経営で変える日本 

『系列』『総合』が強さの象徴だったかつての日本


戦後の日本は、日本式コングロマリット、いわゆる系列という巨大な企業グループをつくり、あらゆる種類の業種をその中におさめて独自の発展を遂げて来た。独立系と言われて、系列色の無かった企業でも、融資を受けた銀行の系列に準系列のような形で関係を持つ会社が多かった。三菱グループ三井グループ住友グループ・・。それは本当に盤石で、私が最初の会社の入社した当時、この体制が崩れる未来というのは、とてもではないが想像できなかったものだ。今も、もちろんこのグループは完全になくなったわけではないが、何せその中核にあった銀行がどんどん合従連衡を繰り返し、求心力はあきらかに低下してしまった。


この時期の企業は、系列の中に何でも持つというのが、当然の了解だったため、『総合』というのが、非常に力強く感じられる冠だった。総合電気、総合商社等、それは永遠に続く優良企業のシンボルと言ってもよかったと思う。そして、その総合電気など、海外の市場でも無類の強さを発揮して、各国の市場を席巻したため、総合であることが強さと認識されていた。いまでこそ奇妙に感じられるかもしれないが、80年代などこのフォーミュラを疑うものは誰もいなかったのだ。



あっというまに『選択と集中』へ


ところが、バブル期を経て、90年代も半ばを過ぎるころになると、この風向きは急速に変わって行った。気がついてみると、日立、松下、東芝など総合電気の雄と言われた企業は、軒並み業績を悪化させ、資本効率の悪さが指摘されるようになり、いつの間にか、『総合』というのは、弱さの象徴のように語られるようになった。そのころ、特に強烈に輝くアンチテーゼとして市場に強いプレゼンスを持っていたのが、ジャック・ウェルチ氏に率いられたGE(ジェネラル・エレクトリック)社だ。『ナンバー1・ナンバー2戦略』と呼ばれて日本でも非常に有名になったが、グループが抱える業種のうち、市場でナンバー1とナンバー2のシェアを取れていない業種は売却して、その資金をより有効な事業に投入するという策で、実際に大きな成果を上げた。この戦略は、1981年にジャック・ウェルチ氏がCEO就任したときに宣言されているのだが、それが日本でも大々的にとりあげられるようになってきたのは、やはりバブル期以降だと思う。


そのジャック・ウェルチ氏は2001年までCEOを務め、20世紀最高の経営者と呼ばれるほどの存在となる。彼が本当に偉大な経営者だと賞賛されるのは、CEOを退任して、ジェフリー・イメルト氏が新しいCEOになってからも、GEが変わらず発展していることだろう。イメルト氏の就任後5年間でGEは60パーセント大きくなり、利益は倍増している。彼を後継者に指名したのは、ウェルチ氏だし、イメルト氏と後継者争いを演じた人たちが、GEを離れても非常に優れた経営者として、実力を発揮し(ジェームズ・マクナニー氏等)、GEは今でも世界一の人材輩出企業の名を欲しいままにしている。


それ以降、日本企業でも、『選択と集中』が企業経営の最重要概念として受け入れられるようになっていく。ちょうど、1990年にゲーリー・ハメルト氏とC.K.プラハード氏がハーバードビジネスレビュー誌に寄稿して有名になった、『The Core Competence of the Corporation』以来、多様されるようになった、コア・コンピタンスの概念とともに、この二つを並べておけば、経営に関して知ったかぶりができるようになった。 特にバブル後のリストラが本格化する時期に、何度この言葉を聞いたことだろう。



日本企業は本当に『選択と集中』ができている?


その後、日本企業の中には、比較的うまくこのコンセプトを汲み取って、企業改革に成功するところも出てきた。(パナソニックなどその好例と言えそうだ。) だが、今、冷静に振り返って、この『選択と集中』『コア・コンピタンス』を本当に日本企業は咀嚼して、企業改革に成功したのだろうか。どうも、そんなに簡単に言っていないのではないか、と私には思える。そして、21世紀も最初の10年間の後半に入った今、特に前回のエントリーでも述べたように、風観羽 情報空間を羽のように舞い本質を観る 『インプットに対するアウトプットがカオス的で予想が立たない』ことがはっきりしてきた時代に、過去の自社のシェア・スコアーだけ持って、選択と集中とか言っていられないのではないか。 精度の高いポートフォリオ戦略によって、ある程度のリスクを取って、事業エリアを拡大できるようにしておかないといけないと思う。経営にとってはさらに判断が厳しい状況がやって来ているとみるべきではないのか。


実のところ、長期雇用を前提としている日本企業では、選択と集中は構造的に非常に難しい。人件費が固定費に計上されているため、事業売却は難しいし、損益分岐点が高いため、事業の閉鎖等に伴う売上高の現象はすぐに利益の現象となり、簡単に成果を出すことは難しい。このあたりの日本企業に起こりがちな事情は次の記事に事例とともに紹介されていて面白い。そして、ここで紹介されているように、一見ハデで格好よく、『自分は経営している』という充実感によいながら、見かけのハデさと引き換えの自殺行為を行うような経営者も残念ながらよく見かける。
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実際には『デフレ経営』や『コア・コンピタンス依存症』


さらには、選択と集中の美名を使いながら、その実、単なるコスト削減/リストラだけだったり、中長期投資を適切に行うだけの判断力や決断力がないためすくんでしまったり、長期投資をしない短期損益のみの、いわば収奪経営など、目に余る例も実に多い。どんどん売るもがなくなり、思い出したように古びたコンセプトで起死回生の新商品を出しながら、また失敗を重ねていく。いわゆる『デフレ経営』だが、こういう会社の経営者も、選択と集中を行いコアコンピタンスに絞り込む、というようなことを臆面もなく口にする。


そういう会社を次に待っているのは、コア・コンピタンス依存症』だ。これは、しばらく前にも引用した、『自滅する企業』*1に出てくる、習慣病の一つである。ここには、シンガー・ミシンやエンサイクロペディア・ブリタニカ等の例が出てくる。コアとなる事業が繁栄することは、企業にとって幸福なことだが、依存症にかからないためには、慢心したり、現実否認症にかからないよう注意しながら、次の一手をうつことは経営者の重要な役割だろう。


そもそも『選択と集中』で成功する企業に共通するのは、切り捨てる大胆さ以上に、何に集中するのか、集中して勝ちに行くために何をするのか、という嗅覚が抜群にすぐれ、できることはすべて集中的に行うことができる決断力をのある経営者がいることだ。先にあげた、GEがまさにそうだし、IBMの窮地を救った、ルイス・ガースナー氏もまさにそうだ。IBMの生筋がソフト/サービスと見定めたら、ロータスを初めとしてソフト企業を素早く買収し、あっというまにIBMの体質を変えてしまった。次に育てるべき事業が見えていて、成功するためのあらゆる手段を知っているからこそ、収益力と将来性のない事業をたたんで、その資金を有望な事業に投入することができるわけだ。そこには消極性や守りの姿勢のかけらも無い。



現代の競争条件を知らずして『選択と集中』?


今はプライベート・エクイティ・ファンドである、カーライルの会長である、ガースナー氏へのインタビューが、『カーライル』という本に収録されているが、ITの力で、世界が繋がった世界はどの業界でも新しい競争相手がどんどん出現するようになって、企業の数が余剰になり、競争が激化しているという。だから、企業の経営者は選択と集中を今までとは違う、さらに研ぎすまされた次元で行わなければならなくなったのだ、という。結局コアにまで縮小するということではないのか、と読めてしまいかねない。だが、彼の真意は、普通の日本の経営しか知らない経営者には、全く予想もできないところにある。現代の競争条件をITと共に劇的に変えてしまった金融技術を最大限に使いこなすという前提があるのだ。


『カーライル』の最終章に興味深い例で説明されているのだが、従来先行研究の成果で太陽電池パネルで優位にあった日本企業(1位シャープ、3位京セラ、5位三洋電機)は、今後5年間にシャープ以外は海外企業にパイを奪われることが確実なのだそうだ。環境問題の高まりによる需要増を受けて、日本企業も大幅な投資増を計画しているのにも関わらずだ。自前のリソースで資金調達をしようとする日本企業に対して、海外企業は、まず事業部門を分社化させ、外部資本を入れて育ててIPO(株式公開)させる。そして、自社のキャッシュとは桁違いの事業資金を市場から吸い上げる。さらに、ファンド資金と結束して市場拡大を加速させることも仕掛ける。

こうして、製造業としてだけ比較すれば負けるはずのない日本企業が、負けて行く。先日の私のエントリーでも述べた、『製造業マインド』に執着して、ITや金融を嫌うことの落とし穴の実例がここにある。



経営で変える日本


今の日本が成長が見込めなくなってしまった一番大きな原因は、まずは『経営』の重要性を本当のところ理解していないこと、そして、特にITと金融によって起きているグローバル経営のルールの変化に対応できていないことにあると思う。日本で一番希少な資源は、経営者というのは本当だ。そして、残念なことにグローバルな経営ができる経営者は、日本に残るよりダイナミックなチャンスが溢れる海外を志向する傾向がある。それはそうだろう。日本企業と言えば、多くは今だに昭和の夢を追って、工業社会のパラダイムを離れず、考えることよりも空気を読むこと、議論よりも夜の宴会とゴルフ、新入社員は泥のように10年働けでは、すぐれた経営を担える若い人材が日本にいる理由がなくなってしまう。そして、それはめぐりめぐって企業の国際競争力を弱め、人材を雇用することができず、若年層の悲惨な状況を助長する。そういう意味では、秋葉原の連続殺傷事件の責任の一端は、日本のおじさん達にもあると考える。


まずは、みんなして、この変わりゆく現実をしっかりと認識しよう。そして、自らと自らの周囲を変えて行くのだ。そして、是非よい意味での連帯を広げていこう。

*1:

自滅する企業 エクセレント・カンパニーを蝕む7つの習慣病 (ウォートン経営戦略シリーズ)

自滅する企業 エクセレント・カンパニーを蝕む7つの習慣病 (ウォートン経営戦略シリーズ)