アメリカはバランス感覚を取り戻すだろうか?


悪玉資本主義


現代のアメリカを中心とした金融資本主義、三井物産戦略研究所所長の寺島実郎氏の言い方を借りれば、『悪玉資本主義』とでも言いたくなるような状況が、90年代半ば以降拡大してしまったという認識は、日本でも多くの人に共有され始めていると思う。当のアメリカでも、『ウォール・ストリート』の連中が勝手に暴走したつけを国民に回すな、という世論に押されて、一度は金融安定化法案が否決されるような事体となった。ただ、これを持ってアメリカ社会がバランスを取り戻した、と評価するのは時期尚早のようだ。まだ、犯人探しと、罪のなすり付け合いのフェーズだろう。もちろん、当面は金融システム全体を壊さないように、というお題目があるので、いったん罪の糾弾は棚上げせざるを得ない情勢ではある。



悪玉たたきだけでは・・


今回の狂騒が、単に悪玉を見つけてたたく、というような決着の仕方をしてしまうようだと、世界は不況と停滞に沈んだまま長い間浮かび上がれなくなるのではないかという危機感がある。それではまさに日本がバブル崩壊をきっかけに、本当に必要な構造改革をせずに、市場から退場すべきプレーヤーもそのまま居残ってしまったために、気がついてみると、立ち上がる気力も体力も無くなってしまっているのと同じ構図だ。



構造改革案は出ているか


ただ、構造改革という程の代案が出て来ているのか、ということになると、まだはなはだこころもとない。ノスタルジックな資本主義悪玉論であったり、マルクスの亡霊を見るような議論は論外としても、『ものづくり』回帰、というような意見もそのままではまだナイーブ過ぎる。ものをつくっても誰も買ってくれなければ在庫を抱えて潰れてしまう。金融は、そもそも実物経済を活性化する役割を果たしているのであり、確かに行き過ぎはあったにしても、『行き過ぎ』と『適切な活性化』の間に境界線をひくのは、それほど簡単なことではない。耐久消費財などの『もの』は、日本のような先進国では飽和感もあり、さらなる需要喚起は難しくなっているという面もある。では、必要のないものを作らなければよいのかというと、もちろんそんな単純な話しではない。今の資本主義の仕組みをそのままに、『不要な』需要を喚起せず生産もやめれば、それこそ世界恐慌がやってくることになろう。



市場の失敗


そもそも、日本の敗戦直後のようにものが無い時に、松下幸之助氏の『水道哲学』のようにものを安く供給しようと言うのは、社会正義という観点でも誰もが反対しない理想的な経済行為と言える。だが、(何度も書いて来たが)地球環境が悲鳴を上げている今、無闇にものづくりを促進しようというのは、ある不正義を修正するのに別の不正義を持って来ているような違和感が払拭できない。 ならば開き直って、ものづくりには環境負荷という負の部分があることに一定の罪の意識を認めて、矛盾を矛盾として意識しながら、環境負荷低減に真剣に取組むほうが余程正しいあり方のように思える。そういう意識やモラルが社会から消えてしまうと、経済学で言う『市場の失敗』*1のケースが現実に起きて来た時に、軌道修正する力学が働かなくなってしまう。



マイケル・ムーア監督の提言



そういう意味で、今回の騒ぎで、私が最も興味と期待を持って注目しているのは、アメリカ社会の『バランス感覚』だ。マイケル・ムーア監督が、また過激とも見られる提言を出して話題になっているが、結構示唆的で、興味深い。

http://www.michaelmoore.com/words/message/index.php?messageDate=2008-10-01

マイケル・ムーア氏のウォール街救済プランを斜め読みする - ガベージニュース(旧:過去ログ版)


数十億ドルと言われる給与を荒稼ぎしていたウォールストリートの富豪たちは言うに及ばず、一部経営者が莫大な給与を受け取ることをアメリカンドリームとして賞賛するのも、やはり限度があると思う。


マイケル・ムーア監督の指摘は、私には大変もっともなことに感じられる。

1980年には米国の平均的な最高経営責任者は従業員の45倍を得ていた。2003年には自社従業員の254倍を稼いだ。8年のブッシュ時代が過ぎて、今では従業員の平均給与の400倍を得ている。公的な会社でこのようなことが出来る仕掛けは正気の沙汰ではない。英国では平均的な最高経営責任者は28倍稼いでいる。日本では17倍に過ぎない! 

バランサーは機能するか?


私は日本人だし(アメリカ人ではないし)、マイケル・ムーア監督は企業経営者でも政治家でもない。


だが、95年にパタゴニア(アウトドア・スポーツウェア)のCEO、イヴォン・シュイナード氏に会った時、氏は、『アメリカの会社の手法だけが本当に正しいと思うか?』と我々に問いかけた。当時彼は、門番の給与とCEOである彼の給与の差は7倍まで、と決めていた。それが、彼の考えるバランス感覚だと言っていた。私は、アメリカの懐の深さに、心から感動したものだ。


マーガレット・サッチャー元英国首相は、彼女の自伝で、如何に一見立派なイデオロギーで糊塗されていようと、自分で努力して働いて自らの生計を立てて行こうという自助努力が否定されるのはおかしい、という感覚が彼女の改革の出発点だったという主旨のことを書いている。レーガン元大統領時代の自動車労組全盛期の労働者の中にも、如何に働かないで権利主張するかということに血道を上げているとしか思えない人達が沢山いた。あきらかにバランスが崩れいていた。そして、当時の米国、英国には健全なバランス感覚が失われていなかった。だからこそ、レーガンサッチャー政権の改革は強い支持を受けたのだと思う。今、反対方向ではあるが、同じバランサーが働くことを期待してみたい。