情報洪水に溺れず知識/叡智を得るには ー 年頭の抱負として

明けましておめでとうございます。 今年もよろしくお願い申し上げます!


昨年は・・


今日が私のブログの本年初めてのエントリーということになる。昨年は無我夢中で、書き散らかして来た印象があるが、少しまとめて読んでみると、自分の考えていることの傾向が読み取れて面白い。これこそ、ブログを書くことのメリットの一つと多くの先人が語っておられるが、確かにそうだと思う。


ちなみに、このブログを本格的に書き始めた、3月の終わり頃というのは、世界は好景気で湧いており、日本もやっと景気上昇を実感できて、これからは世界において行かれないようにどうするか、という議論がほとんどだった。原油を中心に資源価格は高騰し、インフレ懸念は大きかった。円は安く、中国や韓国からの観光客が日本に大挙して訪れ、輸出産業は絶好調だった。そんな中、自分の理解するビジネス周辺の事情を中心にブログを書き始めた。


ところがどうだ。この環境の急変によって、ほとんど正反対と言っていいくらいに状況は変わってしまった。 (このあたりの戸惑いについては、すべて一からやり直す時が来た - 風観羽 情報空間を羽のように舞い本質を観るにも書いておいた通りだ。)



インターネットから離れてみて気づいたこと


しばらくブログエントリーを休んだのは、帰省して、インターネット環境に恵まれなかったからだが、幸か不幸か、この間、通常なら欠かすことのない、インターネットでの情報収集をあまりやらなかった。(出来なかった)その代わりに、普段なら読まないジャンルの本を読んだり、田舎の友人と会話して過ごした。普段なら、何百というブログ等に目を通しているところだから、情報の少なさに物足りなさを感じ、多少焦りさえ感じたものだ。


ところが、今回はそんな中からとんでもない気づきがあった。昨今の経済危機の行方には当然関心があるから、そのことに関する本を何冊か通読していたのだが、昨年の11月、まさに危機が認識されだしたタイミングで出版された、国際政治学者の中西輝政氏の、『覇権の終焉』*1を読んでいて、はたと気づいた。グローバリズムや行き過ぎた金融資本主旨の問題点など自分はとっくに知っている思ったのだが、そうではなかった。アメリカの押し付けるグローバリズムイデオロギーは受け入れられなくても、あるいは世界に浸透することはなくても、世界がインターネットの力を借りてフラットになっていく、ということについてはなんの疑いも抱いていなかった。だから、政治や社会等の少々の変化があったところで、ビジネスの土俵である市場のルールはほぼ一定の範囲内にあり、あまりそのこと事態に影響がおよぶ変化を想定する必要もなかろうと、本音のところ考えていた。自分も、いわばフランシス・フクヤマ氏の言う、『歴史の終わり』*2を半ば当然の前提として受け入れていたということになる。


だが、この数年、というよりブッシュ政権下の8年間の間に、というほうがより正確なのかもしれないが、アメリカの『一極支配』はすでに幻想でしかなく、『多極化』の流れはすでに不可逆の大河となっているではないか! 市場のルール自体も大きく変わって行くことになるのは明白だ。リーマンショックは、その流れを見える形にしてくれはしたが、そんなことはもっとずっと前に気づいていても不思議はなかったのだ。世界情勢にちょっと気を配っていればわかるはずのことを沢山見逃している。少なくとも以前の自分なら難なく気づいたはずだ。何せ、政治も、歴史も、外交も大好きで、多くの本を読み、友人たちと語り合って来た自分ではなかったか。



何が問題だったのか


では、どうして、こんなことになってしまったのか。どうやら、インターネットによって、大量の情報を得て、多くのことを勉強したはずだったが、いつの間にかその情報量に溺れ、自分の関心のある狭い範囲の情報だけを集め、大量に消費していたようだ。インターネットが悪いということではもちろん無い。そうではなくて、自分のインターネットに向かう姿勢や方法に問題があったようなのだ


そういう時には、また絶妙なタイミングで、何とも言えない言説に出会う。


ブログ『Heatlogic』で知られるジャーナリストの小林さんのご意見には、とても啓発されるものがあり、常々ブログも拝読させていただいているのだが、今の私の気づきにものの見事に符合する内容を過去の『Internet Watch』の記事で見つけた。


Webでは、ものすごくマイナーな趣味・嗜好の人でも、同好の士を見つけることがわりと簡単です。好きなものについて心ゆくまで語り合える仲間を見つけられることは、とても素晴らしいことです。

 しかし、何事も度を過ぎてしまうとよくありません。メディアが爆発的に増えた現代には、ある非常に狭い分野だけの情報を摂取し続けて、毎日のアテンションを全部埋めて暮らすことも可能になります。

 すると、当人にとっての世界は、そのテーマだけ(実はマイナーなものなのに)で構成されることになります

 そんなとき、ふと周囲を見ると自分が世間とズレている気がして(そのような場合はズレに気づいても、それを認めるのが怖くて、きちんと認識しようとはしないものです)、ズレが嫌なので居心地のいい世界に安住するようになり……といった視野狭窄スパイラルに陥ってしまうことがあります。 ネット上に偏った(感情的な)意見が生まれ、それが多くの人を感化させ、奔流となって議論の場を席巻する現象を「サイバーカスケード」と呼びます。広い視野で見ればどうでもいいテーマの討論に1日を費やしてしまったり、偏った嗜好を持つ仲間とだけ付き合ったりしていると、偏った思想、意見に感化されやすくなり、危険です。アテンションの振り分け方を考えないと、情報が多いばかりにかえって視野が狭まってしまうという、本末転倒な情報も起こり得るのです今日から始める! Web 2.0超入門講座 ~初心者でもよくわかる「これからのWeb」のすべて~


そんなことは(理屈では)わかっていると自分では考えていたように思う。だが、実は小林さんのおっしゃる『情報が多いばかりにかえって視野が狭まってしまう』ということが起きていたのかもしれない。


また、とても考えさせられる一節を帰省中の多読の中でも見つけることになる。

最近、利用者が全世界で10億人を超えたインターネットの普及も手伝って、文字どおり指先で操れる情報量は人類史上に類を見ない激増ぶりです。ところが、私の友人がかつて示唆したように、『情報が倍になれば知識は半分に、叡智は4分の1になる』のです。情報が増加しても、知識を深めたり叡智を獲得したりすることにつながるとは限りません。そして、現代では情報の爆発が誤解や混乱をもたらし、真実でないものが蔓延してしまっているのです。

CosMosコスモス*3 P119

インターネットはすばらしい:だからこそ・・


繰り返すが、基本的には私はインターネットはとてもすばらしいものだと思っている。実に多くのことを学ぶことができたし、これからも多くを学びたい。ブログについても、一次情報が少なく、ジャンクな情報だらけと非難される向きも多いが、最近ますます、自分の気づいていなかったような視点や論点をブログから数多く発見することができるようになってきている。従来メディアでは扱えないような情報もこぼれ落ちてくる。その気になれば、世界中の意見を即座に知ることもできる。1960年のニクソンvsケネディで争われた米大統領選挙で、テレビ・ディベートが導入され、その特性を充分に生かして勝利したケネディ大統領がその後テレビの存在を決定的にしたよに、オバマ氏が勝利した今回の米大統領選挙によりインターネットの次元が上がる可能性は高い。今回の世界的な経済危機は、まさに世界規模で、旧勢力の退場を余儀なくするだろうが、その中で生残ってさらに中核的な存在に躍り出るのはインターネットであることは疑う余地はない。今よりもっとインターネットは重要な存在になっていくはずなのだ。


2009年 年頭の抱負


だからこそ、自分とインターネットの相対位置は、ちゃんと見直しておく事が必要だと思う。自戒を込めて、下記を新年の抱負としたい。

  • いつも自分自身を客観的に見つめつることを忘れない

   情報洪水の中にいる自分をいつももう一人の自分で客観的に
   見ることを忘れずにいたい。


  • 古典を読み歴史を勉強することを継続する

   情報としての価値はともかく、知識、叡智の源泉はやはり
   古典や歴史であることは21世紀の今も変わらないようだ。


  • 日本や米国だけではなく他の多くの国々の情報や意見を参照し続ける

   英語情報の多くは米国発だが、それ以外の国々の
   情報や意見にふれるルートをもっと開拓しておきたい。


  • リアルでの出会いや議論を欠かさない

   しかも、できるだけ自分とは違う意見を持ち違う環境にいる
   人との出会いを欠かさないようにしたい。


  • 時には書とインターネットを捨て野に出たり旅をする

   知識や叡智は自然や他の文化とのふれ合いで得られることも多い。
   特に普段とは違う環境に身を置くことは大事だと思う。

*1:

覇権の終焉 (Voice select)

覇権の終焉 (Voice select)

*2:歴史の終わり - Wikipedia

*3:

CosMos コスモス

CosMos コスモス