どうしてここまで『ゲゲゲの鬼太郎』は人気があるんだろう

今尚進化する鬼太郎


日本のアニメやドラマで息の長い作品の代表格はと言えば、『サザエさん』であり、『水戸黄門』ということになりそうだが、すでにその域に達したと言ってよい作品に、水木しげる氏の『ゲゲゲの鬼太郎』がある。この『ゲゲゲの鬼太郎』の原型とも言える『墓場の鬼太郎が貸し本として登場したのが1960年、少年マガジンに初めて掲載されたのが1965年、『ゲゲゲの鬼太郎』としてアニメ化されたのが1968年というから、アニメ化されてから数えても、すでに 40年目ということになる。


鬼太郎がすごいのは、今まだ完全な現役であるだけでなく、『進化』していることだ。この2008年にも『ゲゲゲの鬼太郎 千年呪い歌*1として7月12日より劇場公開される予定だし、原型である『墓場の鬼太郎*2のほうも2008年1月よりフジテレビ系の深夜アニメ枠「ノイタミナ」で放映され、13日深夜に放送された第10話の視聴率が5.8%(関東地区、ビデオリサーチ調べ)を獲得し、 07年1月放送の「のだめカンタービレ」(第2話)の5.5%を抜き、同枠の新記録となった*3。また、水木しげる氏の故郷である、鳥取県境港市では、境港駅から繁華街のアーケード通りまで『水木しげるロード*4として多くのオブジェを配して町おこしに成功し、今や観光地としても多くの来客を迎えるようになった。



成功の秘密は?


『妖怪物』というような特異な分野が、一時期のブームでは終わらずに、定番として半世紀の間人気を保ち、なおかつ、今尚進化している。この秘密はいったいどこにあるのだろう。一過性で終わってしまうものと、これだけ長く受け入れられるものの違い、それは何なのか。


一つには、水木しげる氏の徹底ぶりがあると思う。水木氏は、幼少時代から怪異なもの、不思議なものに対する憧れが強く、子供のころは彼が『のんのんばあ』と呼ぶ不思議なおばあさんに様々な伝承や怪異な物語を聞き、境港という土地に根付く妖怪たちと共に成長する。そして、長じて戦時中には、徴兵されて南方戦線に送られ、悲惨な戦争を体験するだけでなく、自ら九死に一生を得て片腕を失って帰還する。まさに生と死の狭間である幽界を自ら彷徨った体験を持つ。そして、戦後は妖怪漫画を書く傍ら、古い文献にある妖怪伝承や、古い絵巻や絵本、そして、柳田國男氏らの民間の妖怪伝承等を積極的に塊集した。のみならず妖怪伝承を収集するため、自ら旅に出て、それは遠く海外にまで及ぶ。塊集家としても研究家としても間違いなく第一人者である。


そしてその研究を元に、そのつかみ所のない怪異な存在に、形と色を与えて行く。その成果が、『妖怪事典』*5シリーズや『妖怪画談』*6シリーズとして、結実している。『妖怪画談』のあとがきで、水木氏は、『柳田國男*7のあたりのものは愛嬌もあり大いに面白いが、形がないので全部ぼくが作った』と言っている。『妖怪画談』はもちろん怪異なもの達に溢れているのだが、いつの間にか日本の原風景の持つ郷愁にいざなわれ、葛飾北斎の浮世絵に見る美しさを感じてしまう。 500年くらい後の研究者には、柳田や北斎等と同列に水木氏が扱われているのではないだろうか。


その土地の風景にやどりながらけして姿をあらわすことがなかった妖怪は、水木氏によって次々とその姿を我々の前に現すことになる。日本人の心の古層とも言うべきレイヤー(層)に今も死に絶えることなく、妖怪、怪異なものが住んでおり、それを眼前にした我々ははっと驚きながらも、強く魅了されてしまうのではないだろうか。この古層にある原型を掘り出したものは、商業的な成功はもちろん、地域のコミュニティーの強烈な求心力を手にするのではないかと思う。そして、その実例が、鬼太郎TV番組の高視聴率や映画の成功であったり、境港の活性化なのだろう。


関連サイト

水木しげるの妖怪画を驚異の映像化! 妖怪動画サイト:妖鬼化(ムジャラ)

medamamaoyaji.jp

水木しげる記念館_(ノΘ..ヾ)

水木しげるロードとは - はてなキーワード

境港市観光協会 | さかなと鬼太郎のまち 境港市観光ガイド 【境港市観光協会ホームページ】