旧タイプの市場調査にご用心!


懐かしい市場調査業務


最近、マーケッティングの現場から離れているので、自分で市場調査を企画したり、その結果を分析するような実務もご無沙汰だが、昔は本当に様々な調査に関わったものだ。仕事の内容は、営業、商品企画、マーケティングと代わっても、現場を実地に観察することと並んで、市場をデータで把握することは仕事の基本中の基本だった。特に若いころは諸先輩の厳しいご指導を受けながら懸命に取組んだことを思い出す。本当に懐かしい。


大きな組織にいると、ちょっとしたことでも必ず客観的にデータで語る事が求められるため、適切なデータを集め、分析することは早い段階で徹底的に鍛えられる。しかも、そこではデータで語りデータで理解し合うことを共通の前提とする場が出来上がっているため、一旦その『共通言語』が理解できるようになると、相互のコミュニケーションは円滑に進むようになるし、何より短時間で市場で起きている複雑な状況もかなり深く理解することができるようになる。



目利きの存在が不可欠


もっとも、この市場調査やデータ分析を適切に行い、商品企画やマーケティングに生かして行くことは、そう簡単なことではない。非常に上手に設計された調査でも、それを使う側に理解力とスキルがないと、正反対の結果を導きだす事も珍しい事ではない


自分自身このことを身にしみて感じるようになるのは、小さな組織、あるいは、技術者等が中心で、マーケティングがあまり根付いていない組織の内側を経験するようになってからだ。どんな会社や組織でも、客観的なデータで自らの仮説を裏打ちできれば、その組織なりに周囲は説得できるから、何か販売したり商品を企画しようということになると、様々な市場調査を目にすることになる。ところが、大抵はセオリーを全く無視した設計、統計的に有為とは言えないサンプリング、強引な解釈が横行し、それを聞く側にも問題を見抜く力量がないから、簡単にだまされる。こうなると、なまじ『客観性』の後光を帯びているだけに始末が悪い。どう見ても売れるはずのない商品が、いつのまにか売れることになってしまっていたりする。そして、過大な企画台数を設定して、巨額の広告宣伝費や販売促進費をかけて大失敗する。だが、こんなことは、ある程度の経験者がいれば、その調査のプレゼンを聞いただけで、簡単に見抜けることだったりする。やれやれ、である。


しかも、これも、もはや牧歌的な昭和の光景というべきかもしれない。今や、旧来のアンケートやサンプル調査方式では、市場やユーザーを把握することが、構造的に難しくなってしまっている。それはどういうことだろうか。



ユーザーも気づかない価値訴求の必要性


まず、何より、現代の市場はどの製品でもサービスでもユーザーが必要とする機能は一通り出揃って、過当競争になっているのが普通だ。基本機能では差別化できなくなってきて、それでも差別化しようとすれば、勢い感性価値、経験価値等、従来にはなかったようなポイントを価値として仕立てて訴求することが必要になる。(仮にそういう差別化ができなければ、低価格競争が起きて、市場自体の魅力がなくなってしまう。)こういう市場で、新しく欲しい機能についてユーザーに聞くことで得られることは少ない。ユーザー自身、何が欲しいかわからないからだ。従来にはなかった価値を発見するのに、旧来のアンケート方式はまず役に立たない。



製品を市場に出してユーザーに聞く


こういう状況が普通になってしまったこともあって、ソフトウエアやWebサービス等では、事前の作りコミに時間をかけ過ぎず、市場に出してその評価を直接ユーザーに聞きながら修正していくというあり方が主流になってきているわけだ。もちろん、発売までの準備期間が長く設備投資額の大きいハード製品はこれと完全に同列に語ることはできないが、それでも、制御部分のソフト化の進展とともに、ユーザーの要望にソフトウエアで機敏に対応するようなことが普通になってきている。これを最もスマートに実行しているのがAppleで、中でもiPhoneの場合は、パソコン経由でiTuneと繋がっていることが前提となっているため、オペレーションソフトのバージョンアップで製品購入後も使い勝手が上がって行くし、それ以上に、Apple ストアに並ぶ無数のソフトを好みに応じて取捨選択していくことで、製品(商品)価値は急速に上がって行く。しかも、ユーザーの好みに応じて無限のパターンができあがり、one to oneの製品に向けて無限に進化していく。これを見てしまうと、精度の悪い市場調査を情報源として、ネットから切り離されたスタンドアローンの製品を高いお金をかけて作るようなことが、如何に無謀なことかあらためて感じてしまう。極端な話、「事前の調査を不要にすること」が成功の秘訣とさえ言える。


最近はどの業界でも好例が見られるようになって来た。例えば、アパレル業界で、ファストファッションと言われる業態があるが、これは、最新の流行を採り入れながら低価格に抑えた衣料品を、短いサイクルで世界的に大量生産・販売するという手法を取る。まさに、同種のコンセプトだ。こうして、ZARA(スペイン)、H&M(スウェーデン)、FOREVER21(アメリカ)等日本市場を席巻していることはご存知の通りだ。



カテゴリーキラーが絶えず市場構造を変えている


また、電気製品などを見ていると、最近つくづく感じるのだが、製品カテゴリーの壁がとにかく低い。私のブログでも再三述べて来たように、GoogleAppleなど、このカテゴリーの壁の破壊者、いわゆる『カテゴリーキラー』そのものだが、そういうカテゴリーキラーが闊歩していて、市場の前提が短期間にドラスティックに変わってしまうような市場における事前の市場調査は極めて難しい。購入意向価格調査なども、市場参入者と参入価格がどんどん変わって行けば、当然調査の前提条件が変わるのだから、すぐに役に立たなくなる。その変化が限られたものであれば、調査時点との比較で変化分を明確にして、再分析や再解釈することもできないことではないが、最近のGoogleAppleにかき回され続けているような市場では特に、そのような比較はほとんど無意味だ。製品の販売による収益にしか頼る事ができないメーカー等と比べて、Googleは収益構造が違うゆえに(ほとんどを広告宣伝で収益を得ている)、販売で収益をあげる必要がない。情報伝播が不完全な時代なら、そういう代替製品があることにユーザーが気がつかないで購入してくれたことも少なくなかったが、今はすべてガラス張りであることを前提とせざるをえない。原則、旧来の調査は役に立たないと考えたほうがよさそうだ。(正確には非常に限られた有効性しかない、というべきかもしれない。)



口コミの存在


iPhoneのようなネットに繋げることができない、食品やトイレタリーといった製品は、事前市場調査がまだかなり有効な領域に見えるかもしれない。しかしながら、これとて昔と同じというわけには行かない。


ある製品、例えば、化粧品の新製品を投入する際、事前にアンケートをばらまいて大量の回答を集めて市場分析をする。確かに、きちんと設計されたアンケートなら、ある程度ユーザー像やユーザーの意向は明らかになると考えられるし、『自分の欲しい新製品は?』というような問いに対しても、かなり率直でしかもメーカーが利用できる回答が返ってくる可能性はある。だが、今、実際にユーザーがそういう化粧品のような製品を買う時にはどうするだろう。かなり高い確率で、口コミ情報を利用するのではないだろうかmixiのようなSNSを利用するかもしれないし、メーリングリストのようなものを利用する人もいるだろう。今ならそれがTwitterということも大いにありそうだ。アットコスメ*1のようなサイトを利用する人も沢山いるだろう。すなわち、アンケートに答える時には、おそらくは誰にも相談せずに率直に回答したユーザーも、実際の購入にあたっては口コミというバイアスがかかり、影響を受ける。購入決定プロセスがインターネットがなかった時代とは根本的に違ってしまっている。ユーザーにアンケートで聞くより、口コミコミュニティーを分析したほうが、有効な情報が得られる可能性があるわけだ。さらには、口コミコミュニティー自体を利用して、企業が情報提供者になったり情報を収集することがあたりまえになりつつある。特に米国市場ではこれが顕著だ。



十分注意したほうがいい


もちろん、旧来の市場調査そのものが全部無効になったわけではない。市場構造を充分に理解した上であれば、旧来のタイプの調査をして分析することは今でも有効だろう。問題は、これほどの変化を織り込んで、有効な調査/分析を行うことができるマーケターが大変少なくなっていることだ。逆に、情報があふれているだけに、にわか専門家、にわかマーケターは沢山出て来ている。企業経営者、あるいは、企業幹部なら、自分の企画を通したいがために怪しげな調査を持ち出す輩には充分注意することをお勧めする。同時に、本格的な力量のあるマーケターを育てたり、周囲におくことも忘れるべきではない。