あなたの会社の戦略、コモディティ化していませんか?

戦略のコモディティ化


私はこれまで3つの企業に勤務し、そのうち2つの会社では、カルチャーがかなり異なる企業の合併を経験した。人間一人一人に個性があるように、企業にも個性がある。日本企業は同質的と言われ、確かにどの企業に行っても、日本企業という枠でくくれる共通の特徴があることも確かだが、業種が違ったり、本社の場所が違ったりすると、これほどの違いがあるのかと驚いてしまうことのほうが多い。同じ会社の中でも、営業と技術、あるいは経理のような管理部署では、独自のカルチャーが出来上がっているケースも多いので、1社しか経験したことのない人でも、想像がつく範囲だと思う。


だが、3つの企業を経験して、もう一つ気づいたことがある。経営戦略、経営企画というような部署が本格的に稼働しだすと、驚くほどどこでも同じような枠組みや言語に支配されていき、大同小異の陳腐な戦略を安易に受け入れて行く傾向があるということだ。あれほど個性的な各企業が、これほど同質的な戦略や手法に絡めとられて行くのはいったいどうしたことか。特に机上で戦略が語られるようになると危険信号だ。戦略も商品と同様で、他社と差別化されていなければ、次にやってくるのは戦略のコモディティ化である。



企業の笑えない構図


大変興味深いのは、少なからぬ企業で、『経営改革』の旗頭の元に、経営戦略とか経営企画とかのメンバー、あるいは経営コンサルタントに頼るようになると、かえって思考停止が始まり、本来一層神経を研ぎすまして市場の声を聞かなければならない時に、実におおざっぱな判断しかしなくなる。中には優れた経営コンサルタントもいて、非常にタイムリーに有益な戦略のヒントを企業に与えてくれることもあるのだが、経営者や従業員が思考停止した企業の業績を経営コンサルタントだけの力で上げることはできない。もっと悲惨なのは、中途半端なツールを導入して意味も咀嚼されないままに目標管理が始まることである。


一方で市場は、ますます予期せぬことが起きるようになっている。そんな時に、企業が硬直した頭で、中途半端なツールによる目標管理を脂汗を流しながらやっている構図は、笑えないものがあるだろう。もっとうまく管理できれば、もっと従業員がこの手法通りに管理を強化してくれれば、企業の業績は上がるはずだ、としか考えていないなら、その姿勢自体に失敗の原因があると考えてほとんど間違いはない。



リスクを避けようとするからこそのリスク?


どうしてこんなことになってしまうのか。少なくとも、現場と市場にもどり、自らの頭で考え、培った経験を元に感覚を研ぎすませば、会社の個性そのままに個性的な作戦はいくらでも構築できる可能性があるのに、どうして、あえてコモディティ化して没個性的な戦略に頼るのか。一つには、業績を上げる以上にリスクを避けたいという、防衛本能の問題があるかもしれない。有名な経営理論通りにやれば、経験不足の自分たちのあさはかな戦略よりもましだろうと考えるわけだ。不確実性が支配する市場で、もっとも失敗が少ないと考えられる、有名理論通りの戦略を実行しておけば、最低限企業が潰れるようなことはないだろうと考えているのだろう。


だが、その『有名な経営理論』自体に恐るべきリスクが隠されているとしたらどうだろうか。よかれと思って採用すること自体がリスクになる。これ以上に経営者にとって恐ろしいことはないはずだが、実際にはそのような落とし穴に多くの企業が落ちている。



選択バイアスの罠


この例の一つとして、興味深い話が、DIAMONDハーバード・ビジネス・レビューの2005年7月号の論文に出ているので、紹介しておきたい。ジャーカー・デンレル氏の『選択バイアスの罠』である。副題に『成功事例は真実を語っていない』とあるのだが、この副題がすべてを物語っている。例えば、ここで紹介されている事例に、『成功企業は経営資源をいたずらに分散させず、特定分野や特定技術に絞って集中させている』というテーゼがある。私も、以前のブログエントリーで紹介した、『ビジョナリー・カンパニー』『コアコンピタンス経営』等、あるいは、デンレル氏が例にひく、『本業再強化の戦略』*1に代表されるタイプの経営書には、この戦略で成功した事例が沢山語られている。


問題は、これらの分析対象になった企業はこれらの経営書の著者が彼らの研究期間に存続していた企業のみで、選択と集中の戦略を採用したものの残念ながら失敗した企業は考慮されていないことだ。『本業再強化の戦略』の著者である、クリス・ズック氏とジェームズ・アレン氏は研究期間に存続していた会社 1,854社を対象に、13%が好業績を達成し、その78%、数にして188社がコア事業に集中していたという事実を持って、コア事業に集中する会社は好業績になる確率が高いとする。ところが、当時、コア事業集中の戦略を採りながら倒産した他の200社をサンプルに含めていたとすれば、コア事業への集中と企業業績との真の相関関係は、ズック氏とアレン氏の示したものとは全く逆になっていただろう、というのが論文でデンレル氏が主張するところだ。



自分たちの会社はどちらに近いのか?


私は、だからと言って、コア事業への集中が一般的に言って戦略として間違っているということを言いたいのではない。凡庸な多くの企業にとって、コア事業へ集中しながら、倒産した事例のほうに、本当に学ぶべきことがあるのではないか、ということである。 所謂、『選択と集中』は、現代の経営環境では、非常に大きなリスクと隣り合わせであることは、すでに、6月24日のエントリーでも述べておいたので、ご参照いただきたい。経営で変える日本 - 風観羽 情報空間を羽のように舞い本質を観る もし、この経営書にコア事業集中で失敗した多くの企業の事例が出ていたとすれば、多くの企業経営者に取って、考えるべきは以下のようになるはずだろう。


『自分たちの企業は、コア事業に集中しながら失敗した多くの企業に近い特性を持っているのだが、そうだとすると今コア事業集中が本当に取るべき戦略だろうか?』


この論文の参考に付記してある事例は、さらに面白い。注意していれば、同様の例はすごくたくさん発見できるように思われる。少し長いが引用する。

P92
第二次世界大戦中、統計学社のエイブラハム・ワルドは、敵からの攻撃に対する戦闘機の脆弱性について調査していた。入手したデータはいずれも、ある部分の被弾頻度が他の部分のそれより過度に多いことを示していた。 当然軍関係者は、この頻度の多い部分を補強すべきであると結論した。しかしワルドのそれは全く正反対のものだった。いわく、最も被弾の少ない部分を補強すべきである。 (中略)得られたデータは帰還した戦闘機のものばかりである。ワルドは次のように推論した。致命的な部位に被弾した場合、帰還できる可能性は低くなる。逆に、被弾しても帰還した戦闘機はそのような致命的な部位を攻撃されのではなかったと考えられる。それゆえ、ワルドはこのように主張した。被弾に耐えて帰還した戦闘機の痛んだ部分を補強しても、何の効果もないと。


帰還しなかった戦闘機こそが、本当の対策の鍵を握っているのである。


そのごとく、倒産した企業の分析がない、多くの経営理論、経営書を読むときは、必ず次のように自問しよう。


『このすばらしい経営理論を取り入れながら倒産した会社の事例が載っていないのに、いきなりこの理論に飛びついていいのだろうか?』

*1:

本業再強化の戦略

本業再強化の戦略