変質した日本市場へのアプローチ

マーケティング界のカリスマ フィリップ・コトラー


現代マーケティングの第一人者といわれる、フィリップ・コトラー著作は、マーケティングを学問として勉強した人はもちろん、その多くの著作を通じて、向学心のある人の心をとらえ続けて来た。圧倒的な体系でありながら、平易でわかりやすい語り口は、一度著作を読み終わっても、手元に置くバイブルとして最適だと思う。確かに市場は変化を続けているが、誰もが一度は読んで、基本となる考え方を自分の頭でトレースすることの価値は、おそらくこれから何年経っても変わらないように思う。そういう意味では、すでに、氏の著作は『古典』と言って良いと思う。


そのコトラー氏によると、マーケティングの工程は、市場調査 → 市場のセグメンテーション → ターゲティング → ポジショニング→ マーケティング・ミックス→ 実施 と続く。私が知る限り、現代のほとんどのマーケターは、多かれ少なかれこの工程を基本として取組んで来たし、今も原則それほど変わっていないと思う。労働力を含めた資源の制約の下、最も効果的に実績を上げるためのセオリーとして優れているからだ。



コトラー氏の市場セグメンテーション


ただ、問題は、『市場のセグメンテーション(市場の細分化)』をどのように行うのか、という点にある。(セグメンテーションというのは、市場をある性質によって分け、それぞれに対し、最適な戦略・試作を立案・実施することを可能にする行為である。) コトラー氏は、この基準を次のように定めている。

  • 人口統計的区分 :年齢、性別、人種、国籍等
  • 地理的区分   :地域、気候等
  • 社会的区分   :職業、学歴、所得等
  • 心理的区分   :個人の価値観、態度、性格等


実のところ、セグメンテーションは、可能性としては無限のパターンがあり得る。ただ、セグメント(細分化)した結果として、その塊(セグメント)が塊として同質で、効率的にアプローチできるかどうかが問題だ。例えば、個人の価値観で市場が細分化されることがわかっても、そのセグメントに属する人が、市場に散在する結果として効果的に販売活動が行えない場合は、細分化する意味がなくなることもありうる。



アメリカおよび日本での事例


比較的細分化がやりやすいのは、地理的区分、人口統計的区分、そして社会的区分のうち所得であり、しかも有効と言われて来た。特に、アメリカ市場は、年齢×年収×地域を把握できる情報があると、かなり有効な『マーケティング・セグメンテーション』が可能な市場だった(今でも?)。自動車市場など、自動車の車名ごとにその購買者の年齢と年収をプロットしてみると、そこにまた別のセグメントが浮かび上がって来る。例えば、ベンツやBMWは若年だが高年収の塊になり、キャデラックなどのアメリカ国産車は年齢が上がっても年収があまり上がらない人たちの塊に収まる。そして、その塊ごとに学歴、ライフスタイル、居住地域等が紐づいてくる。この手法は、当時は(今も?)特にアメリカ市場で機能した。社会がかなりくっきりと階層と居住区域で分けることができたからだ。


ただ、その当時の日本では、ほとんどのサラリーマンが年功序列的で、年収は年齢にリニアにリンクしていたし、実際の年収以上に中流所属意識が強かったため、同年齢での年収による階級差はほとんど問題にならなかった。年齢や男女の差の方がセグメンテーションの基準としては重視されていたと思う。前にも言及して記憶があるが、そのころは日本人なら誰でも『いつかはクラウン』というようなキャッチフレーズがあてはまってしまうような雰囲気があった。(70年代後半〜80年代)だから、年齢が若ければ大衆車(カローラ、サニー)、だんだん年齢があがって結婚して家族ができれば小型車(コロナ、ブルーバード)、そしていつかはクラウン、というわけである。本当に同質的でわかりやすかった。『標準家庭の平均的なライフコース』(サラリーマンの夫に専業主婦の妻が、一戸建ての持ち家に住み、子供が2人いる。新卒で大企業に入り、定年退職まで一つの会社に勤務する。老後は、退職金と年金でつつましく暮らす)にリアリティがあった。



日本市場の変質


しかしながら、少なくとも日本では、この事情は急激に変わって行った。特に昨今言われるように、この『標準家庭』がもはや標準とは言えない。


例えば、

  • 専業主婦  → 共働き
  • 男女の価値観の大きな違い → 男女同権、嗜好/価値観の同化、ユニセックス
  • 結婚    → 離婚・非婚率の増大、高齢独身の増加


等々・・・


当然、従来のセグメンテーションでは、機能しなくなっている。ところが、しばし驚くのは、従来のセグメンテーションをベースにした、市場分析やマーケッティングを実施している企業がいまだににかなりあることだ。(大半と言っていいかもしれない) これはどうしてなのか。思い当たるのは、経営層や上級役職者に上りつめたオールド・マーケターに対する説明のし易さだ。どの切り口で切っても本当に同じような問題に行き着くようだ。若手の有能なマーケターの苦労がしのばれる。


実は、『見えない次元の競争』をしかけなければ勝てない理由は、ここにもある。今の日本市場で、有効な市場の細分化をやろうと思えば、マインド・セグメンテーションを中核にせざるを得ない。具体的には、ライフスタイル、パーソナリティー、消費性向によるタイプ等があるが、これはなかなかに見えにくい。だが、見えにくいからこそ、セグメントできれば、競合他社に対して大きな優位性を持つことができる。


但し、年収の二極化、という現象は、中期的に見ると、アメリカ型の階級社会的な現象を引き起こす可能性もあり、対象商品の種類によっては、意外に地理的要因、年収等、旧来アメリカで有効だった細分化が使えるようになる可能性もないとは言えない。すでに、自動車販売等にそれが見られるという指摘もある。(東京の外車比率の高さ、南日本の軽自動車比率の高さ等) 何事も、ステレオ・タイプ、思考停止はだめだ。もちろん、その旧来の単純なセグメントだけでは競合他社にも当然見えやすいため、もっと違う軸を見つけて行かないと競争には勝てないとうことはある。人の言うことを鵜呑みにせず、自分で考え抜くことが重要だ。