必ずしも社会的評価が高くなるわけではないそういうタイプの成功をした人は、『日本企業村』からは好奇の目で見られはするが、必ずしも尊敬されるわけではない。少なくとも、自分たちの共同体からは離脱した別人種の扱いを受ける。本人がどう考えようと、親兄弟、親族は精神的にはそういう共同体に自分を位置づける人がまだ大半のはずだ。基本的には『いい大学を出てよい企業に入って出世した人』を本音のところ今でも一番高く評価していて、自分の子息がその共同体から出ることを喜ばない。つまり、経済的に成功しても、自分の親族が別の『村』に入ってしまう、という感覚を持つ人が多いのが従来の『大卒男子一流企業村』の所属員だ。少なくとも一定年齢以上の人を呪縛するしかけになっている。(もちろん、すでにこの空想の共同体は瓦解し始めてはいる。)


一方、米国ではベンチャー起業に成功することで社会的にも高い評価が得られる。ベンチャーキャピタル等のインフラ環境も整っている。ケースが多いから、経験談も豊富だ。しかも、大学を出てベンチャーを起こして失敗して、自分が起業よりも大企業に向いているとわかれば、MBAを取ってキャリアを途中から洗い替えをして大企業に入り直すこともできる。この日米のギャップの狭間にいて当惑する気持ちを非常に率直に述べているのが、『どんだけマッチョじゃないと起業できないんだ、日本は。』というブログ記事だ。レールから外れたら一貫の終わり。へたをすると自殺に追い込まれて人生も終わり。しかも成功しても親兄弟親族の所属する共同体からは離脱を余儀なくされる、そう感じている分別ある日本の大人たちは、ベンチャー起業を企てる若者を見ると思いとどまるように諭す。

最近はずっとアメリカにいる私が一番驚いたのは、
「たかが企業にも就職できない人が、 起業して成功する訳がない」
「本当にそんな覚悟はあるのか?」
「起業するのはいい考えだと思うけど、すごく大変だよ?」
「逃げて る気持ちでは、起業は成功しません」
という反応が全体的にかなり多いことだった。

どんだけマッチョじゃないと起業できないんだ、日本は。 - My Life After MIT Sloan


キャリアに自由度がある米国では、日本で起業する時のような覚悟が必要なわけではない、というわけだ。確かに日本では本当に清水の舞台から飛び降りるような決死の覚悟がいる。


あらためて、上記のGlobal Entrepreneurship Monitor 2009 Reportの結果をよく見て欲て欲しい。どうして日本人が一番『失敗への恐怖心が強く』、『起業がキャリア選択肢として評価されず』、『成功した起業家の社会的ステータスが低く』、結果として『起業能力のある人はほとんどおらず』、『ビジネスチャンスがあるようには見えない』、ということになるのか、ここまで書けばご理解いただけるのではないか。同時に、南氏のお話に対して司会の上原氏をはじめ会場の多くの人が違和感を感じ、やり切れない気持ちを隠し切れない表情をした理由もわかるはずだ。



大変化は起きる


城繁幸氏や、池田信夫氏が嘆くように、今の日本の惨状の原因は明らかなのだが、既得権益者が社会のマジョリティーで政治的な力も強い日本で、自ら痛みを伴う改革を断行するようなことはおきそうにない。こうしている間にも、日本企業の地盤沈下は進み、どうしようもなくなっていくように見える。では、本当に打開策はないものなのか。


私には、安心安全を守りながら改革を進める妙案などはないが、打開に通じる大変化は近いうちに起きると考えている。『大卒男子一流企業村』が遠からず維持できなくなるのは明白で、今は大崩壊に至るまでの時間を必死に稼いでいるという状態だが、その堤防が決壊する、いわばカタストロフィーが目前だと思うからだ。先頭を切るのは、ジャーナリストの佐々木俊尚氏の著作である『2011年新聞・テレビ消滅』*1に指摘されているように、大手マスコミである可能性も高そうだが、私の周辺で見渡せる、いわゆる『GoogleApple/アマゾン等によって既存ビジネスモデルを破壊されつつある業界』は、どこも同様の切迫した状況にあり、どう見てもあまり時間は残されていないと言わざるをえない。また、日本の企業文化を強さのエッセンスとして世界的に大きなプレゼンスを持っていた自動車産業も、どうやらその『エコシステム』を維持できなくなってきている。非常に頑に変化に抵抗しているように見える日本企業の多くも、実のところすでに崖っぷちを彷徨っている。



活力は戻る


だが、逆説的だが、日本に真の活力が戻るのはここから(カタストロフィーが起きてから)だろう。今日本人は元気が無くなって見えるかもしれないが、これはあまりに頑な社会構造によるところも大きいと思う。日本人の持つ潜在的な活力は、この頑な社会構造が大崩壊を起こしたところから復活すると私は確信している。今回のRTCカンファレンスの参加者の目の輝きを見ると、あらためてそう感じる。その時初めて、今回のゲストのお二人のような人もそうだし、司会のマイネットジャパンの社長、上原氏のような人達が、新たな時代のリーダーとして本当に輝いて見えるはずだ。新しい時代に生きる覚悟を決めれば、今からそれに備えてやるべきことは沢山あるはずだ。こうやってRTCカンファレンスのような場に参加することもその一つだし、インターネットによって個別企業の枠を超えて交流を拡大し、自分を生かす勉強を重ねておくこともそうだ。そして、そういうマインドを持つ事ができる人は、来るカタストロフィーを恐れる必要はなく、むしろ大チャンス到来と考えていいはずだ。幕末も、戦後も、意欲ある日本人が輝いた時代だったではないか。歴史は必ず繰り返す。私はそう信じている。

*1:

2011年新聞・テレビ消滅 (文春新書)

2011年新聞・テレビ消滅 (文春新書)