ものづくり回帰について

改善とイノベーション


企業の成長力の源泉は、『現在のその企業の優位性の強化=改善』『新しい優位性の開拓=イノベーションである。企業が中長期的に生き残るためには、この両方が必要であることは言うまでもない。だが、この二つは、それを支える制度や組織文化のあり方が、しばし正反対のため、一企業の中で両者の良さを混在してマネッジすることはしばし非常に難しい。


改善に必要なのは、コスト低減、効率化という目標に対して、企業内のすべての部分が全体としての最適化を徹底的に追及することが必要だ。そのためには、組織の重複を無くし、管理統制を強化し、各人の仕事の中身にも手を入れて無駄を排除する徹底したあり方が求められる。一方、イノベーションを極大化するためには、所謂遊び、無駄をかなりの程度許容して、しばし企業の壁をやぶる自由闊達さが必要とされる。この両者は、ブレンドしてしまっては意味が無い。それぞれが、それぞれの特性を最大限重視して、尖っている必要がある。


故に、教科書的な言い方をすれば、それぞれを同じ袋に入れずに、出来るだけ分けるほうがよいとされる。本業/改善=親会社、イノベーション=子会社と分けて、親会社が経営に口を出さない体制をつくることが出来れば理想だし、同一企業内であっても、組織的には完全に分断すべきことがよしとされる。ただ、いくら分断しても、経営の最終判断としては、有限な資源を配分することが求められるわけだが、イノベーションのための合理的な最適金額など、どんな経営者でもそんなに簡単にひねり出すことなどできるものではないから、売上げ金額の一定比率を設定して、その範囲で自由に開発をやらせる、というのがまずスタンダードな手法ということになるだろう。



チューニングの難しさ


ただ、こういうことをそれなりの成功例を持って語られれば、さも自分たちもできるかのように錯覚しがちだが、本当にそうだろうか。これだけ聞いて、機械的に成功できるなら、日本企業もさほど苦もなくまた成功起動に乗っかって行く事ができるはずだが、どうもそんなわけにも行かないのが実情だ。その最適のあり方のマネジメントの具体的な進め方こそが難しい。


過去、この成功例として、PS、PS2で一世を風靡した、ソニー・コンピューター・エンターテイメントの例があげられたものだが、今ではすっかり過去の神話となっている。若干この例とは違うかもしれないが、ゴーン改革で目覚しい実績をあげた日産も、『ゴーン改革前は資産があったが、今はそれもない』と酷評されるような惨状で、すっかり色あせてしまった。成功フォーミュラをまとめたマニュアルがあっても、それをうまく適用できるかどうかは、まったく別問題だ。特に、改善/イノベーションの最適バランスのあり方は、日本の市場と社会が成熟するほどイノベーションの必要性が高まり、ファインチューニングがますます難しい課題になっている。



『ものづくり回帰』を冷静に見れば


そんな渦中で出てくる、『ものづくり回帰』は、どうもあまり素直に受け取れない。イノベーション、新価値創造を期待される中、自分達のかつての成功フォーミュラに執着し、成功体験から抜け出ることができなくなっている様子がうかがえるからだ。しかも、『必死の改善活動の成果=日本のものづくり』と短絡してしまっている印象がある。そういう『ものづくり』では、現状の日本の賃金水準と安定的な雇用維持を目的としているのであれば、それはもう無理と言わざるをえない。ちょうど、ほぼ同様の懸念を、著名なブロガーでコンサルタントの大西宏氏がも自らのブログで取り上げている。 大西 宏のマーケティング・エッセンス : 日本の目指すのが「ものづくり大国」であっていいの? 


もちろん、その体験と技術を持って、インドや中国等の、かつての日本の役割を今担っている国に出かけ、現地の給与水準をよしとして働く事も、立派な人生だ。現実に中国等から一番引き合いがあるのは、日本の高度成長を担った技術者だという。だが、いわゆる先進国の給与水準とライフスタイルを維持し、自分たちの後輩達にもそれを継承してもらうためには、このままではだめだということははっきりと自覚するべきだろう。


だが、悩んだ末に、やむなく昔の成功体験を頼って、『ものづくり回帰』に至ってしまった人達から、いきなりそのイメージを奪ってしまっては、むしろ混乱が大きいという懸念もある。おそらくは、それが、少なからざる人達が、日本再生を口にするときに、つい『ものづくり回帰』をあげてしまう理由もここにあるように思われる。



改善からイノベーションベースの『ものづくり』へ


では、『ものづくり』では、本当にだめなのか。私は、必ずしもそうではない、と考える。そもそも、『ものづくり=改善』というのは、あまりに矮小化したイメージだ。戦後の日本に時間軸を限定したイメージと言ってもいいかもしれない。時間軸を江戸期くらいまで広げ、『もの』を文学や絵画等の創作物まで広げれば、非常に創造性豊でイノベーティブなものづくりができるのが日本人といって大方間違いはない。近視眼が問題なら、すこし目を遠目にすれば、『ものづくり=イノベーション』であった日本人の姿はいくらでも見えてくる。まさにその一端が、日本のアニメ等の海外市場での高評価だ。


このように言うと、よくいただく反論は、それでは組織やシステム対応ができない、というものだ。所詮、個人のカリスマを生んでも、組織として取り入れることができないというわけだ。だが、今のような混乱期には、大規模な組織をつくってシステマティックに進めていくより、圧倒的な力量のある個人をできるだけ多く生み出し、その強い影響力が薫陶の形で伝わって行くことのほうが、企業の競争力を上げて行く可能性が高い。ここでも、過去の成功体験にとらわれない柔軟性が必要だと思う。システマティック、というなら、そういう個人が撰びたくなるような組織、人事のあり方こそ、きちんと研究してみるべきだろう。