時代遅れの『成果主義人事制度』は今すぐ見直せ!


競争条件の進化


経済のサービス化の進展は不可避な道であることはもう何十年も前から言われていたことだ。トップを走る米国程ではないにせよ、日本でも今では就業人口の70%がいわゆる第三次産業である。ただ、日本では戦後ずっと自動車や電気といった工業製品の輸出が経済を支えて来たためか、自国のサービス業の生産性が、他国と比較してみるとひどく低いという事実は、それほど真剣に取り上げられて来たという印象はない。


そもそも、サービス業の生産性向上は簡単ではない。コスト削減一つとっても、製造業お得意の現場の改善によるコスト低減くらいではまったく追いつかない。実効を上げようと思えば、大掛かりな物流システム改善やビジネスモデルの変更等、高度な知恵を使うことを余儀なくされる。サービス自体の付加価値を上げることはさらに難しい。ユーザーのことを深く理解しているだけではだめで、サービス設計に伴うセンスも必要とされる。しかも最近ではIT技術の進展によって、世の情報化が進むことにより、サービス業の生産性向上競争は従来以上に高度な情報操作やクリエイティビティーが決め手となるレベルの高い競争へとステージが上がった。いかにも日本が苦手な領域と言える。



製造業も同様


ただ、日本企業にとってもっと深刻なのは、そのIT技術進化/情報化の進展は、日本経済の命綱であった製造業にまで及び、製造業でさえその競争に勝ち抜くためには、サービス化/ソフト化が鍵となってしまったことだ。高品質/技術による高付加価値化競争が一巡して、ユーザーにとって十分なレベルに達してしまうと、B to Cであれば、ユーザー本人さえ気づかない価値を探り当て、その製品が使われるシーンまで含めて物語りつつ提案する、という能力が必要になって来ている。B to B であれば、いわゆる『ソリューション』提案が不可欠だが、これもほぼ一般消費者を相手にするのと同レベルのクリエイティブな能力の有無が競争を左右する。しかも、インターネットに何でも飲み込まれ、インテグレートされるため、製品個別の価値よりも、ネットワークの中でどのような価値を創造できるかが鍵となって来ている。



成果主義人事制度導入が進む


もっとも、レベルの差はあれ、このようなサービス化/ソフト化が日本企業の弱点であり逆に将来の競争の鍵であることは、誰しも気づいていたことではある。人の創造性/アイデアの善し悪しが決定的な差を生む。だから、教育における『個性』や『創造性』は繰り返し喧伝された。企業でも、IT化/ソフト化によって、高付加価値サービスを次々に生み出す米国企業を横目に、90年代後半には米国流の人事制度の導入に雪崩をうって向かうことになる。いわゆる『成果主義人事制度』である。


企業が右肩上がりの成長がもはや難しいことに気づき、総人件費抑止を真の目的としてやむなくこれを導入した側面があることは事実だが、一方でこの制度をステップにして、米国流の良さとされる、『個性』や『創造力』が企業内で喚起されることを期待した向きも少なくない。ところが、この制度はかなりの難物で、導入当初から現在に至るまで、多数の日本企業の根幹を腐食させる鬼っ子となっている。



事実上失敗と言わざるを得ない


日本の成果主義人事制度の有名な失敗例は、コンサルタントで著述家としても活躍する城繁幸氏が、その著作『内側から見た富士通成果主義」の崩壊』*1で暴露した富士通の例だが、残念ながらその教訓は必ずしも有効に生かされているわけではないようだ。2007年12月の日経ビジネスの記事、『このままでは成果主義で会社がつぶれる』*2でも指摘されているように、この時点で日本の上場企業の約8割以上が何らかの形で成果主義に基づいた人事制度を導入して運用しているという。日本企業の経営者は横並びで安心する習性があるから、他社がやっているなら、とばかりに続々と後に続いたわけだが、この記事で行われたアンケート(約1,000人が回答)でも現場の不満が百出している。以下、記事から幾つかの声を拾ってみる。


 

「数字でしか評価せず、顧客との信頼関係や他部署とのネットワーク等、業務を進めるうえで大事だと思われることについては全く評価されない。数字を稼げることは確かに大事だが、数字だけが一人歩きしている気がする」
(係長・主任クラス 30〜34歳)

 

 「今までチームワークで仕事をしてきた。全員で力を合わせて1つのことを成し遂げ、苦労を共にし、喜びを分かち合い、成果は全員で分配してきた。
 それなのに、本社は自国の成果主義評価制度を日本にもそのまま取り入れたため、素晴らしかった人間関係がぎくしゃくし始め、優秀な人材は会社を去っていった。残っているのは、顧客の方を向かずに上司の方ばかりを向いている社員のみ。その結果、売り上げも下がった」
外資系企業の部長クラス 45〜49歳)

 

 「高い目標に向かってモチベーションを上げて取り組む思想が皆無になってしまった。みんな目先の小さな目標の達成に躍起になっている」
(係長・主任クラス 35〜39歳)

時代遅れになっていないか


私の周辺でも、ほぼ同様の不満の声を耳にする。不満が出て当然だろう。歴史もカルチャーも制度も異なる米国企業のシステムを、その本義を理解もせずに日本企業が採用すれば、米国流の良さも、日本流の良さも両方とも台無しになりかねない。このような制度が最も機能しやすいのは、マクドナルドに見るような『工場の方式をサービスにあてはめる』ような、単純なサービス業務のマニュアル化が競争のフェーズを支配していた時代の業務だろう。だが、当の米国でも、このような型にはまったマニュアル化されたサービスではもはやユーザーは満足せず、個々の従業員がTPOを十分に理解して現場で判断するほうが有効とする意見が多くなってきている。まして、高度な創造性を要求される現代のホワイトカラー職種には、全く時代遅れと言っていい。



ドワンゴ」の事例


それがどういう事なのか知りたければ、佐々木俊尚氏の新刊、『ニコニコ動画が未来をつくるドワンゴ物語』*3で取り上げられたドワンゴ社の事例をよく読んでみるといい。『時代遅れの成果主義人事制度』などに拘泥する会社には、ドワンゴに集う、キラ星のような人材はけしてやってこないだろう。何かの間違いでやって来ても、すぐ去って行くだろう。そして、小目標を積み上げても、見える化しても、短期数値だけで評価しても、ドワンゴのような成果を手にすることはできないはずだここでは人間と人間が響き合うことで特異な磁場ができあがり、才能ある人材が惹き付けられ、しかもおもいっきり力をふるうことができる。サービス化/ソフト化を勝ち抜くヒントが満載だ。才能ある優秀な人材が働きたい場所というのは、どういうところなのか。そういう人が何によってモチベートされるのか、それが現代の人事が極めるべき第一のミッションのはずで、その優秀な人材が働き続けたい環境と制度をつくる、それでこそ本当に有効な切磋琢磨が会社内で起きる。いや、会社を超えて、人材が協力し合うことになる。



狭き門


確かに、今の日本企業にとって狭き門であることは確かだが、それはまさに現代に企業が生残ること自体が狭き門となっていることと呼応する。上場企業の8割が古くさい成果主義人事制度に捕われている、というのは、まさに、『滅びに至る門は広い』ということではないのか。ある程度の人数を超えると、システマティックな制度導入が必要というセオリー自体、個人の能力がIT技術の進化でサポートされ、拡大できる時代には、もはや見直したほうがよいイデオロギーではないのか。



政治の役割


かつては業種による違いを日本国内で飲み込むことが可能だった。だが、これからはサービス化/ソフト化がうまくいかない業種や業務は、日本国内で維持することがますます難しくなる。如何にグローバリズムに背を向けようと、それが現実だ。だから、セフティーネットは個々の企業がつくるのではなく、社会がつくるしかない。そういうバランスを社会で受け止めることこそ、政治に最も期待されている役割だと思う。