日本再生に本当に必要な智慧が忘れられている

物語の終焉


日本の社会から物語が消えた、という認識は、今では広く共有されてきているといってよいと思う。その事を考えるにあたっては、以前私のブログでも取り上げた通り、社会学者の見田宗介氏の時代分類(定義)は非常にわかりやすく、最近活躍する若手の社会学者もここを出発点としている人が多いようだ。その分類をあらためて振り返るために、私の過去のエントリーを以下に引用してみる。

見田氏は、戦後から現代の日本社会を、理想の時代(1945-1960)、夢の時代(1960-1975)、虚構の時代(1975-1990)に区分し、豊富な実例を用いて人々の価値観の変遷を説明されている。敗戦直後、人々はアメリカをはじめとする諸外国に羨望をもち、それらの国々の提示する暮らしや政治、思想などが「理想」として人々に共有されていた。やがて高度成長期を迎え「夢」が次々実現し、誰もが明るい未来を信じる時代が続く。そうして先進国の仲間入りを果たしたと思ったら、今度は「虚構」が社会を覆うようになった。現代は、「虚構」の言説が浮遊し、リアリティが脱臭されている時代だという。
わかりにくい社会/市場の羅針盤 - 風観羽 情報空間を羽のように舞い本質を観る


ただこれでももしかすると、社会学に知見の薄い普通の人には、まだわかりにくいのかもしれない。非常に単純に言えば、太平洋戦争でアメリカに徹底的に破壊し尽くされた日本が、圧倒的な物量と豊かな社会を持つアメリカに憧れ、少しでも近づきたいと懸命に働き、気がついてみると経済的には、一度はアメリカさえも脅かすくらいに成長したものの、いざアメリカが手本とならなくなってみると目標を喪失し、しかもあまりに働いてばかりいた反動で、社会全体が燃え尽き症候群のような有様になってしまった、というくらいの理解でも大筋間違っているわけではなく、これなら誰でもわかるだろう。



ではこれからそうすればよいのか


だが、現状認識に大方の同意ができたところで、ではこれからどうなるのか、どうすればいいのか、という点になると一向に焦点が定まらず、五里霧中というのが今の日本だ。政治が混迷していると言い、自民党政治の賞味期限切れとも言う。実際そのとおりなのだが、その先のビジョンや代案が見えているわけではない。政治家だけの問題ではない。企業もまったく同じで、今、自信を持って明確なビジョンを語る経営者を見つけることは大変難しい。一方で、そんな日本に見切りをつけて、海外に目を向けて行くべきとする議論、先進国共通の問題として『クリエイティブ』の実現に舵を切るべきとする議論、衰退を前提として如何に生きるかを模索すべきとする議論等、それぞれわりに説得力のある論客もおり、中には充分に納得できる優れたものもあるのだが、今の日本人が触発されて、まとまって歩き出す力になるようには、私にはどうしても思えない。


歴史上、どんなに勢い良く伸張した国でも、どこかで頂点を超えて成熟する(衰退する)局面がやってくる。その点では、中西輝政氏の『大英帝国衰亡史』*1はかなり前に出版された本だが、あらためて読んでみると、むしろ今のほうがリアリティがある。(しかも、今なら、アメリカを想定して読むと、一層の感慨がある。)だが、困ったことに、この本を読めば読むほど、今の日本は『成熟』に向かってゆっくりと余裕を持って進んでいるとは思えず、むしろ歴史の教訓を生かせず沈没したり、破局に向かった国の方の側にあるのではいかと思えてくる。この本に触発されて、私も大英帝国だけではなく、衰亡論ではよく引き合いに出される、ローマ帝国をかなり詳しく調べてみたりもした。実際、驚く程の教訓に満ちており、目から鱗の体験を山ほどした。だが、日本人や日本には、どうしてもこれだけでは理解し切れない何かがあることを、かえって強く感じることもにもなった。



日本は特別?


最近、『人間の覚悟』*2という本を出した、作家の五木寛之氏も、日本は戦後、一種の『躁』状態にあってひたすら山を登って来たが、すでにピークに達して山を下り始めている、というご意見だ。これはすぐに終わるようなものではなく、50年単位で考えるべきもので、これからは山を降りることを前提に、国のあり方を考えるべきと言われる。そして、それは必ずしも悪いことではなく、山は降りる時にこそ、その色合いや味わいがわかるものだとも。


五木氏の意見には、日本的な宗教観や死生観が背景にあり、単純な経済的、政治的な栄枯盛衰論だけではない含蓄があるのだが、それでも現代の普通の日本人にとって、何を目標にすればいいかさっぱりわからないのは同じではないだろうか。なぜこれほどまでに行き詰まってしまうのか。それは、おそらく、日本人の成功イメージ、目標意識が『経済的な繁栄』に掬い取られ過ぎてしまったことと無関係ではないと思う。誰もが胸に手を当てて考えてみて欲しい。自分や自分の家族の経済的な発展以外に、達成したい理想や目標は浮かんで来ただろうか。国の発展、隣人愛、芸術、宗教等への情熱、そのようなものは理想でも目標でもない人が多いのではないか。


だが、どうやらその日本も、経済一元化では立ち行かなくなって来ているようだ。若者の『物欲の希釈化』や『立身出世主義への忌避観』もその徴候と見えるのだが、どうだろうか。だから、経済一元化を前提にすると、フロンティアを海外に求めざるを得なくなる。現実にそういう意見はすごく多い。



もっと大きな歴史の節目


最近私は、日本の中長期的な将来展望を考えるにあたっては、上記のような時代区分より、もっと大きな日本の歴史の節目(転換点)があり、実はそのことの本当の意味を知ることのほうが、ずっと重要なのではないか、と考えるようになった。それを、内山節氏の『日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか』*3という本に教えられた。


何とも突拍子もないタイトルに、この本を手に取ることさえやめてしまう人も多いのではないかと思う。だが、これは驚くべき本だ。せっかくなので、書評は別にあらためて書こうと思うが、あまり煙に巻かずに結論から言うと、1965年頃を境にして、それまで『キツネにだまされる』ことに象徴される、自然と共生する、というか、自然の一部として存在していた日本人が、自然やその根拠地であった村から自らを切り離し、自然の声を聞く事も感じることもできなくなった、というのである。これを読むと、村落共同体というのは、単なる人間集団という以上に、自然との一体化を最も高い価値として生きていた日本人にとっては、人間集団を包摂する自然の中にある入り口のようなものであったことがわかる。自然は外にあって相対するもの、収奪するものではなく、人や村全体を生かすものであり、大いなる安心と宗教心の源泉だったと言える。


そこから引き離されてどうなったかというと、価値はまさに経済に一元化された。確かに、神国日本を物量で圧倒した米国の経済力は、神以上に見えたかもしれない。村で自然と一体化して生きる知恵を学ぶより、標準化されて効率の良い、画一的な知識習得が優先された。そして、その知識を経済的な力に集約すべく、つい最近まで企業共同体が村落共同体の役割を引き継ごうとしていた。だがそれは、いわば、自然状態にあった植物を大地から抜いて来て水栽培にするようなものだ。しかも経済発展/経済合理性という価値自体、本来現世での経済活動は穢れたものと考えて来た日本人にとって、根本的なトラウマの原因を埋め込まれたようなものだ。しばらくは生きていても、次世代まで生をついで行くエネルギーなどなくなってしまうだろう。



日本再生の仮説の源泉になりえる


では、1965年以降は過去の日本人の感覚や思想は完全に消えてなくなってしまったのかというと、実はそうではないのだろう。何百年も(もしかすると何千年も)かかって刷り込まれて来た文化のコードは、たかだか数十年で解消されてしまうようなものではない。例えば、民俗学者折口信夫*4の研究によれば、何千年も前の縄文時代の文化の痕跡は、一見すべて消し去られてしまったようでいて、実は日本文化の随所に色々な形で受け継がれ残っていたという。(折口氏はその痕跡を湛然に拾い上げて、マレビトの概念に昇華させた。) ただし、今は消えてしまったと言っていいくらいの状態であることも確かで、この知恵を何かに生かすためには、余程労力をかけて、意識化する努力が必要だろう。だが、日本人の共通の潜在意識の有り様として、このような考え方が貴重な仮説になることは知っておくべきだと思う。

*1:

大英帝国衰亡史

大英帝国衰亡史

*2:

人間の覚悟 (新潮新書)

人間の覚悟 (新潮新書)

*3:

日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか (講談社現代新書)

日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか (講談社現代新書)

*4:折口信夫 - Wikipedia