帰省雑感 大変動前夜


帰省とインターネット


お盆の期間、帰省していたため、ブログがすっかりご無沙汰になってしまった。帰省先のインターネット事情があまり良くない事もあるが、毎回帰省したときには、ブログはお休みして、インターネットとの接触も普段の1/10くらいにペースを落とすことにしている。普段どっぷり浸かったネット環境を離れて見えてくるものもあるかもしれない、と思うからだ。



あらためて感じるiPhoneの進化


もちろん、帰省先での用件を片付けるにあたっても、インターネットがあると大変便利なので、友人にパソコンを使わせてもらったりして、従来から最小限のコンタクトはして来たのだが、今回はiPhoneのおかげで、ほとんどその必要がなかった。帰省直前に、3Gを3GSに代えておいたのだが、入力の不便さを除けば、ほとんど何も問題がない。帰省で第一に気づいたことは、i Phoneの素晴らしさの再認識だったかもしれない。



旬なのはやはりTwitter


自動車を使って、神奈川から名古屋の友人宅を経由して、鳥取境港市まで帰るのだが、帰省日の8月9日は台風の大雨で、中国縦貫自動車道は途中通行止めになっており、迂回路も大混雑でものすごい時間がかかってしまった。その後、地震による東名高速道路の通行止めなど、今まで一度も経験した事のないほどの事態だったが、iPhoneによる情報収集が非常に役に立った。中でも今回のハイライトはやはりTwitterで、交通情報でさえ、アンテナとしてのTwitterが非常に敏感に反応してくれた。帰省中のニュースは、災害情報以外にも、酒井法子容疑者から、世界陸上での100m男子の世界記録に至るまで非常に豊富だったが、普段よりもかなり情報との接触を断っていたつもりなのに、実にタイムリーに知りたい情報ソースに行き着く事が出来た気がする。



気候変動?


さすがに台風にピンポイントで遭遇したのには驚いたが、帰省期間中もずっと雨模様でぐずついていた。一ヶ月程前にも、叔母が亡くなったため帰省したが、その時も猛烈な雨に見舞われた。自分の記憶では、こんなおかしな夏は初めてだ。いや、そうではないか。昨年の夏も、今年ほどではないが、突然強い雨風がやってくる、例年にはない夏だったのだった。やはり地球環境が痛んで来ているということなのか。私のそういう実感には、残念ながら何の科学的根拠もない。私と同様の感想を漏らす普通もまた同じようなものだろう。だが、必ずしも根拠はないものの、環境問題に対して以前よりずっと差し迫った不安感を感じている人は案外多いのではないか。



環境問題からもう逃げることはできない?


地球環境問題/資源問題は、私がまだ学生のころから、大変な問題であるという認識を持っている人は少なくなかった。そして、急激な人口増加、工業化、汚染拡大、森林伐採、資源の枯渇等がこのままで続けば近い将来必ず問題になるという指摘自体をを否定できる者はほとんど誰もいなかった。だがそれはいつ来るのか。必ず来る。でも具体的にはいつ? 明日ではない。来年でもない。5年後でもないだろう。そういうレンジの問題になると、学生の研究としてならともかく、ビジネスの現場で環境問題に関わるものは私の周囲にはいなくなった。これは現代の経済社会に生きる我々の状況を端的に象徴する現象と言ってもいいかもしれな。当面大問題にならないのであれば、如何に将来的には重要な問題だとしても、民間では金にならない。ビジネスとして成立しない。これは公共セクターに任せるべき問題だ、ということになる。そして目先のビジネスに集中する。いやせざるをえない。


だが、もしかすると、とうとう『時は来れり』なのかもしれない。どこがターニングポイントなのか。以前にも書いた記憶があるが、私はそれは、中国とインドのモータリゼーションだと考えて来た。地球環境の限界は必ず来る。どこかで必ず反転しないといけない時がくる。だがそれはいつからなのか。だが、そういう抽象的な問題ではなく、異常気象という誰の目にも見えて、不安を煽る現象が実際に起きて来ている。たいていの人にとってこの不安感こそがリアルだ。



覚悟を決める時


ターニングポイントの問題、それは、小手先では対応できないことだ。現状の延長でしのぐことのできない変化となって押し寄せる。20世紀の総括、というような壮大な問題に取組む必要がある。皆その覚悟はあるのだろうか。こういう点でも、今まで前例のない事態に取組むこと、すなわちイノベーションが一層重要となる。そういう覚悟を決める時が来ているように思うが、どうだろうか。