セミナー『Augmented Reality(拡張現実)とイノベーション』


5月29日(金)に開催された、先端研究集団オーバルリンク 公開セミナー 2009年度第1回 『Augmented Reality(拡張現実)とイノベーション』に参加した。
http://blog.ovallink.jp/2009/05/20091-augmented-reality.html


開催概要は、下記の通り。


日時 :5月29日(金) 20時開始(19時45分開場) −22時
場所 :デジタルハリウッド大学 メインキャンパス
参加費:3000円(デジハリ学生は無料)
登壇者:

  芸者東京エンタテイメント株式会社 代表取締役CEO 田中 泰生氏

  クウジット株式会社 代表取締役社長 末吉 隆彦氏

  Nucode代表 中井ナオト氏



全般


芸者東京エンタテイメントの田中氏、およびクウジットの末吉氏とも、別のセミナーですでに今回の内容とほぼ同様のプレゼンテーションを拝見したことがあるため、今回は参加するかどうか迷ったが、個人的にAugmented Reality(拡張現実、以降ARと略称)には思い入れが強いこともあり、敢えて参加してみた。今回初めてだったのは、Nucode代表の中井ナオト氏だったが、中井氏のお話は、私が考えるARの範疇とは少々異なっていて、多少面食らったものの、意外な面白さを発見させていただいた気がする。(こういうのをセレンディピティというのだろうか。*1 ) だが、全体を通して言えば、私にとってあまり目新しい内容はなかった。


ただ、何より驚いたのは、会場を埋めた参加者の数である。金曜日の20時開始で、しかも有料(3,000円)という設定では、私の過去の経験では閑古鳥が鳴いてもおかしくないと思うのだが、デジタリハリウッド大学メインキャンパスの大教室(おそらく150人くらいは有に入る規模と思われる)が本当に満員だった。ARに興味を持つ人の数は予想以上に多そうだ。(AR を象徴するテレビ番組である、『電脳コイル*2 のことはほとんどの参加者が知っていたし、登壇者の田中氏が開発した、『電脳フィギュア』も、8割方知っていると答えていたところを見ると、かなりARの知識のある人が集まっていたと思われる。)


以下簡単に、各登壇者のお話について、私の感想を付記しておこう。(プレゼンテーションについては、それぞれのURLを参照していただければ、ほぼ同様のレベルの内容を把握することができると思う。)



芸者東京エンタテイメント株式会社 代表取締役CEO 田中 泰生氏


芸者東京エンターテインメント
もち肌ビジネスマン奮闘記(ブログ)
http://www.reveal-lab.com/mt/taisei/
電脳フィギュアとは
電脳フィギュア - 電脳フィギュアとは


自社のパッケージソフト製品である、『電脳フィギュア』によって、一躍日本だけでなく世界からARの寵児/最先端と持ち上げられた田中氏も、周囲の絶賛をよそに、必ずしも本人は満足していないのではないかと感じさせるプレゼンテーションだった。 他社に先駆けて、ARの視覚技術をビジネス化したという自負が一方でありながら、他方、ARの視覚的な表現に係わる技術はさほど新しくもなく、本当にARのビジネス化に重要になるのは、むしろ情報の検索に係わる技術だという。確かにそれは、『世界カメラ』*3 について、識者の間では繰り返し語られた論点でもある。現実世界と、電脳世界を重ねてみせる技術のほうは、現時点でもかなりのことができるものの、現実世界の情報収集/分析/絞込みに関しては、まだ相当に高いハードルがある。


ただ、ARの表現力に係わる技術自体についても(そのビジネス化という点においても)まだ高いポテンシャルと可能性を秘めていると私は考える。くしくも、田中氏が言及したように、ARは視覚に限定した技術体系ではない。聴覚はもちろん、皮膚感覚、味覚、さらにはもっと深い身体感覚に係わる領域を包括する概念だ。(このあたりの事情は、昨年春、日本のARの権威である、慶応大学の稲見氏や電通大の長谷川氏のGLOCOMのセミナーでのお話を聞いてまとめた私のブログエントリーがあるので、ご参照いただきたい。*4 ) インターネットにおけるIT技術は、一部を除けば、ここまで2次元的な視覚表現が中心で、身体の外側に境界線を引いて、その外側(画面の中)を発展させて来た。しかしながら、今後の日本の消費は、より一層人間の身体感覚全体に関わる、経験価値に比重が移ることが確実な情勢だ。IT関連技術でも、AR技術によって、身体性に関わる体験を豊かに演出することによるビジネスのブレークスルーは可能なはずだ。(もちろん、その技術の危険な側面には十分配慮が必要なことは言うまでもない。) 既存の価値体系を、『面白さ』という点で、すべて解体して組み換えようとする意欲とエネルギーと行動力に溢れた田中氏にこそ、ARを『電脳フィギア』の範囲に限定せず、身体感覚全体を総動員して、もう一度、世界を驚かす製品やサービスを生み出して欲しいものだ。



クウジット株式会社 代表取締役社長 末吉 隆彦氏


クウジット株式会社 | Koozyt, Inc.
ロケーションウェアの「空」と「実」
CNETJapanブログ)
末吉隆彦 リアルとバーチャルを行き来する ~ 空実日記 ~ - CNET Japan
『ロケーション・アンプ for 山手線』ビデオ集
http://service.koozyt.com/movies/locationamp/


クウジットの末吉氏は、Wi-Fi電波を使った位置情報を把握するビジネス、『Place Engine』で、業界でも有名な人だ。位置情報という『電脳フィギュア』の世界実現のためのインフラに係わる人、と言うことができる。今回のプレゼンテーションでも、『電脳フィギュア』のような物語世界のお話ではなく、現実のビジネス展開の可能性についてのお話しだった。このPlaceEngineの業務用途について言えば、従来では考えられなかったようなデータが安価に収集できる可能性を切り開いたということができるかもしれない。規模の小さな企業でも豊かなデータを手にするということは、企業間の競争は、このようなデータ保有の可否(従来それは高額なだけに、一部大企業の独占物だった)では決まらなくなるということを意味するどのように生かして使うか、という知恵の部分がより重要になる。いわゆる大企業のイノベーションのジレンマを後押しするツールになるかもしれない。


末吉氏と言えば、私個人的には、5月15日にiPhone のソフトとして発表された、『大江戸妖怪集』*5のほうにより興味がある。これは、都営大江戸線の各駅ゆかりの妖怪(38の妖怪)の解説が参照できて、妖怪を召還するというゲーム的要素もあるソフトだ。(私は発売と同時に購入した。) 今後、PlaceEngineを利用して、ユーザーの位置情報に関連して、自動的に妖怪を召還する機能が追加されるという。


地域に住まうのは、人間だけではない。本来、魑魅魍魎や伝説、土着の神々、昔話、怪異等もそこに共存している。そしてその奥行きの深さこそ、その土地を豊穣にする。それは、土地が土中の虫や菌類によって肥えて豊かになるのと同じだ。いわゆる、『郊外化』され『無菌化』されて、怪異が地元のコミュニティーとともに根こそぎ取り除かれた土地には、妖怪は住まないかもしれないが、人間も住めないだろう。妖怪を呼び戻すことは、人間が生きることのできる空間を取り戻すことと同義だと私はかなり真剣に考えている。末吉氏がどのような意図を持ってこのソフトを世に問うたのかはわからないが、位置情報を土地の妖怪を追い払うようなビジネスのツールとするより、猥雑だが豊かで、濃密な空間を取り戻すことに使って欲しいものだ。アニメ『電脳フィギア』の隠れたサブテーマはそんなようなところにあると、私は常々考えている。




Nucode代表 中井ナオト氏


Design and Media Technology Blog by nucode
未来楽器コンセプト(叩き台メモ)
未来楽器コンセプト(叩き台メモ): Design and Media Technology Blog by nucode


中井氏のことは今回初めて知ったが、お話を聞いた限り、やや雑駁な言い方をすれば、『直感的にパネル上で操作できるシンセサイザー』の開発に従事されているようだ。確かに最近では、低コストながら、従来では考えられなかったほど複雑なシンセサイザーを作成することができるようになっている。ちょうど、中井氏のブログでも紹介されていたが、私もiPhoneのソフトとして、『Jasuto』は既に購入して試していたので、中井氏の開発されている楽器のイメージはこれにかなり近いという印象を受けた。( *6このソフト、中々に高機能なのだが、わずか¥230である。興味のある方は是非試してみて欲しい。)


また、システムとして安価で高品質なものが個人として入手できるだけではなく、ネット上の様々な断片を利用して、音楽を創り上げることができるようになってきている。その驚くべき典型例として、中井氏もプレゼンテーションで取り上げたのは、最近youtubeの作品として大変話題になった、イスラエルの Kutiman (Ophir Kutiel) 氏による素晴らしい YouTube マッシュアップである。Kutiman-Thru-you - 01 - Mother of All Funk Chords - YouTube まったく個別に個々の楽器を演奏したり、歌ったりしている画像を、さも一体のオーケストラやセッションのようにまとめ上げて一つの音楽として再構成してあるのだが、信じ難いほどのできばえである。膨大に時間がかかったであろうご苦労もさることながら、これだけのことが可能となったインターネットの懐の深さというか、圧倒的な情報量にあらためて感動してしまう。このごとく、インターネットにある様々な断片が織りなす、うねりのような躍動に、シンセサイザー等の音楽できっかけを与えると、いわば、『インターネットの躍動音』のようなものが抽出できる。音楽家であれば、新たな創造欲がかきたてられるのも当然だろう。今後の展開が本当に楽しみだ。