ビジネスでも『分かりやすさ』は滅びに至る門だと思う

分かりやすいほうがえらい?


いつの頃からか、『分かりやすさ』『簡単さ』が恥ずかしげもなく自己主張するようになった。私達の世代では、『難しさ』は重要性、重大性、価値の高さを意味していた。難しいことが理解できなければ、恥ずかしかった。だが、もしかすると、今は『難しい』ことが恥ずかしいことになってきているのではないか。



ビジネスの現場では


ビジネスの現場では、分かりやすさが顧客の拡大や効率化の推進、コスト低減等と直結するため、しばし非常に重要な価値であることは確かで、あらゆる局面で追求されていると言っていい。 文書についても、文学的な審美性よりも、愚直で面白みがなくとも、分かりやすさ/理解しやすさのほうが優先される。作家、博物学者、タレント等幅広い肩書きを持つ、荒俣宏氏が、最初に就職した大洋漁業(現マルハ株式会社)で上司に報告書作成を求められ、上田秋成の韻を踏んだ自信作を提出したら、ボロボロにされ、こんなところではやって行けないと思った、というようなことを書かれているのを読んだ覚えがあるが、確かに同様のことは自分にも経験がある。(もしかすると、案外多くの人が経験されているのかもしれない。) 文章は簡潔に、分かりやすく、主語を必ず入れて(日本語の場合これが文体の美しさを台無しにすることも多い)、というようなことは、しっかりした組織であればあるだけきちんと指導されるだろう。(そういう自分自身、今や若い人達の美文を、クソ面白くもないビジネス書式に書き換えている。) 


だが、私が何度も主張してきたように、分かりやすさで実現できるのは、能率向上、コスト低減等だが、これは限りがある競争で、一定水準に達した後はそれ以上の競合力を生むことは難しい。しかも、商品やサービスまで分かりやすいようでは、競合相手にとってもわかりやすいので、簡単に真似をされてしまう。



政治では


一方、日本の政治は、今、あらゆる意味で混乱し、若年層の政治離れを引き起こし、国政選挙はじめ地方選挙でも、投票率は軒並み低迷している。興味を持とうと思っても、いかにも分かりにくい。何をやっているのかさっぱりわからないし、理解できないという人は多いだろう。(それは若年層だけではない。)だから、この領域でも、しばし『分かりやすさ』の必要性が強調される。それ自体必要なことでもあるのは間違いない。分かりやすくあって欲しいと私も思う。


だが、特に政治の現場では、分かりやすさだけが一人歩きすることは非常に危険でもある分かりやすいと称して、分かりやすい簡単なスローガンだけで選挙に勝つ政党が本当によい政治をしてくれるだろうか。分かりやすい利益誘導が巡り巡って国を破壊するところを私達は目撃してきたのではないか。 しかも、この延長にある本当の恐ろしさは、単一価値の強調から、それ以外の価値の排除へ、そして究極はナチスドイツであったり、スターリンが指導する旧ソ連、あるいはロベスピエールフランス革命)に代表されるような恐怖政治に繋がって行くことにある。(ここのところは大変深刻な問題でもあり、詳しくは次回以降のトピックとする。)



教育では


教育の現場でも、分かりやすさは非常に重要だ。確かに、子弟の教育が、学校という密室で、とんでもない教師によって行われているのでは、という危惧は自分たちが生徒の立場として経験した実感から言っても、当然のことだ。 透明性を確保して、分かりやすくあって欲しい。 


だが、昨今の分かりやすさは、『すぐ役に立つかどうか』『実業に直結しているかどうか』『お金儲けに役立つか』というような意味での分かりやすさが過度に強調されているように思える。極端に言えば、学校教育のすべてを『ビジネス・スクール化』しようとしているようにさえ見える。ビジネスの現場に出れば、文書が文学的であることは、基本的には評価されない。 だが、教育の場では、そうではあってはいけないはずだ。 時には徹底的に文学的価値も追求されるべきだろう。経済的な価値は確かに非常に重要な要素ではあるが、そうではない価値こそが、社会全体の質を高め、自主的な政治参加意識を育み、友愛の気持ちを醸成することに寄与することも多い。そして、それは、社会の活性化を通じて、結果的に市場/経済価値も活性化することに繋がる。最近の日本は、どう見ても、それとは反対の方向に走った結果、社会が疲弊してしまったように思えてならない。



教訓?


『分かりやすさ』は私達を優しい顔で誘惑する。だが、その門は広いけれど、滅びに通じているのではないか。分かりにくさは、確かに門は狭いが、高い境地と深い満足に繋がっているのはむしろこちらのほうではないのか。



 『分かりやすさ』に騙されてはいけない


もう一度、ビジネスに話題を戻すと、今の日本企業では、とくにこの分かりやすさを強調する人のことは、注意してみたほうがいい。本当は既得権益を守りたいから、いまさら分かりにくい改革はして欲しくないのが本音だったりしないか。あるいは、創造性と競争が会社の主軸になると着いて行けないから、分かりやすさのもとに、優秀な部下を排除する心理こそ本音なのではないか。


また、小規模で勢いよくスタートしたIT企業が、順調に業績を伸ばし、人員が増えて管理や人事制度導入の必要性が出て来たときなど、本当に注意したほうがいい。分かりやすい管理、分かりやすい人事制度こそ、しばしその会社にとっても最も重要であったはずの創造性、スピード、競争意識等を毀損する原因となることが多いからだ。しかも、そういう会社には大抵経験豊富な管理や人事のベテランはいないことが多いから、大企業でさえすでに陳腐化してしまったような、あるいは試されたけれどうまくいかなかった手法を持ち込んでくるいい加減なコンサルタントにあっけなくだまされる。しかも、こういう制度導入の一番の問題は、如何に他社で良い制度でも、自社のカルチャー、ビジネスモデル、向かい合っている市場等が違えば、まったく毒にしかならないものが多いことだ。モデルはあっていいが、分かりやすいからといって、思考停止してしまうとそれが致命傷になる。繰り返し強調しておきたい。分かりやすさの名の元の思考停止は、間違いなく、滅びに通じる門であることを。