本質的な変化を遂げる世界経済から目を背けてはいけない

世界経済は今


世界経済は、今、どのような状態にあり、今後どうなっていくのか。インターネット時代になり、情報は山のようにあるのだが、表面的な情報をいくら拾い読みしても、なかなか中長期的な見通しを得ることができない。もちろん誰にとっても、難し過ぎる問題だ。だから、というわけでもあるまいが、考えても仕方がないことは考えず、あまり悲観的にならず、目先でできることを淡々とやるしかない、という人が増えて来たように思う。


だが、本当にそれでいいのだろうか。東洋的な悟りの境地で心が澄んでいるというならまだしも、わっと声を上げて逃げてしまいたいほどの不安を抱えながら、見るのが怖いゆえに現実から目を背けているのなら、何とも悲惨な話だ。これからも不安はけして去ることなく、その影に苛まされ続けるだろう。仮にも、そんなビジネスリーダーや経営者を頂いているなら、御愁傷様としか言いようがない。 いたずらに悲観的なシナリオに埋没してしまうのもどうかと思うが、経営者が楽観的なシナリオだけ抱えて、耳障りの悪い情報に耳を貸さないようになると、企業の死期が近いことは確かだろう。そんな居心地の悪さ、気持ち悪さを感じることが、最近はすごく多い。



甘過ぎる見通し


金融崩壊から始まった大不況も、今では実体経済に影響が及んで来ているが、多少なりとも在庫調整も進んで来て、株価が底を売ったように見える日もあったりする。米国、中国、そして欧州でさえもかつて経験したことのなりような大規模の財政出動が行われ、米国など資本主義を捨てた、と揶揄されるほどの状況にある。大抵の人は、こうしているうちに、民需が回復すれば経済は回復軌道を取り戻し、ほどなく景気循環のサイクルが一巡して不況を脱することができる、という。だが、どうも簡単過ぎる。そもそも今回の金融危機の底知れない闇は、通常の景気刺激策で簡単に払拭できるようなものではなかったのではないか。21世紀のニューディール政策というが、損失の規模が大きすぎて、政府財政が破綻する可能性さえ喧伝されていなかったか。



考えさせられる『参考書』


そんな疑問に、鮮やかに答えてくれる、という意味で、『世界経済はこう変わる』という本は、(賛否は別として)誰にでもおすすめできる。これは、元ゴールドマン・サックス、現在ニューヨークで投資銀行を経営する、神谷秀樹氏と、元大蔵省(現財務省)出身で、現慶応大学ビジネススクール准教授の小幡積氏との対談集である。履歴を見る限り、今回の大不況、特に米国の金融不況、金融崩壊の実態等について語り合うのにこれほど適当な人選はないだろう。

世界経済はこう変わる (光文社新書)

世界経済はこう変わる (光文社新書)


ただ、事前の予想以上に、『現状および今後に対して厳しい見解』であり、米国の資本主義を『キャンサー(癌)資本主義』と酷評し、『今までの資本主義の形(アメリカ型金融資本主義)は完全に壊れてしまっていてもはや元には戻らない』と循環論を否定する。そして、お金だけをゴールにしない、新しい資本主義の形を求めて根本的な再生をする意外に道はない、と断言する。原則、この通りではないかと私も思う。落ち込んだ穴は皆が思っているより深く、痛みも大きいが、その分、より根本的な再生の可能性もある、ということだ。



本当のところどうなのか


もちろん、正直なところ、私も従来型の経済学に、とっぷりと影響をうけたくちだから、金融資本主義の崩壊の方はともかく、ここで言う再生の形がそんなに簡単に現れ、根付いて行くことはにわかには信じられない。現状が破壊されれば、その後に理想的な形が構築されて行く、というのがしばし夢物語であることは、近くはアフガンやイラクの実情を見れば明らかだ。より深い混乱と混沌が少なくとも当面は続くと見るほうが自然だ。しかも、オバマ政権で、経済改革のために起用されているキーマンの面々を見ると(敢えて名前はあげないが)、今の金融崩壊の原因を作った責任者やその仲間と言うべき人達が残っていて、しかも、従来型の資本主義は回復可能と宣言して活動しているのだ。


だが、崩壊したバブルをドーピング(無闇な資金投入)や別のバブルで補填しようというのは、もはや機能しないし、機能させるべきではないというお二人のご意見にも私は基本的に賛成である。今の局面で資金投入が必要なこと、政府の役割が非常に重要であることは言うまでもない。しかしながら、米国で何度か報道されているように、金融機関や先日破綻したGMに資金投入してみれば、経営者への巨額なボーナス支払いに充当しようとする。不良債権デリバティブズの形で、国をまたぎ、ばらばらになっているため、回収の目処もまったくついていないはずだし、GMのケースでも、一番肝心な『売れる車を作って売る』という基本的な構造が壊れてしまっている今、投入した資金が企業の再生につながるというシナリオは、どう見てもあやしい。神谷氏の別の対談でのコメント*1にある、『燃えているものにお金を使ってしまう』ことになると思う。




このままではもっと恐ろしいことに


小幡氏のコメントにあるように、このままでは、第一幕(パリバショック:2007年8月)、第二幕(リーマンショック:2008年9月)、第三幕(現在。実体経済に危機が移転)に続く、第四幕(政府が財政破綻し、通貨が価値を失う段階)に移行しかねない。アメリカで起これば、基軸通貨は失われ、本当に世界経済が崩壊することになる。そうしないためには、どうしても、現実から目を背けず、如何に厳しかろうがこれをきちんと受け止めた上で、新しい経済社会のビジョンの構築に自覚的に取組むことが不可欠だと思う。



貴重なメッセージを無駄にしないように


新しい経済社会は従来の金融資本主義とどう違うのか。私がこの本の対談から受け取った貴重なメッセージは、『良識あるバンカー』に関わるお話である。日本では、町工場を回り、社長の人格を見て融資をして、数字の裏付けを取りつつ、資金支援、アドバイスをする、いわば技術や人間の信用で貸すことができるノウハウを持つ銀行員バブル崩壊とともにいなくなってしまったという。米国でも同様に、自分が担当する会社を成長させることを生き甲斐とするような『バンカー』が、1999年の銀行と証券の分離条項解消(グラス・スティーガル法の撤廃*2)以降、相場を張って証券取引をするトレーダーより稼ぐ額が小さいという理由で偉くなれなくなり、貴重なノウハウとともにいなくなってしまったということだ。


そして、どの銀行も巨額のマネーゲームに奔走するようになり、人間はその回路からはじき出されてしまった。まさにマルクスの言う『人間疎外』*3そのものではないか。人間不在のマネーゲームは世界中を覆い尽くし、そして天文学的な不良債権を残して自爆してしまった。工業化/産業化ともに、問題とされた労働疎外/人間疎外は、金融資本主義とともに、一層深刻な人間疎外を引き起こした、と後世の歴史家なら書くかもしれない。


この人間疎外を解消するためには。『良識あるバンカー』(およびそのメタファーで語れるあらゆる職種)が正しく評価されて、誇りを持って活動できる資本主義経済を構築することが必要だ。その為に制度設計をどう見直せばいいのか。労働倫理はどうあるべきなのか。会社経営はどう変わる必要があるのか。皆がこぞってそのような問題意識を持って、改革を進めて行くことができるなら、今回の金融崩壊の痛みも最終的には無駄ではなかった、と言える時が来ると思う。