日経新聞電子版について/何を議論すべきだったのか

有料のネット媒体「日本経済新聞 電子版」の発表


2月24日、すでに事前の予想記事等でも非常に話題になっていた、新しい有料のネット媒体「日本経済新聞 電子版」(3月23日創刊)の記者発表が行われた。それに引き続いて、その電子版発表を記念する形で、日経新聞社主催(アジャイルメディア・ネットワーク協力)で、『ネット時代のメディアとジャーナリズム』と銘打ったオープンフォーラム(パネルディスカッション)が開催されたので、お話を聞きに行った。(ご報告がすごく遅れてしまった。)
2月24日(水)開催:「ネット時代のメディアとジャーナリズム」フォーラムのお知らせ|アジャイルメディア・ネットワーク(AMN)



開催概要


・タイトル:
 「ネット時代のメディアとジャーナリズム」

・日時:2月24日(水)18:30〜20:30

・会場:日経カンファレンスルーム

・パネリスト:

  小池良次氏(ITジャーナリスト)
  高広伯彦氏(スケダチ|高広伯彦事務所)
  津田大介氏(メディアジャーナリスト)
  徳力基彦氏(アジャイルメディア・ネットワーク社長)
  椿奈緒子氏(cybozu.net CEO/ブログ「椿ブログ」)
  藤代裕之氏(ジャーナリスト/ブログ「ガ島通信」)
  野村裕知氏(日本経済新聞社 デジタル編成局長)
  (司会:日本経済新聞社 編集局産業部編集委員 小柳建彦氏)
 


満員の聴衆


2009年のインターネット広告費が新聞広告費を上回ったとの電通の発表が(ある程度予想された事とはいえ)関係者に衝撃を与え、アマゾンKindleやアップルのiPad(3月発売予定)が印刷物の電子化を一気に押し進めるのでは、との観測にも切迫したリアリティが感じられるようなった2010年は、もしかすると本当に新聞社の解体が始まった年として後世に記憶されるようになるのではないか。市場にはそういう、固唾を飲んで見守るような雰囲気広がって来ている。そのせいもあってか、当日は広い会場が超満員で聴衆のほうにも熱気があった。



拡散したパネルディスカッション


ただ、パネルディスカッションについて言えば、本件についてそれなりに一家言ある人達が集められたことは確かだが、それぞれの意見が噛み合ず、拡散してしまった印象は免れない。もちろん大変興味深い意見は出て来るのだが、司会がしきりに引出そうとする『日本経済新聞 電子版』のビジネスとしての成立性予測ないし成功するための具体策については、本当に参考になる意見は必ずしも多くなかったように思う。新聞の電子メディア化については、すでに様々な議論が出尽くしており、あらためて驚くような意見が出る余地が少なくなっていることを再確認することになった気さえする。



すでに出尽くした議論


すなわち、

・既存の紙媒体を使った新聞のビジネスモデルがインターネット時代を迎えて
 老朽化してしまっていること


Web2.0時代を迎えて情報発信が既存メディアの独占物ではなくなり、
 発信が激増した結果情報の価格がデフレ化していること
 (というより無料化していること)


・テクノロジーの進化は、インターネット上の情報に検索性、携帯性、即時性、
 双方向性、ユビキタス化等の付加価値を次々と付与し続けていること
 (紙媒体の付加価値が相対的にどんどん下がっていること)


・新聞の有料インターネット化の試みは成功例がほとんどなく、唯一の成功可能性は
 他にはない専門性/独自性のある(他では読めない)記事を提供することとされ、
 ゆえに日本では日経新聞にはその専門性を活かせば一定規模の成功を実現できる
 可能性はある、という意見も少なくないこと(もちろん反対意見も多い)


・但し、価格、収益等は未知数。ただ、少なくとも現状の企業規模や体制を
 そのまま維持できる可能性は低いと考えられること


多少の相違はあれ、大方このくらいの意見の幅に収まってしまう。今回のパネルディスカッションもその例外とは言えない。



今回特徴的なトピック


但し、従来からある議論の枠を多少超えたトピックもまったくないわけではない。
一つは、今回提示された『非常に高価な価格設定の是非』、もう一つは、『日本のビジネスマンのスタンダードとしての需要の有無』である。



まだ既存モデルにとらわれている?


価格については、インターネットメディアに慣れた人にとっては、非現実的なほど高価という印象だろう。(日経新聞の定期購読者が月額1,000円、電子版のみの購読者は月額4,000円)ただ、逆に現在紙の新聞を購読している人(そして今後も購読を希望している人)にとってはリーズナブルかもしれない。誰が見ても、これは既存の新聞購読者をそのまま維持し、新聞販売店の神経を逆なでしないことを最優先していることがわかる。つまり、ネットによるプラスアルファーは期待しているが、既存ビジネスの枠は崩したくない、少なくとも急激な変化は避けたいと考える関係者の妥協の産物だろう。


だが、そんなに都合良く、穏やかにシフトしていくものだろうか。インターネットの事情に通じた識者の多くはそう考えてはいない。すでに広告収入は如何に日経新聞のブランドを持ってしても下落に歯止めがかからない。(07年:840億円 08年:720億円 09年:490億円)新聞の販売収入こそ09年は前年並みを維持したとは言え、今後上向く要素は何もない。他の新聞と比較して専門性の高い日経新聞が最も生残る可能性が高いことは私も認めるが、一方で新聞に限らず、インターネット上のコンテンツが軒並み価格下落(デフレ)の憂き目を見ている実態をいやになるほど見て来ていることもあって、今回提示されたようなレベルの価格が維持されるようにはどうしても思えない。それが実現するためには、どんなに優れたコンテンツ(記事)であっても、単純にそれを提供するだけではなく、さらに何らかの付加価値(お金を払う理由)を積み重ねる必要があると思う。


そういう意味では、本当に真剣に取組むなら、既存の成功モデルを自分で覆すくらいの覚悟で臨む必要がある。だが、イノベーションのジレンマ*1ではないが、それは伝統と大組織を抱えた日経新聞のような大企業にとって簡単なことではないはずだ。現に今回の提案でも、まだそこまでの切迫した緊張感は感じられない。だから、パネラーから意欲的な意見が出ても、それを取り入れることが非現実的に聞こえる。議論が具体的な方向に集約していかないのは当然とも言える。もちろん、最初に提示する価格は、出来るだけ高くしておかないと、最終的な落ち着きどころが低くなってしまうという危惧もあるだろう。だから、今の段階では他にやりようがないのかもしれない。となれば、本当の生みの苦しみはこれからだ。



ビジネスマンのスタンダード


もう一つの、日本のビジネスマンのスタンダードとしての需要のほうだが、今のところこの需要はある程度見込める可能性がある。電子版にも、従来の紙の新聞に使われている表題文字をそのまま踏襲するというが、そういうスタンダード/ブランドとしての日経新聞であるという関係者の自負が現れている。また、『本業が忙しくて時間を節約したい人がターゲット/徳力氏』『時間の節約という合理性/津田氏』『習慣的にニュースを届けるところに価値がある/高弘氏』等、パネラーもその価値をそれなりに評価していることが伺える。確かに、私自身も大企業にいた頃には日経新聞とタイム誌は必ず読むように上司や先輩から諭された記憶がある。日経新聞の記事を読んでいないことが、如何にもビジネスの情報収集力がないことの証明のように思われてしまう時代はあったし、今もまだほとんどの日本のサラリーマンにとってはそうなのかもしれない。日本の『ビジネス階級』『ビジネスサロン』に入るためのパスポートというわけだ。時間がない時にも、日経のまとめた最低限の記事を読んでおけば取り敢えず大丈夫、というような意見も、日経の記者ならスタンダードを知っているという意識の表れだろう。


だが、これもなかなかやっかいな問題だ。そもそも今の『日本のビジネスマンのスタンダード』というのがこれからも生残って行くのだろうか。少なくとも高度成長期のような大衆は消失しつつある。失われた20年を経過して、日本の企業社会もかなり変質したことは間違いないが、私が自分のブログで繰り返し書いて来たように、本当の変化は今まさにこれから起ころうとしている。高度成長期のように大きなパイはすでに保証されていて、大きな切れ端をもらうために、『ビジネスマンの鏡』として周囲から認めてもらうことが何より大事だった時代が本当に過ぎ去ろうとしていて、誰も見つけることのできないパイを自らの力で見つけてくるしか生残る方法がなくなる世の中になりそうだ。そこでは『スタンダードな情報』より『人の知らない専門性の高い貴重な情報』のほうが価値を生むようになるはずだろう。そもそも、人にスタンダードな情報提供を頼るようなビジネスマンでは生残れないだろう。



それでも成功の可能性はある


若干悲観的な調子になったが、私はこの電子版構想に全く可能性がないと考えているわけではない。日経グループ全体で見ると、日経新聞の記事だけではなく、日経BP等の専門情報、日経テレコンのようなデータベース事業、日経TESTのような教育事業等、派生関連事業は数多い。このような多角的な要素を、日々高度に進化するテクノロジーを大胆に取り入れて、相互に連携させ、複合的な検索を可能とし、クラウドを利用してユビキタス化を実現し、ソーシャル化を進めて双方向性を高める。専門性と多様性を複合的に絡みあわせれば、競合相手の参入を阻む独自の壁を構築することが可能なはずだ。そうすれば、個別の読者の特性や要望に応じたレコメンデーションも可能だろうし、広告宣伝にも新境地が開けるはずだ。まとめて言えば次のようになるだろうか。

 ・テクノロジー重視


 ・他社が参入不能な複合価値


 ・多角的な事業を統合して使える利便性


 ・ソーシャルによる双方向性


 ・クラウドを活かしたマルチデバイス化


 ・レコメンドと効果測定のできる広告システム


けして平坦な道ではないことは確かだし、最終的に収益モデルになるかどうかは未知数だが、悲観論をはねのけて、世界に誇れるビジネスモデル構築にチャレンジする姿を是非見せて欲しいものだ。