マーケティングもマネジメントも『心理』が鍵だ


定額給付金への違和感


定額給付金の議論も最近やっと下火になって来た感があるが、一向にすっきりした気持ちにはなれない。もちろん、小額とは言え、お金をもらって嬉しくない人はいないだろう。だが、経済対策としてみれば、あまり効果は期待できそうにないのは、何より自分や自分の周囲の人達を見ればわかる。自分の雇用もままならない不透明で不安感の漂う情勢下で、お金をもらったからといって、皆がそのまま消費にまわすことはどうも考えにくい。それなら、せっかく2兆円もの資金があるのだから、もっと有効な手だてに利用したほうがいいと考えるのは自然なことだ。


ただ、今回の定額給付金の件はともかく、より有効な経済対策を考えて見ようとすると、なかなか適当な選択肢が見つからないことに気づく。これは、単に私の知恵が巡らないという以上に、もっと本質的な問題のように思える。各国の経済(不況)対策を一渡り見ても、基本的には、伝統的な財政政策か金融政策の範疇なのだが、本当に有効なのか疑わしいものが意外に多い。欧州でも米国でも金利は限りなくゼロに近づいて来ているが、本当にこれで銀行からの貸し出しは増えて行くのか。まして、消費は拡大するのだろうか。



重要な因子としての『市場心理』


少なくとも日本では、消費者の、いわゆる消費者心理は、実際の収入の変動巾以上に大きく冷え込んでいるようだ。中には、消費行動のシフトのおかげで、むしろ需要が拡大している、ネット販売のようなケースもあるが、今まで一番日本経済を牽引してきた、自動車とか電化製品等の販売は、特に落ち込み巾が大きい。これは無理も無いことだ。日本では自動車も多くの電化製品も、市場が成熟しているがゆえに買い替え需要がほとんどである。となれば、今の情勢で最も起こりがちなのは『買控え』だ。これではマクロ経済対策の効果は不透明にならざるをえない。もっと重要な決定因子は、『市場心理』ということになる


実は、これは、近著に『心理経済学』*1を著した大前研一氏が強調されている点でもある。平常時ならともかく、異常時である今、もっとも重要な需要の決定因子は、『心理』であるが、既存の経済学には心理学を取り入れた理論はない、というわけだ。確かに、定額給付金をめぐる政策当局の言動を見ている限りは、本来最も重要な要素であるべき『市場心理』は、単なる参考情報の地位へ追いやられていることは明白だ。大変焦れったい状況である。



企業の現場では心理重視は常識


しかしながら、実際のマーケティングや販売の現場では、購買行動における心理分析は必須だ。理論として精緻に組み立てているかどうかは別として、個別の企業でも有能なマーケティングや販売担当は、経験的にこのことを知っている。例えば、セブン&アイ・ホールディングズの鈴木敏文会長の、非常に精緻なユーザー心理分析は有名だ。中でもあの狭いコンビニのセブンイレブンの店内で、消費者心理が何に反応し、どのように変化するか徹底的に突き詰める姿勢は、まさにどんな心理学の権威も及ばない境地がある。広告宣伝についても同様で、効率性やコントロールを意識した広告が計算通り消費者に受け入れられるとは限らない。本当にプロの名に値する、広告宣伝のプロは、大衆心理や文化のコードを読むプロでもある。



広がる乖離感


私達が大学で経済学を履修していたころから、経済理論と実際の経済との解離は多くの人が指摘していたことでもあり、特に米国と比較して、日本での乖離間は著しく、経済学者の扱われ方、地位が低い、というようなことも言われていた。それでも、前回のエントリーでも書いたとおり、文化のコードが比較的社会全般に共通していた時代には、常識と実態の解離も少なく、為政者やアドバイザーとしての経済学者等の常識感が、政策遂行にあたっての応用動作をそれほど違和感の無いものにしていたように思う。だが、その常識が消えつつある現代では、企業の前線にいてますます理解が難しくなる消費者心理と日々格闘する民間人と、官僚や政治家等の為政者との乖離感は超え難い程大きく感じられる。その両者の間にあるのが、『心理』の理解の有無のように私には思える。



経営と経営学の乖離


もっとも、その民間人、普通の企業活動においても、同種の乖離間を強く感じる領域がある。それは、『経営』であり『経営学』だ。私は経営コンサルタントではないので、それほど沢山の企業の実態に触れているというわけでもないが、それでも他業種への転職を通じて、また仕事上での海外企業との接点等を通じて、比較的昔から『経営学』には興味を持ち、企業での経営の実態を見て来たほうだと思う。その結果として、どうしても感じざるを得ないのは、『経営学』と企業の実際の経営との解離である。それは、経済学と実際の経済の解離に似ているし、無理からぬところもあると思う。経済学も経営学も、さほど歴史が長いわけでもなく、出自は欧米である。日本の会社や企業社会に素のままジャストフィットするはずもない。どうも日本的経営が強さの象徴であった時代が反転して、弱さの象徴のように語られるようになった近年、米国の対日要求や新自由主義のような経済改革に翻弄されたことも相まって、欧米仕込みの『経営学』が雪崩をうって日本企業にも押し寄せ、多くは未消化のまま中毒を起こしてしまっているようだ。あたりまえのことだが、どんな評判の薬も、自分の体や体質と関係なく効くわけではない。場合によっては中毒になることもあれば、まったく効かないこともあるだろう。ところが、自信喪失した日本企業では、評判の薬を沢山買って来て、無闇に飲みまくっているようなケースが多いのだ。そうしている内に、自分の体の本来の病気にも正しくアプローチできなくなっているように見える。



米国でも行き詰まるマネジメント


経営学、というより、マネジメントと言うほうが違和感がないが、このマネジメントのもたらした成果が偉大であることについては、私も異論はない。マネジメントがもたらした多くの貴重なツールは、企業の発展に大いに貢献してきた。米国の大発展の原因の理由に、マネジメントの発達と企業社会への浸透を上げてもいいとさえ思う。だからこそ、これに安易に頼ろうというような企業が日本でも数多く輩出する。だが、興味深いことに、そのマネジメント発祥の地である米国でも、今、既存のマネジメントの行き詰まり感は非常に強いようだ。


ハーバード・ビジネスレビューの4月号に、『マネジメント2.0』という論文がある。これは、シリコンバレー非営利研究機関、『マネジメント・ラボ』が、マッキンゼー・アンド・カンパニーの講演の下、棋界の権威たちを集め、マネジメント・イノベーションを考えるカンファランスを開催し、そこで出てきた論点を元に書かれたものだが、出席者がすごい。 ヘンリー・ミンツバーグ氏、ゲイリー・ハメル氏、C.K.プラハード氏、ビーター・M・センゲ氏等、日本でも数多くの著作で有名な、当代のそうそうたるマネジメントの権威が勢ぞろいしている。現代のアメリカの経営者の意見のかなりの部分を代表していると言ってよさそうだ。 ここで示された問題意識は、論文の紹介文の中の次の一文にほぼ集約できる。


産業革命と共に、マネジメントは発明され、以後何度も進化を遂げてきたが、その勢いは次第に衰え、いまや閉塞状態にある。投資銀行業界の崩壊も、その証左の一つなのかもしれない。ハーバード・ビジネスレビュー 09年4月号 P58



そして、本文では、もう少し詳しく問題意識を説明するくだりがあるが、特に次の部分には、驚きの念を禁じえない。


これらの難題にうまく対処するには、第一に、マネジメント1.0、つまり標準化、専門分化、階層制、コントロール、株主利益の最重視などを土台とした工業化時代のパラダイムには限界が訪れていることを認識しなければいけない。言い換えれば、「これから先、時代の要請に応えるだけの成果を上げるには、官僚的発想に毒された従来の経営慣行に寄りかかったままではらちがあかない」と悟る必要がある。 ハーバード・ビジネスレビュー 09年4月号 P61


日本のことが語られているのではない。米国の経営慣行についての現状認識なのである。



マネジメント2.0に向けた課題


そして、カンファランスの参加者によって選ばれた、『マネジメント2.0に向けた25の課題』がすべて記載してあり、参加者の一致した見方として、特に重要なのは最初の10項目であるとされたそうだが、私は最初の3つにあがった内容を見て、米国の経営者の問題意識の核心部分が理解できたような気がした。ここでも、狭義の経済学が想定している、『合理的経済人』の姿はほどんどかけらも見られないし、旧来の経済学を補填する意図で、最近話題になってきている、行動経済学でも、とてもカバーできまい。ずっと深遠な人間心理と哲学をめぐって経営者が呻吟していることがわかる。


1. 経営層がより次元の高い目的を果たす
経営層は、理念と実践の両方において、社会的に意義ある高尚な目的の
達成に向けてまい進しなければならない。



2. コミュニティの一員あるいは企業市民としての自覚をマネジメント
・システムに反映される

業務プロセスや業務慣行を定めるに当たっては、ステークホルダー間の
相互依存性を考慮に入れる必要がある。


3.経営哲学を根本から考え直す
効率以上の何かを実現するには、生物学、社会科学、神学など、
幅広い領域から教訓を導き出すことが求められる。


しかも、このカンファランスが開催されたのは、2008年の5月とあるから、この年の秋に起きるリーマンブラザーズ破綻等に影響されて、あわてて趣旨換えをしたのではない。米国の経営のプロ達は、やはり近年の現状を憂い、閉塞感を感じていたことになる。 



日本ではやっとマネジメント 1.0?


これに対して、日本の経営者の最近の言動を見ると、『株主重視』、『効率性最優先』、『管理強化』等、どうもここで言う、マネジメント1.0にやっと到達したかのようなレベルの低い見識の人が少なくないのはどうしたことか。そんなことでは、市場の競争でも勝てないだけではなく、経営にも結局行き詰ってしまうだろう。


日本でも、匿名が多いとはいえ、従業員も消費者も言いたいことを抑制しないで、発信するようになった。企業の中にいても感じるのだが、今の時代の経営者、経営リーダーは、会社の業績を上げることに堪能なだけでは、人がついて来ないようになってきている。若者の間では、立身出世もあまり重視はされてない。社会に対して何かを生み出したり、何かを主張する、その姿勢と内容こそ重要だ。そういうことを体言できるリーダーに人はついて行く。 逆に、如何に会社防衛のためであろうと、不正や不正に見える行為は容赦なく糾弾される。ここでも、そういう『心理』の理解は欠かせない。


マーケティング戦略は、広義の経営戦略の中にあることは言うまでもない。従来の教義(マネジメント1.0)に捕らわれることなく、新しい時代のマーケティングや経営を開拓していく前線にいることに自覚を持って、もっと意欲的でありたいものだ。

*1:

大前流心理経済学 貯めるな使え!

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