文明は退化している!


世界恐慌一歩手前?


今、世界は経営破綻した米証券大手リーマン・ブラザーズに端を発した、株価の世界的な下落の真っ只中で、一歩間違えば世界金融恐慌突入ともなりかねなず、騒然となってきている。


米国や欧州に比べれば、比較的傷が浅かったと言われる日本だが、世界的な潮流について行けずにぐずぐずしているうちに、勝手に環境が激変しただけで、日本が賢明だった証ではない。それどころか、世界が好景気で湧くときにも、一人取り残されていたのが実態で、実感が無いながらも(成長の巾もごく小さいながらも)持続していた景気も、今回の喧騒とは関係なく、不況に突入しかかっていた。強力なリーダーシップもない中、政治が事実上機能しなくなっている日本は、ある意味では欧米諸国以上に事体は深刻である。


今は反省が重要


このような中、案の定、リーマンブラザーズのような米国に金融機関の内幕の暴露であったり、ゆがめられた資本主義の問題点の根本的な反省等におよぶ論文が数多く出て来ている。これからしばらくは、そのような『強い』の意見が、相次いで出てくるだろう。それは当然の事だし、このような機会こそ、反省すべきは反省して、最スタートを切るためのきっかけにするべきだ。


ただ、だからこそ、このような激しい意見の応酬に隠れてしまう前に、『経済成長』ということをめぐって提示されていた、非常に重要な問題と観点をリマインドしておくことには意義があると考える。長く迷妄の中にあった『資本主義経済』を金融マジックから解き放ち、もう一度普通の人の生活を少しでも改善するためのツールとし、議論を誰にもわからない計算式ではなく、誰にでもわかって参加できるものにするためにこそ、『激しいが大雑把な議論』だけではなく、身近で地に足のついた反省こそ必要だと思う。



『経済成長』をテーマに取り上げた文化系トークラジオ


そういう意味で、9月28日に『経済成長』をテーマとして取り上げた、文化系トークラジオTBS RADIO 文化系トークラジオ Lifeの議論は非常に興味深かった。


ゲストの経済学者、飯田泰之氏が経済成長が必要という立場で切り出して、本音トークが始まるのだが、飯田氏のお話は、私自身がかつて習った(勉強した)スタンダードな経済学の考え方に近く、それほど違和感がなかった。ところが、ゲストの森山氏や斉藤氏も、リスナーの反応も(司会の鈴木謙介氏さえも)、少なくとも当初は、『なぜ経済成長が必要なんてことを言うのか』『経済成長で自分たちの生活が良くならないどころか悪くなっている』という、『経済成長不要論』一色という感じだった。正直私はこれに本当に驚いたし、自分の認識にバイアスがかかっているかもしれないとの危機感を感じた。ただ、冷静に考えて見れば、これが今の若者の『空気』なのだし、彼らがそのように感じるのも無理からぬ状況がある。これはきちんと整理をしておかないと、今後、日本の社会をどのようにしていくのが良いのかを自問しても、目標が定まらなくなってしまいかねない。



経済成長は必要と考えていたのだが・・


私は、前のブログエントリーでも書いた通り、国際競争力やGDPより『幸福度』を上げることを考えるべきだと思う - 風観羽 情報空間を羽のように舞い本質を観る 経済成長と幸福感が必ずしもリンクしないと考えているし、経済成長だけが目標として強調されすぎて来た日本の問題点を以前から感じているほうなので、経済成長一辺倒には昔から反対して来た。ただ、資本主義経済による経済成長のしくみがもたらす恩恵は、如何に成熟した資本主義国家である日本でも、不要というのは極論で、バランスをとって社会全体の仕組みの中に包含していくことが不可欠と考えていた。まして、昨今の海外諸国との競争の中、海外の成長が続く一方で、日本が一人成長をやめると、相対的に急速に、資源小国である日本の購買力は衰え、許容範囲を越えて落ちてしまう懸念がある。場合によっては低所得層の底が抜けて、治安が急速に悪化する懸念もある。(飯田氏も同趣旨の内容を説明されていた。)


若年層に浸透する経済成長悪玉論


だが、文化系トークラジオのリスナー(主として若年層)、少なくともメール投稿するような若者は、ゲストの森山さん、斉藤さんを含め、番組が終了する段階になっても、『経済成長』のネガティブイメージが払拭されたとは感じられなかった。賛成意見も、『必要悪』としてやむなく賛成するというニュアンスである。


小泉改革以降、『いざなぎ景気越え』ということで、曲がりなりにも好景気が持続していた期間があった。ただ、同時に、所得格差、若年層の所得格差が拡大し(ジニ係数の拡大)*1貧困層の拡大を招いた。貧困層予備軍ともなりかねない、世帯所得200万円以下の比率(いわゆるワーキングプアの比率)は、何と今や全世帯の25%にものぼる。確かに、これは、バブル崩壊後長く続いた不況が原因とする見方もあるようだが、本来右肩上がりの経済を前提としていた終身雇用を、右肩上がりが終了してもなお維持するために、若年層雇用を抑えて非正規雇用を増加させて来たこともあって、分配の正当性/柔軟性がない中では、成長の果実は低所得者等に回ってこないのに、無理な成長政策が財政の悪化等の負の社会的コストを増大させて、将来的な負担を増大させるだけということになりかねないというようなことも直感的に感じるのだろう。


飯田氏は、日本の経済成長が地球環境に与えるインパクトはそれほど深刻なものではない、とおっしゃっているし、実は昭和30年代のほうが現在より公害による環境悪化は深刻で、むしろ経済成長とともに環境技術も発達したおかげで、現在のほうが環境が良くなっているというのも事実だ。だが、中国やインド等の巨大な国を含めて世界中が経済成長を指向すると、もはや地球環境が持たないことは明白で、日本だけ成長して、他国は抑制しろというようなことではダブルスタンダードと言われてもしかたがあるまい。ここにもかなり本質的な、経済成長悪玉論の根拠があるとも言える。


なんだか出口のない議論になってしまいそうだ。



文明は退化している


なぜこんなことになってしまったのだろうか。私の考えでは、経済にしても、技術進歩にしてもそうだが、社会的なモラル、公共性、人間的な生活の設計、というような価値意識、目的意識と切り離すことを当然とし、むしろその方が最大効率を実現できるというような極論を正当化する『資本主義』が、暴走して止まらなくなったことが根本の原因だと思う。あたりまえのモラルが維持できないどころか、サブプライム・ローン問題など、簡単に言えば、いわばインテリヤクザがジャンク・ボンドをさも優良な債券のように見せかけ、お仲間の格付け機関が高い格付けというお飾りを付け、それをもとに世界市場で大々的に展開された詐欺だろう。資本主義の発展、経済成長というけれど、これでは精神文化は衰え文明は退化しているとしか言いようがない。我々は退化している、そういう反省が今本当に必要だと思う。