権威と常識のバイアスから自由でないと生残れない


イデオロギーは事実を覆い隠す


竹内薫氏の著書「99.9%は仮説」*1には、人々の『常識』という『思い込み』を覆す事例が沢山出て来て面白い。中でもガリレオ・ガリレイが24人の大学教授を集めて自作の望遠鏡を披露したときの話は私には特別興味深かった。その望遠鏡で地上を見た教授たちは、遠くの景色が大変近くに見えることに驚きガリレオを賞賛するが、同じ望遠鏡を天体に向けると、口々に「こんなのはでたらめだ!」とガリレオを非難したという。大学教授の中に、当代きっての天文学者ケプラーの弟子ホーキーもいて、「望遠鏡は下界においては見事にはたらくが天上にあっては我々をあざむく。」と語ったという。当時は、天上の世界は神が支配する完全な世界であるというのが常識であり、実際に自分の目で月のクレーターや太陽の黒点を見ても、そんな不完全なものの存在は信じる事ができなかったというわけだ。時代を支配するイデオロギーや思想は事実さえ覆い隠すという事例である。



競争力を左右する要因


これは、科学より神学が支配していた迷妄の時代の産物だという声も聞こえて来そうだ。だが、本当にそうだろうか。現代の我々の周囲にも、少し注意深く見渡してみただけで、いくらでも同様の事例を見つけることができる。明白で客観的な事実を相手にするはずの科学でさえこうなのだから、事実認定自体に幾つかの選択肢がある社会科学の取り扱う分野など、先入観や思い込みから離れて冷静に事実だけを見極めることは本来非常に難しい。だが、学問の分野に限らず、ビジネスでも、特に現代のように旧来の常識が次々と崩壊して、誰もが方向喪失感に悩む時代には、古い常識や先入観に捕われずに物事の本質を把握できる洞察力は、従来以上に競争力を左右する決定的な要因になりつつあるように私には思える。



佐々木俊尚氏のtwitterでの発言


一昨日、ジャーナリストの佐々木俊尚氏のtwitterのタイムラインを拝見していたら、非常に印象に残る発言に出くわした。

iPhoneのマガストアで雑誌を購入して読んで気づいたこと。紙で読んだ時には「まあこんなものかな」と思っていたのが、iPhone上でブログなどのテキストコンテンツと並列に見せられると、実はとてもつまらないものが多いという衝撃的事実に気づいた。

だから雑誌をオンライン化すると、フラット化の引力で言論の劣化が逆に目立ってしまい、衰退をさらに加速させちゃうかもしれない。



マガストア


マガストアとは、電通とデジタルコンテンツ配信会社であるヤッパが提携して、昨年8月に開始した開始した雑誌の有料販売サービスで、1月7日現在、既存の雑誌(AERA、ダイヤモンド等)25誌をiPhone初めいくつかの携帯電話から購入することができる。今後、50誌以上に拡大し、携帯電話だけではなく、パソコンやゲーム端末への展開も計画されているという。昨今非常な勢いで雑誌の休刊が相次いでおり、苦境に喘ぐ雑誌各社の電子配信市場参入の成否は、関係者だけでなく比較的広い層から動向が注目されている。
電子雑誌書店マガストア | いつでもどこでも電子雑誌が読める


私自身、昨秋からiPhoneを通じて何冊か実際に購入して読んでみた。比較的読みやすいインターフェースであり、その点ではそこそこ合格点をつけれると感じた。アマゾンのKindleに続き、アップルのタブレットPC発売の噂など、インフラの点では追い風が吹いているとも言える。(逆に乗り遅れたら大変というあせりもあるだろう。)



王様は裸?


だが、いざiPhone上のコンテンツの一つとして、他のブログやtwittertumblr等がフラットで並ぶところで読み比べると、本当につまらないものも多いことを感じざるを得ない。自分自身、内心そう感じていたところなので、佐々木氏の発言を見て「やっぱり!」と思った。「王様は裸ではないか?」と思いながら口にできなかったところに、いきなり佐々木氏が「王様は裸だ!」と叫ぶのを聞いた思いだった。


その発言には何人かの反応があり、twitter上で質疑が続き、それを追いかけて行くと、現在の出版社や新聞社等の既存メディアの問題点に対する佐々木氏の非常に率直な見解を知る事ができて大変面白い。興味がある人は、是非読んでみるといい。



優秀なメディアが何故?


繰り返し提起される問題だが、優秀で専門性の高い人材が集まり、しかも高額の取材費と時間をかけて一次情報にアクセスする、既存大メディアの記事が、どうしてこんなことになるのか。切り口がステレオタイプで紋切り型だったり、もうすっかり廃れてしまったはずの平板な戦後民主主義的な浅薄な思想が見え見えだったり、妙に予定調和的であったり、私のような素人でさえ辟易してしまう記事が実に多い。もちろん、非常に優れた記事も多い事は確かだが、こんなものなのだろうか。


さらに言えば、マガストアに限らず、既存メディア、それも権威あるメディアの記事ほど、猛烈な勢いで変化を続ける市場や社会の実態にキャッチアップできていないのではないかと感じてしまう事が多い。おそらくメディアに限らず、どの業界でも大企業、中でも歴史が長くて伝統ある企業の社員に、多かれ少なかれ共通する傾向なのではないか。これは私の個人的な見解だが、個々人が仮に自分自身の体感として何らかの変化や違和感を感じても、既存の通説へのとらわれ、既存秩序への配慮、エスタブリッシュサークルから排除されることへの恐れ等、多重のしがらみから、記事にバイアスがかかってしまうのではないかそれが習い性になった結果、無意識に先入観やイデオロギーの壁ができてしまって、事実を事実として素直に受取ることさえできなくなっているように思えてならない。まさにガリレオに望遠鏡で天体を見せられた大学教授と同じ事が起こっているのではないか。



『権威』のバイアス


島田裕巳氏と小幡績の対談をまとめた『下り坂社会を生きる』*2という本に、同様の主旨の見解があり、これも大変興味深い。

昔、大前研一が珍しくいいことを言うなと思ったんですけど、「いい経済記事を読みたければ、日経を読むな」と言うんですね。つまり、日経には権威が確立しているから、自分の理解できないものは受けつけないし、正当派のことしか書けない。権威を傷つけてはいけないから、思い切れないんですね。 同掲書 P155

テレビ東京の話で言うと、夜の『ワールドビジネスサテライト』は、経済界の人がみんな見ている。だから経済評論家、エコノミストをゲストに呼ぶけど、エスタブリッシュメント、つまり権威が確立した偉い人が中心だから、あまり外れたことは言えない。一番のエース級がそろっているんだけど、固定席で、同じ人がずっとやってるから新しい知恵が入らないし、思い切れない、開き直れない。だから、同じような番組のはずである朝5時45分からやっている”モーサテ” 『ニュースモーニングサテライト』の方が断然面白いです。 同掲書 P156

構造を理解すべき


インターネット内での出来事は、反権威、反常識で溢れかえっており、だから新しいもの、新しい考え方等が日々生成されているとも言える。今はインターネット内に限らず、現実社会でも従来の権威と常識が容赦なくひっくり返されてしまう時代だ。ガリレオ・ガリレイのような事実の前には権威と先入観をものともしない変人の意見こそ貴重だったりする。この構造をちゃんと理解しておかないと、来るべき2010年代に生残れないことになりかねない。各自、肝に銘じておくべきだろう。

*1:

99・9%は仮説 思いこみで判断しないための考え方 (光文社新書)

99・9%は仮説 思いこみで判断しないための考え方 (光文社新書)

*2:

下り坂社会を生きる (宝島社新書)

下り坂社会を生きる (宝島社新書)