良書を読んでもMBAを取っても

どんな優良企業でも・・


一度優良な企業として評価されたとしても、それはその企業の永続を保証するものではないことは、理屈ではわかっていても、自ら体験しないとなかなか実感できないものだ。日本の一流企業と言われる会社の従業員も、今、自分たちがその変化のきざしの中にいることを薄々感じながらも、なまじ会社の規模が大きいだけに、どうしようもない苛立ちを感じている人は少なくないと思う。


トム・ピーターズ氏とロバート・ウォータマン氏による世界的なベストセラー、『エクセレント・カンパニー』*1は1983年の出版以降、後長く読み継がれ、今や経営書の古典と言ってもよい名著で、『経営書50選』という類の企画があると、大抵入ってくる一冊だ。今あらためて読んでみても、当時の時代背景を勘案すれば、リーズナブルな内容だと思う。(もちろん、現代にそのまま持って来ても、通用させるのが難しい内容も多いことは要注意) それでも、ここでエクセレント・カンパニーとして取り上げられた企業のほとんどが、この本が書かれてから今までの約25年の間に、ほとんどが深刻な経営危機に見舞われているという。 


『エクセレント・カンパニー』とほぼ同じ意図で書かれた、『ビジョナリー・カンパニー』*2の方も、その続編を含めて大変すばらしい本で、同じくベストセラーになったが、やはり例として取り上げられた企業も順風とばかりはいかないようだ。ソニーは往時の輝きを失い、シティバンクやウォールマートも手放しで優良企業とは呼べない状況が起きてきている。優良企業になることより、優良企業で居続けるほうが難しいようだ。



優良企業なればこそ自滅する


この問題を取り上げて、その原因について探求した本が、『自滅する企業』*3である。巻頭の訳者前書きによると、下記のようにある。

P2
本書によれば、優良企業の多くが破堤した理由は、競合との熾烈な競争などではなかった。驚くべきことに、原因は『優良企業』自身の体内に潜伏していたのだ。それも、成功をたぐり寄せる過程で自然と見についてしまった『自滅的習慣』によって、つまり、成功が失敗を生んだわけである。


なんとも、『イノベーションのジレンマ*4を彷彿させる内容だ。成功した企業は成功によって自滅的習慣に陥るという。(『イノベーションのジレンマ』でも、優良企業だからこそ失敗する、という衝撃的な問題提起だった。)


これは、今の日本企業の多くにあてはまりそうだ。日本的経営が世界的に賞賛された当時は、終身雇用、年功序列、旧通産省の産業政策など、それぞれにどうしてそれが成功の原因だったか、という説明をたくさん聞かされたものだが、今やそれは日本企業低迷の原因とされている。 


企業を囲む市場環境は、時とともに変化する。エクセレント・カンパニーが出版されてからここまでの25年間、それはもう天地がひっくり返るような変化が起きた。(今も起きている。) そんなときに、成功法則とか呼ばれるものを金科玉条守って、思考停止したら、会社がつぶれるのはあたりまえだろう。良書はそこからエッセンスをつかんで、自分なりに応用してこそ価値がある。良書をかじって、簡単なマニュアルや『何とかシート』をつくって後はそれを守るだけ、という類のことしかせず、会社が傾いたのをどうしてくれる、とか言うのは、著者に失礼というものだろう。


過去2回のエントリーで、経営者のことを取りあげて来たが、『経営書やカリスマの言うことを鵜呑みにしない』ということを、よい経営者になるための教訓として付け加えておいてもよさそうだ。



MBAの功罪


最近では日本企業の中でも、MBA*5不要論が浸透してきたように思う。(特に製造業でその傾向が強いような印象があるが、それは単なる私の思い込みの可能性もある。) ところが、今日本企業の戦後の成功の柱とも思われた、OJTを中核とした企業内教育がうまくいかなくなってきて、一方ではMBAに派遣しても効果がないどころか、逆に取得したMBAを生かして、より高給を提示してくれる会社を求めて会社を辞めてしまうことも少なくないため、企業の教育担当部局もさぞ頭が痛いだろう。(ただ、そもそもどんな資格であれ、それを取れば人生バラ色なんていうことがあると考えるのであれば、その甘い考え方自体によって、仕事での成功は望めないだろう。逆に、MBAなんて役に立たないと決めつける人たちも、足下がお寒い感じがする。)


ヘンリー・ミンツバーグ氏など、著書の『MBAが会社を滅ぼす マネジャーの正しい育て方』*6で、ハーバード・ビジネス・スクールを中心としたMBA教育の批判を展開している。マネジメントに関する教育は実務経験のない者が受けるべきものではない、優秀なMBAでも功績を挙げたものは少数でほとんど役には立っていない、放漫で配慮に欠けた成功を独り占めしようとするエリートを育てた、というような指摘が沢山されており、出版当時話題になったものだ。正直なところ私自身あまりこの人の著作を読んでいないので、評価も批判もそれほどできる立場ではないが、特に日本のように、経営戦略と言えば、管理過程学派の亜流のような内容であったり、マイケル・ポーター氏一辺倒という傾向がある中では、ミンツバーグ氏の言説は非常に新鮮で、バランスが取れたものに感じる。


『経営』を学として学んだ経験者の少ない企業で、『経営企画部』や『経営戦略部』を見よう見まねでつくろうとすると、まさにこの管理過程学派の亜流のような管理統制部署をつくり、従業員からは反発されたり、物笑いの種になっている例が多い。


ちょうど、Wikipediaにこの管理過程学派の説明があり、しかもヘンリー・ミンツバーグ氏のことにもふれていて面白いので、引用する。

管理過程学派(the management process school)とはファヨールを始祖とする経営学の学派で、経営管理者の職能を研究するものである。この学派はマネジメント(経営管理)を職能であるととらえ、経営管理者の職能は管理要素であるPOCCC(計画化、組織化、命令、機能調整、組織統制)など段階的、循環的、継続的に遂行されるものであるということから管理過程学派と呼ばれている。また、複雑な経営管理者の仕事の原則を見つけようとする管理過程学派に対して、ミンツバーグの主張のように実際の経営管理は完璧に原則通りいくはずがないという批判をする者も現れ、管理過程学派を批判的に見る学派も生まれた。

合理と非合理の最適ミックス


MBAに代表される経営手法の問題点を私なりに解釈すると、背景にある経済学思想に遠因があると見る。経済学で前提とする人間は、いわゆる『ホモエコノミクス(合理的経済人)』というやつだが、そもそもこれは人間を理性的・合理的判断をするものと仮定する。しかしながら、実際の人間は非理性的で非合理、そして感情的な存在だ。ついでに感覚的と言ってもいい。この非合理な部分を非科学的として避けて来たところに旧来の経済学があり、その延長としてのMBA的手法がある。


ところが、まさにミンツバーグ氏が指摘するように、実際の経営管理は原則通りは行かない。仕事の中の非合理部分は、日本でも欧米でも、職場の経験が長い人の直感やカン、コツに頼って来ている。トヨタのような日本的経営の成功例とされる会社では、『現地現物主義』と言って、実際の現場で暗黙知をさぐることを重視する。一方で合理を突き詰めるが、もう一方で非合理からのメッセージが汲み取れていないことが明らかな判断は、青臭い判断として一蹴される。合理と非合理をバランスさせようという意識が根付いている。


今は、どんなことでも、従来堅く繋がれていた、明示的な部分と暗黙的な部分が切り離されて、それぞれが勝手に動き、新しい秩序を求めて流動化しつつある。良書を読み、MBAで学んだ知識を生かし、現地現物主義のエッセンスをくみ取り、市場の無意識に耳をすます、そして合理と非合理の最適バランスを見つけて行くというようなスーパー・ハードなことが求められているのだ。そういう意味では、経営学マーケティングも新しいフロンティアを求めて流動化を始めていると言える。このフロンティアを受け入れる覚悟と姿勢がなければ、経営者の椅子に座り続けることは苦痛以外の何物でもないだろう。しかし、それをチャレンジとして楽しむ覚悟で、新しいフロンティアを見つけるべく覚悟を決めて、勝ちに行く、そんな競争フィールドに若い経営者が続々参入するようになれば、日本もう一度活気を取り戻すに違いない。

*1:

エクセレント・カンパニー (Eijipress business classics)

エクセレント・カンパニー (Eijipress business classics)

*2:

ビジョナリー・カンパニー ― 時代を超える生存の原則

ビジョナリー・カンパニー ― 時代を超える生存の原則

*3:

自滅する企業 エクセレント・カンパニーを蝕む7つの習慣病 (ウォートン経営戦略シリーズ)

自滅する企業 エクセレント・カンパニーを蝕む7つの習慣病 (ウォートン経営戦略シリーズ)

*4:

イノベーションのジレンマ―技術革新が巨大企業を滅ぼすとき (Harvard business school press)

イノベーションのジレンマ―技術革新が巨大企業を滅ぼすとき (Harvard business school press)

*5:経営学修士 - Wikipedia

*6:

MBAが会社を滅ぼす マネジャーの正しい育て方

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