宮台真司氏の『14歳の社会学』について


評判のいい本


宮台真司氏の『14歳の社会学*1が評判がいい。そして、この手の本としては本当によく売れているようだ。私も発売されて早々に購入し、すぐに買ってみた。理論の書というよりは、非常に率直な心情吐露で綴られたエッセーという印象なので、少々面食らったが、それだけに他の著書には見られない意気込みも感じられる。これはきっと売れるだろうなと、私も感じたものだ。

ただ、当時は、特に書評を書こうとまでは思わなかったのだが、最近になって、宮台氏が長く危惧してきて、今回この本で取り上げているテーマが、様々な形で社会の中に現れて来ている実態を見るにつけ、今感じた事を書き残しておこうと考え直した。



型破りな人物


あらためて言うまでもないことかもしれないが、宮台真司という人は、学者としては型破りで、自分の人生自体が驚くべきフィールドワークの現場となっている感じだ。援交少女の調査など有名だが、自分自身もナンパ師であったことをあからさまに語る率直さは、学者でなくてもなかなか類例を見ない人と言える。また、この『14歳の社会学』ではなく、どこか別の場で言われていたことだが、ゲーマーとしても相当ならした腕前だそうだ。渋谷などのゲームセンターでは軒並み宮台氏がたたき出した最高点が刻まれていた時期があったという。


普通こういうタイプの人は、堅苦しい勉強などまっぴら、となるのではないかと、我々のような狭い常識にとらわれがちな人間は考えてしまうのだが、宮台氏は学者としての勉強/読書量も半端ではない。そういう世にも稀なミックスが宮台氏を勉強しか能のない象牙の塔の中の学者や官僚と一線を画した論客として際立たせているようだ。興味深いことに、彼に影響を受けた若手や弟子筋はそのスタイルまで受け継いでいるように見える。例えば、東浩紀氏や鈴木謙介氏など、オタクであったりミュージシャンであったりというスタイルやアイデンティティーを保ったまま学者であろうとすることに、一種の美意識を感じているようだ。



友達をつくるスキル


宮台氏が『14歳の社会主義』で語るメインテーマの一つは比較的シンプルだ。煎じ詰めれば、『勉強するのはいいけど、友達をつくるスキルを磨いていかないと、歳をとってから後悔するよ』ということだろう。それは、宮台氏の人生経験から来る直観であると同時に、社会学の研究に裏付けられた確信でもある。日本が右肩上がりの高度経済成長をしているときには、『他のことはともかく、勉強して少しでもいい大学に入っておかないと、歳をとってから後悔するよ』というのが、普通の大人が子供に諭す言葉だった。そして、それは今にして思えば多分に幻想ではあるが、当時の状況では、多少なりともリアリティがあった。学歴秀才は競って官僚や大企業を志ざして、それらの組織は学歴と忠誠があれば、一生それなりの処遇をすることを(暗黙の了解がほとんどとはいえ)約束していた。我慢をしてその組織に居続ければ、所属する共同体もある。それなりに完結したシステムに見えた。ただし、右肩上がりの安定成長という前提さえあれば、だが。



 秋葉原連続殺傷事件』の悲劇


しかしながら、その前提はもはや崩れ、同時に学歴秀才も学歴だけでは、生涯のパスポートを手に入れたことにならない時代になった。それどころか、無理をして自分の実力以上の学歴を手に入れようと、勉強以外のことを無視するような時間の使い方をすると、つまり、友達もつくらないで入学試験の勉強ばかりしていると、それ自体非常に大きなリスクを抱える社会になった日本社会のあらゆる共同体は崩壊過程にあり、自分で交友関係をつくり、自ら努力して、何らかの共同体への所属を勝ち取らなければ、年齢を重ねるほど状況は難しくなる。そのことを象徴する悲劇が、昨年起きた。いわゆる、『秋葉原連続殺傷事件』である。報道では、犯人の両親は、どうやら過去の『学歴さえあれば』という思想の信奉者であったようだ。犯人の言動を見ても、どうやら『友達づくり』はあまり学んでこなかったことが感じられる。これは、この事件について、当初から宮台氏が主張していたことでもある。



バイバルに必要な知恵


戦後最大の不況期の中、ある程度予想されたことではあるが、昨年の12月時点で、生活保護世帯は過去最高の115万9,630世帯に達している。*2景気はいまだ底が見えず、年度末で派遣切りも進んでいることから、まだ過去最高を更新し続けている可能性が高い。最低限の制度が万が一にも機能しなくなると、社会不安が深刻なことになりかねず、財政逼迫のおりではあるが、何としてもやりくりしていく必要があると思うが、ことは経済だけの問題ではない急激な社会の変化についていけない脱落者が大量に生み出されている。その多くは高齢者が占めることになるが、新しい社会システムの新常識に順応できずに、情動を爆発させるしかなくなっている高齢者の様子が、藤原智美氏の著書、『暴走老人』*3に多くの事例とともに描かれている。そして、それは実年齢での高齢者というより、社会に順応できない多くの人々に一様に該当することでもある。具体的事例は今では身近にも沢山見かけるようになった。方法はどうあれ、『友達作りノウハウ』こそ、サバイバルに最も必要な知恵であることは明らかだ。



勉強する動機


そして、もう一つ私にとってとても印象的なことが語られている。勉強する動機の問題だ。

こういう「感染動機」からものを学ぶやり方を多分君は知らないだろう。これ以外の「競争動機」や「理解動機」で先に進んでも、砂粒のような知識の断片が集まりがちだ。「感染動機」だけが知識を本当に血肉化できる。なぜなのか。「競争動機」は競争に勝った喜びの瞬間。「理解動機」は理解できた喜びの瞬間。これらの瞬間を求めて、君はやる気を出す。「感染動機」は違う。スゴイ人に「感染」して何かをしている時間が、すべて喜びの時間ー瞬間じゃないーになるんだ。だから「感先動機」が最も強い「内発性」をあたえる。「内発性」とは内側からわき上がる力だ。 『14歳からの社会学』P137〜138


「感染動機」なのかどうか、若干の違いはあるかもしれないが、自分の経験の中でも、勉強に取組むことで、想像もしなかったような大きな喜びが押し寄せる瞬間、というのがある。私の場合、それは小さな雲の隙間からほんの少しだけ蒼い空が見えたという程度でしかないが、それが一生忘れることのできない経験だったりする。ほんの一瞬の経験であっても、いったんこれを経ると、勉強は手段ではなくそれ自体が目的になる。私の場合、それをかいま見させてくれた恩師は、一生の恩人だと思っているし、もっと深く広くそれを経験した人は歴史上にも沢山いた形跡がある。




手段ではなく目的としての勉強



宮台氏は、今の社会からは「感染動機」が消え、内発性によって学ぶ学生はほとんどいないという。これは大変残念なことだ。人は生きる上で、どんなに友達に囲まれて楽しくいたいと思っても、様々な事情でそれがかなわないこともたくさんある。ある場合には、あきらかに自分の周囲が間違っていて、『栄光ある孤立』を選ばざるを得なくなる事もある。そんなとき、この『内発性によって学ぶ事の出来る人』は、孤独に耐える力がある。そういうレベルの高い孤高の人が高いレベルで対話して、より純度の高い成果を上げて行く事ができる社会、それはかつて私がしばし夢想していた社会だった。


今の子供の多くは、すでに小学生くらいのころから、勉強=手段と見切って、先生をバカにして、それ以外の境地があることを探求しようともしない。実にもったいないことだと思う。しかもその結果、孤独を怖れ、ピンとアンテナを張って周囲の空気を読む事を第一義としている。何だか本末転倒な話だし、ストレスがたまって生きるのがイヤになるのは当然だと思う。


私がこの本を14歳のころに手にしていたら、どう感じただろうか。少なくとも私はこの本で語られているようなことはかけらも知らないただのバカな14歳だった。多分たいていの14歳は今でも同じようなものではないだろうか。そういう意味では、14歳を子供に持つお父さんやお母さんにこそ、よく読んで考えてみて欲しい本だ。

*1:

14歳からの社会学 ―これからの社会を生きる君に

14歳からの社会学 ―これからの社会を生きる君に

*2:生活保護受給は過去最高の115万世帯 : J-CASTニュース

*3:

暴走老人!

暴走老人!