構成主義を現代の経営やマーケティングにおける武器にする

『思想地図』を読み始めて


遅ればせながら、『思想地図』*1を読み始めたら、とたんに非常に気になるというか、懐かしい概念が目に飛び込んできた。北田暁大氏が基調報告として書いておられる、社会構成主義(Social Constructionism)がそれだ。 社会構成主義(ないし 構成主義)というのは、北田氏のご説明がわかりやすいので、そのまま引用すると、『私たちが、本質的で、非歴史的、自然のものであり、変化しがたいものと思っているものが、じつは社会的な言説、実践によって構成されたものであると考える立場のこと』である。



『子供の誕生』と先入観


あまり例が良くないかもしれないが、私が初めてこのことを意識したのは、フィリップ・アリエス氏の『子供の誕生』*2を読んだ時だ。『子供』というと、『愛らしく純真無垢』な存在であることは、現代においてはほぼ基本合意ができているといってよいと思う。日本では特にそうだし、一部の例外を除けば、ほぼユニバーサルな了解と言ってよいと考える。これを当時の私は、超歴史的な人類普遍の価値と、かなり単純に考えていた。


ところが、フィリップ・アリエス氏によれば、中世ヨーロッパには教育という概念も、子供時代という概念もなかったという。現代人の言う『子供』は存在せず、『小さな大人』ないし、『背丈の低い人』がいるだけだ。歴史学者の故阿部謹也氏によれば、子供は可愛らしいものというイメージは比較的最近にいたるまで、現代のような形では定着していなかったとして、ヴィルヘルム・ブッシュの絵画、グリム童話集の挿絵、ピーテル・ブリューゲの絵画に出てくる子供の表情を例に上げ、可愛らしいというにはほど遠いものだとする。


また、中世では、多産多死で、子供はどんどん生まれて、どんどん死んで行く。子供が死んで親が悲しむということはむしろ異例だとされたという。死ぬ可能性が高いため、人間の範疇には入っておらず、家族の一員とも考えられない。だから、死んだ子供は家畜や犬猫が埋められるように庭に埋められていた。さらには、大人がフリスビー代わりに投げ遊び、落として死なせたこともあるとか、両親のベッドの中で、あまりにも頻繁に、窒息により非業の死を遂げる子供が多かったという話まで出てくる。大人と違った子供の時期は、13世紀に発見されたものなのだそうだ。



『子供の誕生』を読んだとき私は感動したというよりむしろ衝撃を受けた。そして、それ以降、『歴史』や『中世』に大変興味を持つようになった。そうしてヨーロッパ中世史をあらためて丹念に読んでみると、自分の持っていた常識が実に陳腐なものに思えてきたものだ。しかし、これはヨーロッパ中世が野蛮な世界だったということでも、ヨーロッパ中世に特殊なことでもない。 先天的で、非歴史的なもの、というのは実際に普通の人が考えているよりはるかに少ないということだ。目から鱗とはこういう時に使うのだろうが、私の場合鱗が落ちる程度ではすまなかった。短い間に、自分の中にある信念や先入観の類いが根こそぎ落ちてしまう体験をすることになった。


現代の経営においても


これを現代の経営に当てはめてみても、面白い例を沢山見つけることができる。中でも非常に興味深いのは、しばらく前に大変評判になった本で、野口 悠紀雄氏の『1940 年体制―さらば戦時経済』*3に指摘されている内容だ。日本経済の特質とされてきた、終身雇用、間接金融中心、株主軽視、高成長部門と低成長部門の二重性、政策金融機関、特殊法人等々、一見歴史が古く日本特有のありかたと認識されがちだが、実は、総力戦遂行のために1940年代につくられた戦時経済体制の産物であり、それ以前は終身雇用という考え方はなく、直接金融で株主が重視されていたという。戦争遂行という目的が終わっても、高度成長を支え続けたのは、本来一時的な対応策であった戦時経済体制であったというのは、多くの人にとって、案外『目から鱗』なのではないだろうか。


戦後の高度成長を支えた日本経済の特質は、現代に至って日本経済の構造的な弱点となっている。だが、これらは、日本の風土や文化に根ざした普遍的なものではなく、本来戦時経済体制という特殊な環境の下に生まれたものであれば、あらたな体制を日本の風土や文化の持つ他の特質の元に据え直すということはできるはずだ。少なくとも、先入観と信念に凝り固まった人たちの頭をほぐしてあげることができるのではないか。それより何より、自分自身の信念が凝り固まっていることを発見する契機にすることが重要だと思う。 


また、若年層の価値観が大きく変わりつつあることに対する、大人の反応が、単なる感傷的なものだけではなく、日本古来の価値観等が引き合いに出てくるのを見るにつけ、本当にそうなのかどうか、安易な先入観に影響されているのではないか、と感じることは多い。そういう局面で、うまくこの社会構成主義の概念を使うことができれば、現代の経営やマーケティング実務者にも大きな力になると思う。

*1:

思想地図〈vol.1〉特集・日本 (NHKブックス別巻)

思想地図〈vol.1〉特集・日本 (NHKブックス別巻)

*2:

〈子供〉の誕生―アンシァン・レジーム期の子供と家族生活

〈子供〉の誕生―アンシァン・レジーム期の子供と家族生活

*3:

1940年体制―さらば戦時経済

1940年体制―さらば戦時経済