謎のキーワード『アンビエント』は探求すると奥深い

アンビエント・メディア』の研究室


ヒマナイヌ代表の川井拓也氏によれば、自身が専任教授を務める、デジタルハリウッド大学*1に『アンビエントメディア』の研究室をおいて、8月からゼミで活動を開始する予定だという。(現在すでに、『アンビエントメディアラボ』というネットワーク機関をFacebook上に置いて研究中) *2 

http://www.himanainu.jp/~mt/public_html/2008/04/post_78.html



言葉の意味がよくわからない?


アンビエント』とか『アンビエント・メディア』とか言われても、なんのことやらさっぱりわからないのではないだろうか。正直なところ、私自身もそうだ。『アンビエント・メディア』と言えば、消費者を取り巻くすべてのものをメディアとして捉える、広告宣伝のコンセプトの一つとして、ぼんやり認知している程度で、川井氏がここで使おうとしている意味と同じとも思えない。また、音楽に詳しい人なら、『環境音楽』を連想するかもしれない。確かに、『Ambient Music』を提唱したのは前衛的な音楽家としても名高いブライアン・イーノ*3である。ただ、あまりこの言葉の由来や意味にこだわると、かえって混乱してしまいそうだ。ここは、川井氏の、『環境に溶け込みユーザーが意識せずに接触するメディア』という定義をできるだけふわっと受け取ったほうがよい。(英英辞典をひくと、『ambient = completely eveloping』とあり、これは『完全に包まれていること』という意味なので、まあ大方そんなような意味なのだろう。)



具体例


川井氏が言及する研究対象は次のようなものだ。

デジタルフォトフレーム、フラットTV、ナバズタグ、チャンビーなどのデバイスやサービス、iPhoneやPC、大型テレビなどをスクリーンセーバー的に活用する技術、電車のドア上にあるトレインチャンネル、ユーザーが蓄積するログを解析しコンシェルジュ的にフィードバックするテクノロジー

http://www.business-design.co.jp/nabaztag/
価格.com - デジタルフォトフレーム | 通販・価格比較・製品情報
http://www.chumby.jp/
トレインチャンネル - Wikipedia


中でも最近、販売好調が伝えられる、『デジタル・フォトフレーム』をその『アンビエント』の代表例として取り上げている。
http://www.himanainu.jp/~mt/public_html/2008/06/canvasonline_cp1.html

デジタルフォトフレームという聞きなれないジャンルの商品に強い関心がある。それはフォトフレームという環境に溶け込む形状をデジタル化したデバイス。このジャンルのデバイスが完全にインテリジェントになったらどうなるだろうか? ケータイの操作は苦手。パソコンなんてもってのほか。そんな人もプレゼントにもらったデジタルフォトフレームを机に置いておくと孫の写真がどんどん表示される。4月2日には入学式の写真が表示され夏休みにはプールで泳ぐ姿が。秋には運動会で元気に綱引きする姿が。沖縄にいるのに東京の息子夫婦が撮った写真が更新され続ける。デジタルフォトフレームが持つ可能性とは、こうしたシーンにあると思う。それは環境に溶け込み、当たり前のような顔をしながらデジタルな芸当をやってのける。 http://www.himanainu.jp/~mt/public_html/2008/04/post_78.html


重要な概念


普段なら、読み飛ばしてしまうであろう、この文章やキーワードが、妙に心に残った。これは、どうやら、私が最近考えている、物が溢れ、飽和してしまった市場でのプロダクトやサービス(Weサービスを含む)のあるべき進化の方向として想定している、『シームレスな自然との調和』に通じるコンセプトだからだろう。近年、『しゃかりきな経済成長路線への疑念』を表明する人はすごく多いから、このような話題もさほど珍しくないと思う人も多いかもしれない。だが、巷の意見を注意深く聞いていると、どうも根本的に間違えているのではないか、と感じる事が多い。しかもこれは日本の会社の多くが海外の企業との競争に負け始めていることと、おおいに関わりのあることと私には思える。



理解が違う


例えば、川井氏も例にあげている、iPhone、(というよりiPhoneに代表されるアップル製品全般)の成功の秘密として、アップルの持つ独特の美意識、特にそれが体現されたインターフェイス(UI)のことに言及する人は多い。だが、大抵の人はそれを単なる『視覚的な美しさ』や『デザインの良さ』としてしか理解していないだろう。 しかも、色の美しさ、画面の鮮明さなどをデジタル数値に還元して、数値競争の議論に持って行こうとする人が多いのには、閉口してしまう。 そんなことだから、いまだに携帯電話のカメラでさえ、不毛な画素数競争が続くことになる。直近では、何と1200万画素を超えるレベルの争いになっているようだ。そんな中、iPhoneのカメラは、わずか200万画素だが、私は今までで一番写真を撮っている。理由は単純、楽しい写真が撮れるからだ。




人間のための感動表現


もちろん、デジタル的な美しさの価値を一概に否定しているのではない。ただ、人間が感動する美とは何か、ということへの理解が欠落しているのが問題だと思うのだ。ここのところは、 米マサチューセッツ工科大学メディア・ラボ教授の石井裕氏がブログで書かれている内容が、あまりに我が意を得たりという感じなので、全文引用したいくらいなのだが、そうもいかないので、最も印象的な部分を以下に引用する。


「感動を呼ぶデジタル表現とは何か」という議論をよく見聞きする。その文脈では、「臨場感」と呼ばれるゴールに向けた高解像度の映像や音響によってオリジナル情報の忠実な再現性を論ずる人が多い。クロード・E・シャノンの通信理論的な、ロスやノイズの少ない忠実な信号伝達と信号変換が感動を呼ぶという発想。これは、人間のための感動表現という視点ではなく、むしろ機械的(あるいは電気的)な見方だといえよう。


感動とは、細部まで高精細に表現し尽くした臨場感を提供する「完成作品」の中ではなく、適度な抽象度で表現された未完の作品を、鑑賞者のパーソナルな人生経験によって補いながら解釈するプロセスの中にこそ生まれるものだと私は考えている。その意味で、映画やテレビよりも詩や小説のほうが、一層深い私的な感動を呼び起こすチャンスが高い。

ASCII.jp:表現と感動:具象と抽象 (2/3)|石井裕の“デジタルの感触”

ここで語られる『人間のための感動表現』というのは非常に重要な概念のはずだが、昨今の商品やサービス開発現場でもこの観点が欠落しているケースがあまりに多い。石井氏もそういう現状を嘆いて、次のように言う。


デジタル化の利便性や効率性、経済性を論じる前に、感動を呼ぶ表現とは何なのかという本質的な議論をまずしっかりと行う必要性を強く感じている。そしてその次に、そのような感動を呼び起こすために、デジタル技術がどのような役割を演じられるのかを考えるべきだろう。残念ながら、世の中では議論の順番が逆になっているような気がしてならない。
ASCII.jp:表現と感動:具象と抽象 (2/3)|石井裕の“デジタルの感触”

日本人の美意識に期待したい


先日参加した、gooラボ「ネットの未来カンファレンス」でパネラーとして登壇した、マイクロソフトの楠氏は、『日本の技術者には、アップルの製品など自分たちなら簡単につくれるという人が多いが、大抵製品だけ見ていて、スティーブ・ジョブズがアップルを一度辞めてからの苦闘を知らないようだ。それでは、けしてアップルのような製品をつくることはできない』という趣旨のお話をされたが、私も本当にそうだと思う。



現代の日本の市場飽和というのは、人間不在の商品開発の帰結という見方もできるのではないか。日本の携帯電話など、一方で世界一の技術の結晶であることは事実なのに、『ガラパゴス』と揶揄されるような荒涼としたイメージがつきまとうのもどうもこのあたりの現状に原因の一端があるように思えてならない。ただ、日本人本来の美意識は、世界にひけを取るどころか、本来これからの世界をリードできる普遍性を持つレベルの高いものだ。視点を据え直して、過去の成功体験にとらわれない謙虚さを持ってあたれば、アップルの到達した境地を超えて行く事も充分可能なはずだ。そういう意味でも、川井氏や石井氏の活動は非常に楽しみで、注目してみたいし、キーワードの『アンビエント』も、もっと探求してみたいものだ。