Googleが見せる隙/『人間学』が対抗の鍵

Google Buzz


Googleの新しいソーシャル・ネットワーク・サービス(SNS)である、『Google Buzz』が日本でも2月10日より公開された。これは、Twitterに似たテキストによるつぶやきだけではなく、既存のGoogleのサービスである、Picasa(写真)、Youtube(動画)等を含めてWebメールサービスであるGmailに統合し、しかも、iPhoneAndroid等にも対応しているため、携帯端末で利用できるのみならず、位置情報を付加することができる。圧倒的な総合力を持つGoogleのサービス群の統合という意味もあり、一見スケールの大きなサービスのようにも見える。


だが、公開初日に自分自身でさわってみて、直観的に、当面あまり深入りして使うことは控えたほうがいいのでは? と感じてしまった。そして、他の人の評価が出そろうのを待つことにした。よく分析してみれば、うまく使いこなすことはできるのかもしれないが、どうも不安感や気持ち悪さが払拭できないでいた。



すでに失敗?


私の直観はどうやら他の人のそれと大方違わなかったようで、続々と不評、不安感の表明の声が上がることになる。


「Google Buzz」で本名や居場所がばれる? ネットで騒動に - ITmedia ニュース
Google Buzz の3つの問題点:なりすまし・意図せぬフォローと可視化 - akoblog@はてな


問題点を端的に言えば、本名や現在地の位置情報といったような個人情報が意図せずに公開されてしまう設定になっていることだ。この点、Googleには前科がある。Googleマップの「マイマップ」で、個人情報を登録したマイマップのデフォルトが、一般公開になっていることをユーザーが知らずに公開してしまったケースだ。驚いた事に、湯川鶴章さんのブログによれば、こうやって私がブログを書いている最中にも、gmailのコンタクトリストのユーザーが自動的に友人関係に含まれる初期設定を取り消す等の決定がなされたようだ。Google、Buzzサービスの使用中止設定も可能に=プライバシー問題の批判受け | TechWave テックウェーブ


ただでさえ、SNS全般に今でも恐れを持つ人が多く、匿名が圧倒的に多い日本人を相手に、これでは普及のしようがない。ちょうどトヨタのリコール問題が米国人のメンタリティを逆なでしてしまったことが話題になっているが、Googleは日本人のメンタリティを逆なですることが多いと言わざるを得ない。(今回はどうやら日本人だけではないようだが)これでは地域マーケティングという点でもとても合格点を上げることはできないだろう。確かにwebサービスはスピードが重要で、取り敢えず出してみてユーザーの声を聞きながら仕様等を改善していく、いわゆる『ベータ・カルチャー』があると言われるが、個人情報流出等のプライバシーに関わる領域を未完成のまま『ベータ版』でサービス・インすることを同列に語ることはできない。ユーザーのマインドに一旦強いネガティブな印象を残してしまうと、これを解消するのは容易なことではない。



Googleにソーシャル・サービスは作れない?


Googleはソーシャルが苦手なのか。ちょうどGoogle Buzz導入の直前に次のブログを読んでそのことに思いを馳せていたところだった。私自身、ストリート・ビューが日本で話題になって、日本の消費者団体等が反発した時に、釈明を行うGoogleを見て、明らかにこの種の問題解決に弱点があることを感じたものだ。鳴り物入りで日本でも導入されたGoogle Waveは、導入前から識者の間では疑問視する声が多かったが、実際に鳴かず飛ばずだ。Twitterに対抗するはずだった Jaikuも崩壊してしまった。この記事は語る。苦戦続くグーグルのソーシャルネットワーキング事業--新戦略の方向性は - CNET Japan

Googleの現役社員も元社員も、自社のエンジニアリング文化にあれほど忠実な企業が、ソーシャルネットワーキングというより広い世界に本当に適合するかどうか、疑問に思っている。月並みな考えかもしれないが、エンジニアは社会的スキルに定評があるわけではない。そしてソーシャルネットワーキング技術には、コンピュータ科学と同じくらい、社会学が関係している。

 「それが(自社のエンジニアの)DNAにないことが、Googleの課題だ」。匿名希望の元Google従業員はこのように語る。この人物はさらに、「(ソーシャルネットワーキングを)気にかけていないというのではなく、目に映ることすらない。同社の世界観はあまりに分析的で計算的なので、ソーシャルネットワーキングを見ることは不可能に近い」としている。


世界的なアルファー・ブロガーで、元マイクロソフト社員でもある、Robert Scoble氏も、Facebookの共同設立者である、Mark Zuckerberg氏のことを例に出して、Googleに欠けた要素と語る。すなわち、Mark Zuckerberg氏は、ハーバードでの専攻はコンピューター・サイエンスだが、副専攻は心理学であり、人々がどのように働き物事に熱中するか学び、人々に気軽に、直に接して、人々がなぜ何かに惹き付けられるかを知っている、という。そして、GoogleにはMark Zuckerberg氏(のような人)がいないことがGoogleSNSが上手くいかない原因の一つとする。http://scobleizer.com/2010/02/09/why-google-wont-give-twitter-or-facebook-a-buzz-cut-tomorrow/



外部人材に頼るだけでは・・


もちろん、Googleも手をこまねいているわけではない。自社に適材がいないと見るや、外部の人材をスカウトしてきて、ソーシャル部門の責任者に据えている。

Googleは、2010年にソーシャルメディアへの取り組みをリセットしようとしており、ソーシャルメディアを熱心に推進するChris Messina氏、Will Norris氏、そしてPlaxoの元幹部であるJoseph Smarr氏といった経験豊富な人材を採用して、新たな「ソーシャルウェブチーム」を率いてもらうことにした。


だが、会社の体質全体に関わる大転換が必要と考えられる問題が、外部人材を据えたくらいで何とかなるものだろうか。現に、熱心な支持者のコミュニティーがあることで有名なレビューサイト「Yelp」を買収しようしながら、失敗したケース(2009年末)では、Yelpの経営陣が最終段階で取引から手を引いたという。会社の文化というのは、こういう場合にはしばし非常にやっかいなものだ。優秀でビジョンのある社員が辞めてしまう原因にもなりがちである。



日本企業にとってはチャンス


これは、日本で、新聞や雑誌はじめGoogleの『0円サービス』に破壊されつつある業界にとっては、Googleが見せる数少ないアキレス腱として、 Googleの浸透を許さないサービス構築ができるチャンスと見るべきだろう。日本でも、Web2.0以降のインターネットは、若干の足踏み状態とは言え、それでも日を追うごとに『ソーシャル化』が進んでいる。現にネット系サービスのマネタイズの成功例は、日本独自のソーシャル化に成功したサービスが多い。mixiGreeモバゲータウンはもちろん、黒字化はまだ達成していないとは言え、日本を代表する動画サービスに成長したニコニコ動画等、皆それぞれの立場での、ソーシャル化の成功者たちだ。さらに言えば、米国ではSNSの巨人、Facebookも、今のところ日本への上陸は成功していない。いかに設立者が心理学に通じた人間観察の熟達者でも、日本人の心理までお見通しというわけにはいかないようだ。社会学、心理学、というような分野は『言語』との結びつきが非常に強い。世界のビジネスマンにとって、最も難解な言語の一つとされる日本語の壁ということもあるだろう。



日本人心理の難解さ


インターネットは、まったく知らない外部の人と信頼関係を広げて、ビジネスの拡大に結びつけて行く手段としては最適であり、いかにも米国タイプの社会向きのシステムだ。逆に、集団主義的で閉鎖的なコミュニティーに閉じこもることで、安心を得て来た日本では、外部の他人が信頼できるかどうか見極めるノウハウを蓄積してこなかった。その集団が崩壊して、新しい環境に対応すべき今となっても、日本人のマジョリティーはむしろ古き良き共同体社会で、再び安心を得たい、という意識が強くなっている印象さえある。ネット・コミュニティーに慣れているはずの若者でさえ、就職は安心できる大企業を好み、終身雇用を志向する傾向が顕著なのを見ると、簡単に『デジタル・ネイティブの時代=新しいネット社会の現出』とはいかないのではないか。こういう過渡期的な心理で凝り固まった日本人をインターネットのソーシャル・サービスに誘導して定着させることは、並大抵のことでは難しい。米国の手法をそのまま持ち込むことなど、とてもできたものではない。


それに、米国との違いという点では、意外に見過ごされがちなのが、『日本人の主語』の問題だ。ある意味古典的な言説だが、日本人の主語は、状況によって変わる。『私』『僕』『俺』『自分』『小生』『小職』『ワシ』・・・それぞれ、主語を変えると、その場における自分の相対的な位置づけは変わる。『僕』と『ボク』を使い分けただけで、そこには明確な違いがある。そんな日本人は、常にその場の空気を読んで、自分をどのように位置づけるかに気を使う。極端な話、同じ場で話をしている中でさえ、話の内容によって、主語が使い分けられることさえある。そんな日本人には英語のようにいつも共通で、普遍的な『I』を押し出すことを前提としたSNSはいかにも居心地が悪い。



Twitterは別?


ただ、米国のSNSに圧倒的なプレゼンスを持つ、もう一つのサービス、Twitterの方は、日本でも浸透に成功したかに見える。それは何故だろうか。『プライバシー』の概念の中に、『自己決定権』というのがある。いわゆる、自己の身体に関わる決定を他者から妨げられることなく行使する権利という意味での「自律権(autonomy)」あるいは「自己決定権」として理解される考え方である。この考え方によれば、自己の情報の出方も自分に決定する権利がある、ということになる。この『自己決定権』の行使が圧倒的に容易な設計になっているのがTwitterということが言えるのではないかTwitterは分厚くコミュニティーを構築することに使うこともできるが、一方で、ほとんど『ソーシャル』に関わることなく使うこともできる。『得体の知れない他者の信頼をさぐる必要があまりないサービス』である。そこにTwitterが日本でも浸透できた理由があり、場合によっては限界になる可能性もあると思う。



『人間学』が鍵


いずれにしても、日本企業(特にコンテンツ系企業)が生残るための鍵は、『社会学』『心理学』さらには『人間学』であることが、より明確になってきたと言えるのではないか。戸惑う人が多いことは間違いないと思うが、チャンスが残されているだけまし、という見方もあろう。私個人的には、大変面白い時代がやってきたと考えている。自分の貯めて来たカードがいよいよ有効に切れる気がしている。大変だが楽しみだ。