企業文化/風土を構築するには

企業のおかれた厳しい環境


企業が解決しなければならない問題は、今史上例を見ない程数も多く、質的にも難しい。所謂問題解決も、まじめに取組めば取組むほど、問題の難しさに立ちすくんでしまうことが多いのではないだろうか。高度成長期には、問題解決手法は明確で、勢いよく流れに乗れるかどうかが決めてだった。しかし、今はそのようなアプローチ時代が多くの場合は裏目に出る。まじめに取組んでもそれが裏目に出るというのは、企業経営者にとって実に困った事態だと思う。一円単位のコスト削減に取組む人たちがいる一方で、パソコンに一人で向かって、クリック一回で巨額の利益が生まれる。如何にまじめに取組んでも、クリエイティブなアイデア、イノベーティブな商品が生まれなければ、企業が一夜にして潰れてしまうこともありうる。


特に、『金融』の世界は、好むと好まざるに係わらず『グローバリズム』を支配する指導原理となっているが、恐るべきマジックが支配する。それは、普通の日本人が正常に受け入れられる感情の限界を超えつつあると思われ、まさに資本主義の限界が露呈していることは間違いない。それでも、企業社会で生残るためには、この市場の変化に目をつぶることは許されない。



企業文化/風土の死活的な重要性


企業経営者にとって、何より恐ろしいのは、企業文化をどのように構築していくべきなのか、指針が見つからなくなってしまう事だ。企業文化というのは、実は企業にとっては決定的に重要なもので、長く繁栄している会社は必ず、独特で影響力のある企業文化が育まれている。例外はないと言っていい。逆に企業文化が崩壊すると、早晩企業は内側から崩れ落ちることになる。そして、企業文化(ないし企業風土)は経営者の努力で出来上がったり、廃れたりする。そういう意味で、もっとも真剣に意識的に取組むべきである。ただし、確かに風土や文化は比較的簡単に構築できるものと、どんなに時間とお金をかけてもできないものがある。そこのところがほとんど理解されていないのが多くの企業の実態のようだ。何でも創り上げられるわけではない。見つけることが大事だ。人の無意識から見つけて、救い上げて、育てることが必要だ。



日本人の勤勉哲学:石田梅巌の石門心学


日本人が、おそらくは江戸期を通じて定着させたと考えられる勤勉哲学は、大きな物語を喪失して、勤勉を忘れてしまったと言われる若年層でさえ、潜在意識の奥底に眠らせていると思う。それは、時に突然現れるものの、適切に維持されなければまた意識の奥に消えてしまう、そんな曖昧さにつつまれているのだが、完全に消え去ってしまったのではない。


逆に、元ライブドア堀江社長がバッシングにさらされた状況に見られるように、努力をせずに突然の幸運や利益に恵まれる人物には尊敬が集まりにくい。いわば、『黙々と努力と精進を重ねて成功しながらその利益にまったく執着せず恬淡としている人』が、今でも日本人に最も尊敬される中核的な人物像だろう。それは、他の文化圏での尊敬される人物像を比較してみると一目瞭然だ。アングロサクソンを中心とする西欧文化圏、中華文化圏、イスラム文化圏等どこをとってもあまり見つけることができない人物像であり哲学だ。


あえて言えば、ヘレニズム時代*1に完成して流行したストア派*2が近いように思えるが、商業を含む労働への取組みを思想体系に取組んでいるという点では、むしろカルヴァン主義*3に近いというべきかもしれない。これは、石田梅巌*4石門心学にその典型例が見られるとされるが、(倹約の奨励や富の蓄積を天命の実現と見る考え方)、さらに言えば、なんであれ自らの仕事に脇目も振らずに取組むこと自体に救いを求める価値観は、キリスト教的救済とは一線を画した、仏教的な諦念に彩られているところに特徴がある。


発見して行くこと


第二次世界大戦による国土荒廃という現実が、禁欲を旨とする勤労哲学的な部分を最も強調して引出して来たのが、高度成長期の日本人ではあるのだが、同時にアメリカ的な大衆消費社会の価値を受け入れていき、ついにバブルというマジックに身を委ねて身も心も焼き尽くしてしまった。そういう社会の変質は、マクロで見ると、どのように手を付ければよいか立ちすくんでしまうような状況にあるが、ミクロでみた場合、一企業においては、日本人のマインドの奥底に潜む最良の潜在意識を顕在化することが、組織や人材の活性化に最も効果的で、しかも力を発揮する。指針の見つかりにくい時代なればこそ、歴史をこのようにくくってヒントを見つけていくことに、大変大きな成果を見つけることができるように思われる。


日本人の心の奥に潜むすばらしい要素


そういう意味では、もう少し範囲を広げて日本人と日本人の歴史を見ていると、石門心学に象徴されるような要素だけでなく、非常に魅力的で、21世紀の国際社会でも通用するような特質をいくつか見つけることができる。それは、江戸期に確立した『粋』*5であり、さらに遡って、源氏物語ですでに確立していた『もののあわれ*6である。特に最近、再評価されている、江戸期の文化の背景にある、『粋』は、日本人のクリエイティビティ発揮のエートスとなりうるのではないかと、かなり真剣に考えられている。(それはオタク文化が世界性を持っているとされることに通じるものだ。) 


停滞に沈んでいる暇があったら、一歩でも前に進みたい。現状がデッドロックにあると感じているのであれば、歴史を少し遡ってみると、きっとすばらしいヒントが見つかると思う。一日も早く、企業の文化、風土づくりをはじめてもらいたいと思う。