あらためてあまりに米国に傾斜しすぎることのリスクについて語る

驚くべき日本の低姿勢


若干旧聞の類になるが、日本国内でのアメリカ兵の犯罪に関する、『日米地位協定』に関して、沖縄タイムスに注目すべき記事が出て話題になった。1962年12月から1963年11月にかけての1年間に、日本国内(復帰前の沖縄は含まれていない)で米兵が起こした犯罪3,433件のうち、 2,627件についてアメリカが裁判権の移譲を要求し、2,448件について日本が裁判権を放棄したという内容のアメリカ陸軍の資料が出てきたという。わずか一年間で、3,433件という事件の多さの異常さもさることながら、7割以上の案件について、日本側が裁判権を放棄していたというのは、驚くべきことだ。 あまりの弱腰というか、寛容というか、およそ主権国家にはありえないことと言うべきだろう。(沖縄タイムスの記事は残念ながらすでにリンク切れになっているようだ。)



当然の権利主張をしたイラク


これと好対照なのが、イラクにおける米軍地位協定で、イラク政府は、取調べの優先権や裁判権に関して、犯罪に問われたアメリカ兵が「公務中」であるか否かを判断する権利がイラク側にあるべきで、これがイラクの主権の基本原則の問題だと主張している。さらには、アメリカ軍がイラクの領土を足がかりにして他の国々への攻撃を行なってはならないことを明記すべきだと主張しており、これが本当なら実に堂々たる姿勢だ。そして、独立国としては当然の姿勢だと思う。両者の比較で言えば、イラクが特殊なのではない。日本が特殊なのだ。


*上記トピックは『壊れる前に・・・』というブログに両方の記事が紹介されているのでご参照。

壊れる前に…: 日米地位協定の影
壊れる前に…: イラクにおける米軍地位協定 



国際的な反米感情の高まり


本件は、実は氷山の一角で、戦後の日本はアメリカに対しては特殊な好感情を持っているとしかいいようがないところがある。他国との比較で見ると、『突出』して親米意識が強いのだ。


一方、昨今のアメリカは、はなはだ評判が悪い。客観的にみれば、それも当然である。国際社会で大方合意された枠組みを無視したり、自らのエゴ丸出しの主張を臆面も無くしたりする。例えば、『対人地雷の前面禁止条約の締結』、『国際系裁判所の創設』、『気候変動に関する国際連合枠組条約京都議定書』など、各国の合意がありながら、アメリカは批准をしないできた。どう好意的に見てもアメリカに正義があるとは考えにくい。


また、9.11以降に、アフガニスタンへの進行はまだしも、大量破壊兵器の存在を口実にした、イラクに対する一方的な戦争突入以降は、さすがに国際社会での合意は得られなくなって来ている。吉見俊哉氏の『親米と反米』*1にこのあたりの事情がなまなましく述べられている。

2003年二、三月、ニューヨーク・タイムズ紙の調査で、アメリカ人の七四%が『ブッシュの戦争』を支持したのに対し、フランス国営テレビの調査では八七%がイラク攻撃に反対し、ドイツの『シュテルン』誌の調査では八四%がイラク攻撃は『正当かできない』と答えていた。イラク攻撃が石油利権確保という不純な目的を持つと考える人は、アメリカでは二二%にとどまったが、ドイツは五四%、フランスは七五%、イギリスですら四四%いた。 『親米と反米 P8』


当然、この結果、世界中で反米感情のうねりは広がった。



突出する日本の親米意識


ところが、日本はこうした中にあってさえ特異なほど親米的であり続けた。

イラク戦争直前の2002年、アメリカを『好き』な人は、韓国の五三%に対し、日本は七二%であった(朝日新聞、2003年一月十五日) その後もアメリカに対する好感度は世界中で低落傾向にあるが、日本では相対的に高い数値を維持している。2006年春、アメリカの世論調査期間が世界一四カ国で実施した調査では、アメリカに好意を抱く人の割合は、イギリスは五六%、フランスは三九%、ドイツは三七%、トルコは一二%である。ところが日本は、六三%がなおアメリカに好感を抱いており、この割合は調査対象のなかで最高である。(読売新聞、2006年六月一五日)。『親米と反米 P9〜P10』


過去、日本がアメリカを嫌いになる可能性のあった時期、例えば60年安保で、反米感情が盛り上がったと言われる時期でも、『好きな国』としてアメリカを挙げた人は47.4%で、『嫌いな人』の5.9%をはるかに超えていたのだという。(時事通信社調査) ベトナム戦争の時期も、一時的に好感度が下がることがあっても、すぐにまた親米感情が戻ってきている。『特殊』でなくて、何だろう。


この原因分析等は、またあらためて書こうと思うが、日本人は世界に類のないほどのアメリカ好きで、親米感情が良い国だということだ。その結果何がおきているかというと、『小泉政権』に代表されるような、『無差別対米追従姿勢』である。だが、これは政権とか政治家の問題を超えて、日本人の潜在意識が選び取った結果とも言えそうである。



アメリカ以外の国際社会での日本への懸念


反米感情が世界的に広がっている時に、日本が対米無差別追従とも見れる態度を見せることは、世界各国から一体どのように日本が見られているのか、薄ら寒いものがある。しかも、私達も、自分自身を振り返ると、国際社会を見る見方が、すっかりアメリカを通して、いわばアメリカの窓越しで世界を見てしまっていることに気づく。日本の進路を決めて行くにあたり、このようなバイアスや暗示にかかっている可能性があることは、よく自覚しておいた方が良い。日本が国際社会で、とんでもない判断をしてしまう懸念があるということだからだ。


帝国陸軍の失敗の教訓


かつて大日本帝国は、ドイツ、イタリアと結び破滅した。あのアドルフ・ヒットラーが指導するドイツと結んだのである。司馬遼太郎氏によれば、旧大日本帝国の陸軍は日露戦争の陸戦で有効だったドイツの作戦思想に傾斜し、すべてがドイツ式になってしまっていた。特に昭和の高級軍人は、陸軍幼年学校ではドイツ語を学び、ドイツ人に化ったかのような自己(自国)中心で、独楽のように論理だけが旋回し、まわりに目を向けるということをしなかった。そして、陸軍は統帥権という恐るべきフィクションを根拠に日本を壟断し、外務省や海軍の反対を押し切って、アドルフ・ヒットラーのドイツと同盟する。


司馬遼太郎氏の次の見解は、時代を超えてアメリカに傾斜する日本にとっても、貴重な警鐘となっているように思えてならない。そして、政治だけではなく、会社経営やビジネス・シーンにおいても貴重な教訓だ。

以上はドイツ文化の罪ということでは一切ない。明治後の拙速な文化導入の罪でもなかった。いえることは、ただ一種類の文化を濃縮注射すれば当然薬物中毒にかかるということである。そういう患者たちに権力をにぎられるとどうなるかは、日本近代史が動物実験のように雄弁に物語っている『この国のかたち 三 P29』*2

*1:

親米と反米―戦後日本の政治的無意識 (岩波新書)

親米と反米―戦後日本の政治的無意識 (岩波新書)

*2:

この国のかたち〈3〉 (文春文庫)

この国のかたち〈3〉 (文春文庫)