自動車市場の激震とビジネスチャンス

自動車需要と日本の消費社会の変化


最近、この20年くらいの日本の消費の推移をもう一度振り返って見たいと思い、いくつか文献をあたっていくうちに、いわゆる『西武/セゾン文化』のことが気になって、手始めに元西武グループの総帥、堤清二氏と元パルコ勤務で、マーケティング・アナリストの三浦展氏の共著である、『無印ニッポン 20世紀消費社会の終焉』*1を読み始めた。


ところが、肝心の『西武/セゾン文化』がトピックとなる前に、自動車のことを中心に、日本の消費社会の変化についてお二人が対談で語り合う部分が大変印象的で、つい自動車の今後について久々に考えてしまった。自動車は、日本の記号消費が爛熟期を迎えた80年代から90年代初めごろの象徴的な存在であり、逆に昨今話題になる『自動車離れ』は、単に自動車の商品としてのライフサイクルの問題を超えて、日本の消費の変質を象徴している。確かに、リーマンショック後の急激な販売の落ち込みは、落ち込みの規模においては一過性と考えることもできなくはないが、特に日本市場での都会の若年層を中心とした『自動車離れ』は、市場の構造変化の結果であり、不可逆の現象と考えられる。(この構造変化の実態を分析するよすがとして、『西武/セゾン文化』の成長と衰退および渋谷という街の変遷が大変興味深い。よって追って別のエントリーで考察してみたい。)


非常に示唆に富む対談


三浦氏と堤氏の対談を読むと、先端的なマーケティング・アナリストで、現代の消費社会についての著書もある三浦氏ももちろんだが、第一線を退いたとは言え、希代の名経営者だった堤氏の感性はさすがだと思う。以下、自動車市場の見方に関連して、印象に残った部分をいくつか引用してみる。

『無印ニッポン 20世紀消費社会の終焉』P8〜P12より


堤◎ (前略)ずっと環境問題などが叫ばれてきたし、いい機会だから、節約生活してみよう、みたいな。(後略)


三浦◎ 単に不況で買わない、というのが7、8割だとしても、金融危機が一つの引き金になって、それまでは「むだじゃないの」と思いながら、ついつい買っていたものを押さえて、もっとシンプルに暮らそうという人が増えると思うんです。   


堤 ◎ (前略)いまの消費者は、間に合うんだったら、近くのコンビニで間に合わせてしまう。わざわざ車で走って行って、買い物したり、食事したり、という生活パターンが変わって来ているという感じがしてしかたないですね。車を使わないのはガソリンが高くなったからだ、というのは嘘で、実際ガソリンが下がっても傾向は変わらない。(中略)政府は、高速料金を下げて、車を使わせようとしていますが、車離れという現象は決定的だと思っています。それはたぶん、多くの人が、車社会の味気なさみたいなものに気がついたということではないかと思います。   P10


堤◎ 車社会の風向きが、こんなに急に変わるとは想像していませんでしたね。車がないと不便だとかいうのを越えた、一種の文化現象なのかもしれない。


80 年代のバブルを後押しした、記号消費が90年代以降変質して、2000年代には、車がかつてもっていたフェティシズムは霧散し、コミュニケーションのネタとしてもほとんど役に立たなくなった。『モテる』ための必須アイテムというような神話も単なる幻だったことがはっきりした。このようなダウントレンドに加え、環境問題、ガソリンだか、不況による可処分所得減少等に影響されて、もう一つの文化現象/消費構造の変化が起きている言わば、下降二段ロケットだ

フェティシズム - Wikipedia



三浦◎ それを企業側は、一番怖れているでしょうね.景気が悪いので買わない、というのなら、また景気をよくすればよいという話だけれども、人々が車がなくても暮らせる生活に変えちゃったとすると、これは深刻です。(中略)この金融危機によって日本人の消費意識が、「あれがいい」、「これがいい」、「みんな欲しい」、という物欲主義から、「これでいい」「これで十分だ」、という無印良品的価値観に急速に変わっていきそうな予感がします。


堤◎ ファッションは、完全にそうなってますね。


三浦◎ ユニクロですね。ユニクロには、いい面も悪い面もあって、悪いのは画一化という問題ですが、しかし「これで十分だ」という無欲さの方向に人々を向かわせているとも言える。(中略)ある企業が、自由が丘のマダムたちにヒアリング調査をしたところ、BMWの買い替えをやめて、20万円の自転車を買ったというようなことが起きているらしい。実際、その方がいまはかっこよく見える。500万縁のBMWを200万円の一般車に買い替えたくはない。むしろ、20 万円の自転車のもたらす満足感のほうが、200万円の車のもたらす『どうでもいい感』よりも、はるかにパッピーだということです。


堤◎ (前略)自動車メーカーには申し訳ないけれども、昔のような盛況は戻ってこないような気がしますね。都会ほど自転車が便利なんですよ。自転車の改良製品もいろいろ出てくるでしょう。さらに、地方の人たちが、東京た京都・大阪の街で見かける自転車はかっこいい、と思い始めたりしたら、車にとっては強敵ですね。石油の消費を結び付いたアメリカ文化の衰退、消滅につながっていくでしょう。


不可逆な流れ


このような質の高い対談は、目の前で何かとんでもない現象が起きていることをうすうす感じながらその気持ちをうまく言葉に出来なかった人に、明快な現状理解を与えるのではないかと思う。ユニクロ無印良品は、消費者を『これで十分だ』という無欲さの方向に向かわせるきっかけではあったかもしれないが、それを苦もなく受け入れる消費者マインドは、80年代以降時間をかけて形成されて来ていたものだ。一過性ではなく、しかも不可逆な流れと私が考える理由はここにある。



ユニクロ栄えて国滅ぶ』


先頃、文芸春秋09年10月号に、エコノミストの浜矩子氏が、『ユニクロ栄えて国滅ぶ』というタイトルの論文を寄稿し、ユニクロに代表される『安売り競争は社会を壊す恐るべき罠』で、企業にとっても自らの首を締め、『暮らし救世主』どころか物価と賃金が下がり続けるハイパーデフレを主導し、そういう『自分さえ良ければ』という姿勢で自分にとって利益が上がるように行動しているつもりが、社会全体では不利益を生み、結局自分自身も貧しくなってしまうことだ、と痛烈な批判を展開している。それに対して、経済学者でブロガーの池田信夫氏は、『ユニクロは日本を滅ぼすどころか、日本企業がグローバル化するロールモデル』として、浜氏に対する反論を展開している。

http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/94d7da65e3eb27211bbc98a66c7b3663


浜氏の論文は、部分部分には重要な問題指摘があることはよくわかるのだが、全体として見ると、少々議論に無理があるのではと私も感じた。しかも、上記で述べた通り、ユニクロ現象』は、経営者の『自分さえ良ければ』という姿勢の結果というよりは、それを受け入れる消費行動の変質のほうに、真の原因があるように私には思われる。ここのところの理解を間違うと、どのような対策も機能しないのではないか。企業でも政府でも。



現実を見るべき


自動車市場の分析について何かを語ろうとすると、時に強い抵抗を受けることがある。何だか、語らぬのが『武士の情け』とでも言わんばかりだ。自動車は産業分野としての裾野が広く、影響を受ける企業がものすごく多い。現在の自動車不況の影響をもろにくらって息も絶え絶えの企業やその従業員は、当然景気回復と共に自動車の需要が回復することを祈るような気持ち市場を見ている。楽観論に何とかすがりたい気持ちはわからないではない。だが、現実を見ることをやめると、結局最後に大きな破局が来るだけだ。破局を先に延ばす延命策にすがるより、構造変化を起こした市場をつぶさに分析して、リアルな将来像を確立した上で、将来に向けた策を講じて行くしかない。今日本も(他国も)、全世界的な巨額な財政出動を受けて、堺屋太一氏の言葉を借りれば、『救急治療室』で小康を保っている状態だ。近々体につながった管は取り外される。今思考停止するのはそういう意味でも致命的だと思う。



自動車産業の大変革


自動車市場をウオッチしていると、電気自動車への転換は、普通の人が漠然と考えているよりはるかに速いスピードで実現して行く可能性が高いと考えざるをえない。(このこともあらためて取り上げる。大変重要な問題だ。)しかも、そうなれば、ガソリン自動車の元に構築された既存の体制は急激な主役交代にさらされることになる。テスラモーター*2のようなベンチャー企業が雪崩をうって参入してくるだろうし、日本の自動車産業の競争力の源泉である、『垂直統合』がいよいよ揺らぐことになる。大変な混乱とともに、自動車の供給側にも大変革が起きるだろう。だが、冷静にそれを見通せる者には、巨大なビジネスチャンスともなりうるはずだ。マインドを切り替えることで、ピンチをチャンスに変えるたくましさを持ちたいものだ。