gooラボ「ネットの未来カンファレンス」に参加して考えたこと

3月29日(日)にNTTレゾナントの主催で開催された、gooラボ「ネットの未来カンファレンス」に参加した。


概要は下記の通り。

■イベント名:「ネットの未来カンファレンス」

■イベントHP:http://labs.goo.n

■日時:3月29日(日)13時〜18時 (開場12時)

■会場:日石横浜ホール(みなとみらい)


カンファランス開催の趣旨/意図は下記のとおり。


gooラボ ネットの未来プロジェクト」の第三弾はカンファレンス。インターネットに夢やワクワクを、どことなく行き詰まりやサービスの出尽くし感があるネットを、第一線で活躍する若手研究者、経営者がユーザーの皆さんと一緒に考えます。


このテーマを以下の蒼々たるパネリストが参集して、テーマを3部構成に分けて議論が行われた。


テーマパネル1: 拡張する身体、現実

雨宮 智浩(NTTコミュニケーション科学基礎研究所)
加藤 茂(ニコン
小林 亜令(KDDI研究所)
濱野 智史(日本技芸)
司会・進行 本橋 健(NTT情報流通プラットフォーム研究所)


テーマパネル2: 情報洪水時代の情報探索、キーワードの先へ

石垣 陽(セコムIS研究所)
大向 一輝(国立情報学研究所
澤村 正樹(NTTレゾナント
中谷 桃子(NTTサイバーソリューション研究所)
司会・進行 徳力 基彦(アジャイルメディアネットワーク)



メインセッション: 「ネットの未来放談・大喜利

パネリスト
猪子 寿之(チームラボ)
岩佐 琢磨(Cerevo
楠 正憲(マイクロソフト
森 正弥(勉強会コミュニティGnZ)
司会・進行 藤代 裕之


パネリストの詳しいプロフィールはここから。
ネットの未来カンファレンス、登壇者プロフィール - gooラボ スタッフブログ



停滞感のあるネット業界


昨今の日本のネット業界は、存亡の危機に瀕している輸出型製造業とは違って、また、ITバブル崩壊の時期とも違って、天地がひっくり返ったような状況というわけではないが、何とも形容の難しい停滞感がある。目の前にやる事が溢れ、誰かに語ってもらうまでもなく各自が未来の希望を胸に抱いている時には、漠然と未来を語る、というような趣旨のセッションにはあまり人は集まらないかもしれないが、何かきっかけを掴みたいと思う人が多い現状では、タイムリーなテーマ設定と言ってよさそうだ。もっとも業界に停滞感はあっても、市場環境のほうは以前にも増して激変し続けている。ちょっと油断して目を離すとあっという間において行かれてしまう。必死について行こうとしても、情報の量はますます膨張し続け、しかも玉石混淆だ。うっかり石をつかむととんでもないことになりかねない。こんなときは、じっと耳をすまして、本当に正しい事を聞き分ける能力を研ぎすますことも、競争に勝ち抜く上では重要な要素だろう。そんな思いが繰り返し去来する中、パネラーのお話を聞かせていただいていた。



未来の分別


『未来』と言っても、ごく近未来、ビジネスの成否をかけてしのぎを削るべきレンジと、中長期的な未来とはかなり意図的に区別しておかないと、話が噛み合なくなる。また、技術的な能力向上により、あきらかに現在の延長上に実現するであろうことは、(もちろんそれ自体は、特に具体的なビジネスを考えるにあたっては死活的に重要ではあるが)多少抑え気味にしていだだいたほうが、カンファランス全体を引き締める効果もあったのではないか。時間に余裕があったせいかもしれないが、少々そういう意味での冗長感もあったように思う。ただ、全体的には(多少冗長になったきらいもありながら)随所に面白い話も聞けて、充分満足のいくセッションだった。



最も興味深かった濱野氏のお話


全体を通して、私が最も興味深く聞いたのは、日本技芸の濱野氏のお話だった。濱野氏が登壇されたのは、第一部(拡張する身体、現実)で、Augmented Reality(拡張現実、以降ARと略称)*1 の未来を主として語りあうセッションだったが、この技術が人間の感覚や身体と深く関わりを持ち、テクノロジーと身体との関係、そしてその中での人間と人間の関係という、非常に人間側のあり方が問題になる領域であることは巷間言われて来たことだし、少なくとも、この前提を抜きには、リアリティのある議論にならない。



コミュニケーションのツールとしてこそ


中でも、濱野氏は、世界に類のない日本の特徴的な(空気の読み合いという)コミュニケーションの現実を最も重視すべきで、昨今のARの技術的な進化のみが強調される議論には不満があるというご意見だ。(大方下記のような内容だったと思う。もし間違いがあればもちろん修正してお詫びしたい。)


ARの進化にとって、提供する情報をどう埋め込むかという議論が先行しているが、人と人との関係にどうメタデータをつけるかのほうが重要だ。そういう意味で、『Augumented Sociality』という考え方を提唱する。例えば、講演している時に、自分に対する目線などの、その場の文脈やコンテキストがわかるようにすれば、日本では受けるはずだ。コミュニケーション拡張ツールとして発達した日本の携帯電話のような発展をしたとき初めて、ARは普及するはず。


そして10年後の未来を以下のように語る。

現実空間で、ARが使えるようになると、マーカーとして本来最も使いやすい、人間の顔がどんどん使われるようになる。AR技術で、すぐに会場の人を顔認識を通じて把握し、その人の過去の行動履歴、他の人との関係等も瞬時にわかって眼前に表示されるようになるのではないか。プライバシーが危機にさらされる状況が想定される。同時に、『2ちゃんねる』や『はてなブックマーク』等で過去に問題視されたような、ネガの部分が現実空間にどんど流れ込んでくるということでもある。

空気を読むことを強調(強要?)するのは日本に特有のことを思われる。人間の細かな機微まで含めたコミュニケーションなど、他の国では聞いたことがない。Socialな方向で発展するとすれば、ARは日本だけ異様に発展する可能性もある。そういう意味でまたガラパゴス化することは容易に想像できる。


本当に問題になるのは


ARに限らないが、この種のテクノロジーやサービスがビジネスとして日本で成功する秘訣と同時に、予想される深刻な問題が非常にクリアーに表明されている。AR技術が人をワクワクさせる一つの要素は、創造性豊かな仮想物をつくり、現実という固く閉じた世界をファンタジックに彩り、現実世界自体を仮想へと引きずり込める可能性にある。だから、そういう意味で実現して欲しいことについては、無邪気なまでに沢山アイデアが出てくる。(関ヶ原の闘い、鬼ごっこ、タイムマシン等々) だが、もっと注目すべきは、人間が外から楽しむものではなく、人間の身体や感覚自体、そして人間関係が拡張したり世界にとけ込んで行くものになったとき、どうなるのかだ。非常に活性化する可能性はあるが、一方で重大な危険も隣り合わせだ。



人間の側の問題


第三部にまで繋がる、ネットの未来を考えるにあたり、パネラー各位が異口同音に語ったテーマの一つに、「ネットに応対する人間の能力の限界』の問題がある。人間はその能力を技術に託して拡張することで文明を築いて来た。中でも、視覚や聴覚(その中でも特に視覚)を拡張することについては、特に発達したと言える。そして、ネットは視覚や聴覚の拡張を通じて、さらに思考や記憶を大きく拡張してきた。人間の対応能力はすばらしいものがあり、実際ものすごいスピードで進む進歩にも対応してきた。


しかしながら、昨今の進歩のスピードは、NTTコミュニケーション科学基礎研究所の雨宮氏も言われるとおり、早過ぎる。しかも、外延された部分は当初の想定を超えてデフォルメされて、それ自体異様な発達をとげ、場合によっては人間の外的な疎外物になりかねない状況もある。少なくとも、人間の全体性が維持できなくなる危機を感じる人が多くなっている。また、人間の動物としての身体の許容量を超えると、如何に対応能力のある人間も、どこかで決定的にバランスを取れなくなる恐れもある。


しかも、従来は視覚や聴覚に比べて、テクノロジーによる外延があまり問題にならないかった部分(触覚、嗅覚等)も、いよいよAR技術による挑戦を受けて行くことになる。加えて、ただでさえテクノロジーで拡張され、ある意味高密度になった人間関係(女子高生の頻繁なメールの交換等)がさらに、まさに濱野氏の言うように、テクノロジーによってさらに拡張されていくとすると、予想もできなかった人間能力の崩壊が起きてくる怖れも充分に予想される。グーグルのストリートビュー等への過剰とも言える世論の反発の背景には、このような潜在意識的な危機感もあるのではないか。



分岐点にいる自覚


第三部で、マイクロソフトの楠氏は、情報を足して行く事ではなく、如何に『引いて行く』かがこれからは重要になる、という趣旨の発言をされたが、確かにネットの未来を正しく発展させる上での『キー・コンセプト』になっていくように私にも思える。10年後、ビル・ゲイツ氏は、『ネットは一日一時間。ネット以外にもっと時間を使え』と言うのではないか、とする楠木氏のお話は、その点で実に示唆的だ。 


もちろん、増え続けた情報が今度は減ればよいというような、単純な量的な問題ではないことは言うまでもない。従来はネットの領域では必ずしも注目されていなかった、人間の身体、感覚、感情、全体性等を、いわばホリスティック*2に把握し直して、その方向にでテクノロジーを発展させていく、という視点がないと、今のままではネットの未来は暗い展望しかなくなってしまう。逆に、これをフロンティアと考えれば、明るく発展的な未来がある。言わば、分岐点を差配する重要なところにいることを知る、これが、ネットに関わるすべての人の共通課題になっているのだと思う。



情報環境対応技術


物理的な環境問題は今大変重要な問題だが、情報に関わる環境問題もそれに劣らず重要だ。物理的な環境保全の技術、所謂『グリーンテクノロジー』が未来志向の技術というなら、ネットによる、情報に関わる環境の改善技術も未来志向の明るい領域のはずだ。そして、そのために必須なのは、チームラボの猪子氏の言われるような、センスの良い文化、そういう意味での創造性がもう一つの鍵となる


情報は整理すればいいものではなく、技術は無限定に進めばいいものではない。楽天技術研究所の森氏の言葉を借りれば、『いったんばらばらに分解された後、新しいテーマによって再構成される』必要がある。その中で、日本文化の持つ可能性は単に日本の競争力向上ネタ以上の意味があるように思える。物理的な日本の環境技術に注目が集まっているが、情報環境技術という意味でも日本が世界をリードできる明るい未来はあるのではないか。


御礼


ちなみに、今回のエントリーでは、パネラーの具体的な発言についてはほとんど取り上げなかったが、実のところ大変示唆に富む、面白い話は沢山あったことをあらためて強調しておきたい。これを機会に、パネラーの方々の他の場でのご発言に注目してみたいと本当う。パネラーにも、今回のセッションを企画運営された方々にもあらためて、感謝の意を表したい。