オバマ大統領とスマート・パワー

オバマ大統領の就任


先週は、オバマ大統領の就任式があり、ワシントンは大変な賑わいだった。注目の就任演説は、選挙期間中の、"Yes, we can!" と聴衆を鼓舞するタイプの演説と比較すると、かなりロー・キーな印象ではあったが、この人の知性のきらめきを十分に感じさせるものだった。 誰であれしり込みしてしまいそうな大変な危機の最中にあって、アメリカは確実に新しいタイプの知的なリーダーを得た。


神保哲夫氏と宮台信司氏によるマル激トーク・オン・デマンドの1月24日版で、お二人が交互に語っておられたのだが、オバマ大統領自身、乃至そのブレーンは、社会学や心理学等の知見に造詣が深いことをがうかがわれ、専門家でないとわからない言質や仕掛けが随所に見られるのだという。しかも、選挙開始当初からインターネットの効果を最大限に意識していたこともあって、今回の就任演説もyoutubeで繰り返し見られることを意識してつくられているだろうともいう。あり得る話だと思う。



キーワードとしての『スマート』


そういうオバマ大統領を現すキーワードは、『スマート』ということになるだろう。それを象徴する人物の一人が、日本大使に内定している、ジョセフ S.ナイ氏(元国防次官補で現在ハーバード大学教授)*1である。ナイ氏と言えば、外交において、ハード・パワー(典型的には軍事力や埋蔵資源など)以上にソフト・パワー(政治力、文化的影響力など)の重要性を説いていた人だが、最近では、このハード・パワーとソフト・パワーを賢明に組み合わせて使うことのできる能力のことを『スマート・パワー』という概念にまとめて、あらためてその重要性を説いている。(ハーバード・ビジネス・レビューの09年2月号に関連記事が出ている。) 


ブッシュ政権があまりに『ハード・パワー』偏重だったこともあり、『ソフト・パワー』の重要性は誰しも感じているところであろう。だが、ナイ氏は『ハード・パワー』も行使するべき場面はある、と主張する。ビル・クリントン大統領は、当時アルカイダをかくまっていたアフガニスタンタリバン政府との問題を外交だけで解決しようとして、『ハード・パワー』行使に二の足を踏んで失敗した。このソフトとハードのバランスとも言うべき、『スマート・パワー』行使には、状況を把握する知性(コンテクスチュアル・インテリジェンス)が必要だという。正直なところ、多分に曖昧な概念だが、言わんとするところはわかる。



求められる知的リーダー


世界は、唯一の超大国(=アメリカ)の時代から、多極化の方向にすでに向かっているし、国をまたぐ企業やNPO*2等の影響力はしばし国をしのぐものがある。極端に多様化した価値観をもつ国や団体の中でリーダーシップを発揮するためには、その多様な文化や歴史に造形が深く、しかもそれを高いレベルで統合した理念を語れる知性が不可欠になる足して二で割るような利害調整でも、権謀術数でもない。そういう意味では、条件はフラットで、どの国、どの団体に所属している人でもリーダーになれる可能性がある。そのようなリーダー像が希求されている時に、オバマ大統領のような人物を送り出せるアメリカの懐の深さは、やはりさすがと言うべきだろうか。



学問の再挑戦


神保哲生氏が懸念されるように、民主党&インテリと言えば、ケネディ・ジョンソン大統領時代のブレイン達、いわゆる『ベスト・アンド・ブライテスト*3を連想させるし、同じ轍を踏んで失敗して欲しくはないが、学問や知性の方も、あの頃と比較するとかなりのことを失敗から学んで来ている。ある意味で、学問の再挑戦、という部分もあるのかもしれない。



呼応するデジタル・ネイティブ


ただ、何よりこのスマートな大統領とその側近達の政治に、スマートな『デジタル・ネイティブ』*4達が呼応して、彼らにとって空気のような存在のインターネットを駆使して、連帯の和を広げることによって、市民政治の新しい形が出来上がってくることも期待できそうだ。さらには、世界に広がる、『デジタル・ネイティブ』と相互に連携し影響しあって活動の輪を広げて行く、というようなことも、荒唐無稽とばかりも言えない。何より、オバマ大統領誕生自体が、このインターネットの奇跡そのものと言えなくもない。



日本は・・


翻って、日本は、ということになると、夢が覚めたような興ざめを禁じ得ない。政治も、官僚組織も、もう限界まで来ている。せめて、この彼我の差をよく認識して、解決すべき問題を胸に刻んでおきたいものだ。また、日本の『デジタル・ネイティブ』はどうか、という点では、確かに英語力というハンディはあるものの、光明もある。この点については、次回以降に是非まとめて語っておきたい。今は、様々な日本再生のヒントをもらっているという側面もあるのだから、謙虚に勉強しておきたいと思う。