経済と道徳を統合していた日本人

ますます大きくなる『派遣切り』問題


いわゆる『派遣切り』問題は、ますます日本全体を揺るがす大きな問題になりつつある。TV・新聞等のメディアはもちろん、ブログ記事などもすごい数だ。『派遣村』のような今回の事態を象徴し、また、いかにも様々な物議をかもしそうなトピックも出てきて、政治的にも非常に大きなイシューになってきている。すでに対象人数は7万人とも8万人とも言われ、年度末には一説によれば、20万人近くに膨れ上がるのではないかという予想もある。自分の周囲でも、世論が如何に厳しく企業を糾弾しようとも、会社を潰して正社員まで路頭に迷わすことはできない、という本音を語る経営者や企業幹部は少なくない。どう見てもこれは緊急事態だ。緊急事態として、援助の手を差し伸べることを躊躇してはいけないと思う。血は流れているのだから、とにかく今は血を止めなければというのは、断固たる正論だ。



小手先では解決はできない


もちろん、制度の見直しを行うにあたっては、どうしても感情的になりがちな今の世論に押し流されずに、客観的でマクロの視点を持つ必要があるのは言うまでもない。ポピュリズムを何としても乗り越えて、冷静な判断をどうすれば担保できるのか、今から考えておくべきだろう。派遣社員の悲惨さを見て、対症療法的に、そこだけパッチワークのような法律をつくっても、他方で多くの企業経営者を含む3万人もの人が自殺を余儀なくされているのが今の日本だ。 また、雇用に関しては若年層にあまりにしわ寄せが行っている現状にも対処は必要だ。一方で、その直接の原因として中高齢の正社員の過剰な保護を取り上げて、解雇禁止事由の緩和=中高齢正社員の解雇の促進を主張する意見もある。確かに構造としてはその通りなのだが、中高者の再雇用が何より難しい現状では、別の傷から血が流れるだけだろう。(解決策の一つとして、東京大学大学院教授の姜尚中氏の主張する、雇用時の年齢差別の禁止と大卒新人一括採用制度の廃止促進は、個人的には賛成である。) 日本の雇用・労働に係わる制度や常識をゼロベースで見直すくらいの覚悟がなければ、問題解決にはほど遠い。派遣労働問題にだけ応急処置をして、後は先送りというような従来の消極姿勢を決め込んでも、日本経済の地滑り的低落が目の前に待っているだけだ。



経営の道徳


だが、制度改革の議論をするにあたって、どうしても再度喚起しておきたい問題は、『経営の道徳』だ。(これは、前々回も取り上げたトピックである。利潤追求がすべてになった社会の貧しさ - 風観羽 情報空間を羽のように舞い本質を観る どうしてもここのところにはこだわっておきたい。


企業の不祥事が続いた近年の日本では、日本版SOX法に代表されるような法規制の強化と企業の社会的責任/CSR (企業の社会的責任 - Wikipedia) が盛んに喧伝された。しかしながら、法規制強化は結局『官制不況』や『コンプライアンス不況』を招き、CSRのほうも、今回派遣切りで非難の矢面に立つ一流企業がこぞって標榜していた事実を思い起こせば鼻白むものがあるだろう。もちろん、これらの企業の側に立てば、法律をきちんと守っており、社会的責任を果たしていないと非難されるのは筋違いと言いたいのはわからないでもない。だが、本来企業の社会的責任というのは、曖昧な概念だ。それでも本気でこれに取組む意図を持つ会社は今回のような非常時には、はっきりとその違いがわかる。


米国の伝説的事例


その代表例は、米国のジョンソン&ジョンソンだろう。彼らの『クレド』(日本の会社の社是・社訓にあたる)にうたわれる、世のため人のために尽くす企業哲学は伝説のタイレノール事件*1の対応で見事に実証された。1982年何者かがタイレノール(頭痛薬)に毒物を混入して7人が死亡する事件が起こったとき、ジョンソン&ジョンソンはただちにすべてのタイレノールを回収して異物を混入できない構造にした。このために1億ドルの巨額の経費をかけたと言われている。もちろん、法的にも、あるいは当時の企業の普通の常識から見ても、ここまでする義務はまったくない。だが、彼らはクレドに従って敢然と行動した。その高い意識を持つジョンソン&ジョンソンはまた、百年間で二回しか減収がないという超優良会社でもある。まさに100年間繁栄する会社の見本である。


強欲資本主義と言われるアメリカだが、ジョンソン&ジョンソンのように社会的責任を体現する会社は実は本来非常に多い。そもそもアメリカという国は、寄付の大国で、アメリカの投資家、ウォーレン・バフェット氏が慈善団体に約4兆円を寄付したことも記憶に新しい。普通のアメリカ人にとって、収入の1割を寄付することはさほど特別なことではないと言われたものだ。今回の金融危機は、まさに金融の本拠ウォール街に集まるビジネスマンとその関係者の暴走とする意見はあながち的外れとも言えない。


では、日本はどうなのか。今どこかに、ジョンソン&ジョンソンに匹敵する会社はあるだろうか。ウォーレン・バフェットに相当する経営者がいるのだろうか。



二宮尊徳を取り上げる日経ビジネスの記事


09年1月5日の日経ビジネスに、『『実利』と『道徳』二兎を追う』という記事があって、二宮尊徳(江戸時代後期に「報徳思想」を唱えて、「報徳仕法」と呼ばれる農村復興政策を指導した農政家・思想家 *2)をとり上げ、経済と道徳を両立させる思想家として紹介している。記事の『道徳なき経済は犯罪であり経済なき道徳は寝言である』というキャッチはなかなかに意味深長だ。最近の日本は、表向きCSRを標榜しながら、『道徳は寝言である』というのが黙示的なコンセンサスだったのではないかとさえ思われる。だが、米国を強欲資本主義と呼び、企業バッシングが盛り上がる現状は、一気に振り子が逆にふれて『経済は犯罪である』と言わんばかりだ。

明治期以降の日本の経済的な発展は、江戸期に遡れる日本の勤勉道徳・心性にあり、それは日本式プロテスタンティズムとも言うべき宗教心が背景にあることは、かつて山本七平*3らがとり上げて大変話題になったものだ。(私のエントリーでも、このことは書いたことがあるので、是非ご参照されたい。企業文化/風土を構築するには - 風観羽 情報空間を羽のように舞い本質を観る) 


日経ビジネスの記事によれば、90年代から、日本の強さの秘密をこの心性に見て、その象徴的な人物として二宮尊徳を取り上げ、中国全土に研究の輪が広がっているという。日本ではむしろそのころから、ますますその二宮尊徳が象徴するマインドから遠ざかり、米国のウォール街の拝金主義の影響に取り込まれていったように見える。



二宮尊徳の像の撤去と日本人の心性の変化


二宮尊徳と言えば、薪を背負って本を読む銅像(銅だけではないが・・)は有名で、昔は学校のオブジェの定番だったようだが、戦後は『像の撤去』が急速に進んだ。定説ではなく、都市伝説に近いものが多そうだが、時代を追って下記のような理由で撤去が進んだとされている。


  • 戦時中:戦争継続のための資源として銅を供出するため

                されたため戦後の教育にはふさわしくないとされた
                (GHQが嫌ったという説もある)

  • 最近? :本を読みながら道を歩いて危ない。交通事故防止。


あらためて二宮尊徳の事跡や思想を追ってみると、どうみても軍国主義の標榜する忠君愛国とは異質なものだ。しかも中国が学ぼうとすることに見られるように、普遍性もある。誰より日本人自身がそのエッセンスを思い出すべきだった思える。だが、こうしてみると明らかに間逆の方向だったのが、戦後日本の歴史と言えそうだ。銅像の撤去は、まさに日本人の心性の変化を象徴する出来事だったように見える。今日本に最も必要なのは、『経済は犯罪』でもなく、『道徳は寝言』でもない、統合の思想こそが、日本人の財産だったことを一人でも多くの人が思い出すことではないだろうか。