『現象』としての『クラウド・コンピューティング』


Web2.0』から『クラウド・コンピューティング』ヘ


クラウド・コンピューティング』という用語を、最近は本当に沢山目にするようになった。ことによると、一世を風靡した、『Web2.0』という用語の後を継ぐのは、『クラウド』かもしれない、とさえ感じられる。『クラウド・コンピューティング』や『クラウド』をタイトルにあしらった本やブログエントリーが大量に出てきている。



雲をつかむような


ところが、実際のところ、この『クラウド』ほど、曖昧で、理解がすれ違う用語もないのではないか。かなりIT業界に精通した人の間でも気をつけないとまるで違った理解をしていることも珍しくない。まさに『雲をつかむような』話になってしまうのだ。しかも、IT業界の履歴が長い人ほど、この用語を使うことを嫌う傾向も見られるようだ。例えば、次のようなエントリーのように、はっきりとこの用語は誤解を招くので使わない方がよいと主張する向きもある。

Internet.com | The original source for all things Internet: internet-related news and resources, domain names, domain hosting and DNS services, free website builders, email and more



曖昧な概念


私がクラウドという用語を始めて目にしたときに、すぐに連想したのは、ASP(アプリケーション・サービス・プロバイダー)のことだった。これはちょうど、IT バブル前後に注目を浴びた概念で、当時は非常に注目されたものだ。すぐにもPCのローカルアプリとデーターはサーバー側に置き換わって行くのではないかさえ思えた。だが、あきらかにまだ時期尚早だった。しかもちょうど、ITバブル崩壊もあって、膨らみかけた期待感も一気に萎んだ記憶がある。昨今では、この ASPSaaS(Software as a Service)という用語になって装いを新たに甦っているようだが、いずれもクラウドを総称する概念というわけではない。


2008年7月のニューヨークタイムズの記事、『What Cloud Computing Really Means 』(クラウド・コンピューティングの本当の意味は何か?)を野口悠紀夫氏が取り上げて、和訳および解説をしている。確かに、SaaSもこの中に入っているが、それだけではない。


1. SaaS:「サービスとしてのソフトウェア」。ウェブを通じて特定のサービスを提供する。


2. Utility computing:後述のアマゾンのサービスのように、データ格納などのサービスを提供する。


3. Web services in the cloud:プロバイダーが提供するAPI(後述)を用いて
   独自のアプリケーションを開発する。


4. Platform as a service:「サービスとしてのプラットフォーム」。
   プロバイダーが提供するインフラストラクチャーの上に独自のアプリケーションを乗せる。

   セールスフォース・ドットコムは、これまでのSaaSからPlatform as a Serviceを
   提供するサービスに進化したと言っている。


5. MSP (managed service providers)スパムメール除去やウィルス捜索サービスなど。


6. Service commerce platforms:SaaSとMSPを統合したもの。
   秘書サービスや旅行関連サービスなどがある。


7. Internet integration: SaaSなどインターネットから供給されるサービスを統合するもの。
  「クラウドの中のバス」とも言われる。


要は、まだ定義が明確に定まっていないということだろう。象の鼻を触る人、尻尾を触る人、それぞれが象を語るのに似ている。


もっとも、ネット上には、すでに『クラウド・コンピューティング』を定義するサイトは数多く存在する。

インターネット上にグローバルに拡散したコンピューティングリソースを使って、ユーザーに情報サービスやアプリケーションサービスを提供するという、コンピュータ構成・利用に関するコンセプトのこと。米国では2006年ごろから、注目のキーワードとなっている。  情報システム用語事典:クラウドコンピューティング(くらうどこんぴゅーてぃんぐ) - ITmedia エンタープライズ

クラウド・コンピューティングとは,インターネットの先にあるサーバーに処理をしてもらうシステム形態を指す言葉である。ユーザーが何らかの作業を行うときに,自分の目の前にあるパソコンや会社のネットワーク上にあるサーバーではなく,インターネット上のサーバーを利用して処理してもらう。顧客管理のような企業の業務アプリケーションから,Gmailに代表されるメール・サービスやファイルを保存するストレージ・サービスのような個人向けのものまで,クラウド・コンピューティングと呼ばれるサービスは多数登場してきている。
Networkキーワード - クラウド・コンピューティング:ITpro


それでも、『雲をつかむような話』に感じられるかもしれない。どういう説明を聞いても、曖昧にしか理解できない人は多いだろうと思う。



何かが起こっていることは確か


だが、この『クラウド』という言葉をどのように理解しようとも、クラウドという言葉を使って理解することがわかりやすそうなある現象』が生起して来ていることは否定できない。では、その本質は一体何なのか。


この『クラウド』現象を一渡り概観して、可能性と問題点を併せて把握するのに、西田宗千佳氏の『クラウド・コンピューティング*1はおそらく類書と比較してもお手軽な入門書であるように思う。


本書の P173に、クラウド・コンピューティングと関連する概念という図がある。これをランダムに列挙すると以下のようになる。

無線LAN』『SaaS』『ブロードバンド』『Ajax』『ユビキタス』『スマートフォン』『オープンソース』『分散コンピューティング』『Gメール』『Web2.0』『グーグルドキュメント』『データセンター』『ネットブック』『ウェブアプリ』


あらためてこうして並べてみて見ると、ASPが注目された2000年前後には想像も出来ない多くの技術やサービスの進化があったことをあらためて実感する。そして、一見バラバラに見えながら、総体としてみるとある方向性を感じることができる。それに『クラウド』という名称が付与されたという理解が一番妥当だろう。ちなみに、クラウド・コンピューティングという言葉は2006年8月に開催されたSearch Engine Strategies Conferenceにおいて、Google社CEOのエリック・シュミット氏が言及したことで広まったと言われる。 西田氏は以下のように言う。

グーグルのシュミットCEOが生み出した言葉だとしても、グーグルが生み出した技術ではない。むしろ、シュミット氏がその状況に『クラウド』という名前をつけた結果、長く続いて来た複数の同時並行的なトレンドに明確な方向性が生まれた、と言ったほうがよさそうだ。すなわち、クラウド・コンピューティングとは最初から一定の方向性を持った『技術』ではなく様々な技術動向が結果としてある『塊』として姿を現した『現象』なのである。 
クラウド・コンピューティング P173

主役はグーグルとアップル


ただ、グーグルが生み出した技術ではないとは言え、グーグルがこのクラウドを主導する主役である事は間違いない。明確にそのようなビジョンがあるからこそ、シュミット氏は『クラウド』という適切な用語を選択することができたというべきだろう。そして、主役であるグーグルが動き出すことで、周辺の技術も方向性を得て発展のスピードを上げる。そのプロセスは相乗効果で加速がつくことになる。そしてその動向の中から、もう一方の主役が躍り出て来た。いわずと知れたアップルである。


アップルのiPhone は日本では事前の期待ほど売れているわけではない。だが、購入者の満足度は非常に高い。まさに非常に明確に限定された購入層とiPhoneを受け入れない非購入層がいることの現れだろう。日本の携帯電話は、パソコンとは切り離された独自の島を構築し、パソコンを介在しないで、パソコンを持たない若年層に手軽さ、便利さを訴求することで成功してきたと言える。一方、これはパソコンを中心として利用することになれた層には、大きな『壁』と感じられる。 iPhone がパソコン依存が日本よりはるかに高い米国で非常に好意的に受け入れられたように、iPhone はパソコンで実現できる環境を外部に持ち出すネット端末としてこそ、従来になかった満足度を感じることができる。雲の向こう側が充実しても、それを気軽に持ち出して使うことができないのでは如何にも片手落ちだが、iPhoneを手にすると、このクラウドをどこでも手軽に引出して利用できる時代の到来を実感できる。これが、iPhoneに熱狂し、手放せなくなる人が続出する一番の原因だと思われる。同時に、今まで曖昧にしか感じられなかった、『クラウド・コンピューティング』という概念に、非常に具体的なリアリティーを感じることができる



Web2.0を継いで


面白いことに、『クラウド・コンピューティング』と言えば、システムが念頭にある概念のため、グーグルやアップル等の企業が主役という印象があるが、同じ『クラウド』でもクラウド・ソーシング』という用語もあって、この場合、クラウドの向こうにいるのは、『不特定の大衆』だ。すなわち『Web2.0』で言い表された動向が下地になっており、そういう意味でも、クラウド・コンピューティング』が特定の技術や技術動向ではなく、『現象』である、とする西田氏の見解は正しいと思う。



マイクロソフトも負けてはいない


すでに、iPhoneが切り開いた地平は、Googleのアンドロイド、ノキアシンビアン等が追従しつつあることを見ると、世界的な潮流、というより激流となってこの領域が発展することはもはや間違いない。そして、出口が活性化すれば雲の向こう側も活性化する。それを象徴する出来事は、アンチ・クラウドの代表のように語られがちなマイクロソフトが、クラウドを意識した取組みを一層加速してきていることだろう。
(Azure, 次世代Office, Windows Live等。
「ソフトウェア+サービス」と3つのキープロダクト | クラウド | できるネット )



まだトラブルも多い


ただ、もちろん問題がないわけではない。クラウドの向こうのインフラを担うべき、グーグルやアップルのセキュリティ管理能力に疑念を感じさせる事例も続出してきている。長期的なトレンドはもはや変わりようがないと思われるが、進化のスピードを遅らせる恐れは大いにある。


Weekly Memo:Googleのサービス障害にみるトラブル対策の勘所 (2/2) - ITmedia エンタープライズ
「Google Docs」に不具合--意図せぬドキュメント共有が発生 - CNET Japan
http://www.yomiuri.co.jp/net/security/goshinjyutsu/20081107nt1c.htm
アップル「MobileMe」でトラブル--お詫びとして一部ユーザーを30日間無料に - CNET Japan



日本の携帯電話はどこへ?


だが、それ以上に私が関心があるのは、日本の携帯電話ビジネスの行方である。今の日本の若年層、特にこの中核にいて携帯電話の需要を下支えしてきた若年女性層の携帯電話の購入重視点を見ると、当面彼女らにiPhoneのようなスマートフォーンが素直に受け入れられることは期待薄だ。だが、日本の従来の携帯電話vsスマートフォンという比較では、スマートフォンのほうは、その背後にPC資産という巨大な『クラウド』のバックグランドがあり、日々拡大している。短期的にはともかく、中長期的には、日本の携帯電話に分がないように見えてくる。少なくとも何らかの影響を受けずにはおかないだろう。ただ、日本の携帯電話の主な用途が、メールやSNS等のコミュニケーションが主であることを勘案すると、背後に広大なクラウドを前提とする必要はない。とすれば、将来的には、手軽で便利なコミュニケーション・ツールに特化して差別化されていくのではないだろうか。



これからが本番


いずれにしても、IT関連のビジネスに係わるすべての人が、関わって行かざるを得ない『現象』、それが『クラウド・コンピューティング』であり、この理解が個々のビジネスの勝敗にも大きく影響することになりそうだ。

*1:

クラウド・コンピューティング ウェブ2.0の先にくるもの (朝日新書)

クラウド・コンピューティング ウェブ2.0の先にくるもの (朝日新書)