夢ある日本のIT企業として世界と勝負するには

日本のIT業界の現状


IT業界というのは、本来とても夢のある業界だと思う。本当に世界を変えることができる可能性に繋がっている。私自身他業界を渡って来た実感からも、やる気のある若者には是非お薦めしたい業界だと思っている。IT業界という定義では範囲がどこまでかわからない、という向きもあると思うが、実はそこがみそで、ビジネスのチャンスが従来の定義を超えて広がっているが故に、範囲を特定するのが難しいという面がある。それをポジティブに受け入れることができる限り、『なんでもあり』で、だからこそ面白いとも言える。


ところが、大変残念なことに、就職活動をする学生にとって、今日本のIT産業というか、IT業界はあまりよろしくないイメージが流布しているようだ。


「化粧のらない」「結婚できない」 IT業界就職不人気の理由 : J-CASTニュース

IT業界は、『きつい』『厳しい』『帰れない』の3Kに加えて、「規則が厳しい」「休暇がとれない」「化粧がのらない」「結婚できない」の4Kが加わって、合計7Kなどと言われているようだ。


大学生の就職人気ランキングでもあまり芳しくないようだ。

大学生の就職人気企業ランキングをいくつか見ても、楽天ソフトバンクといった有力IT企業は、上位に登場していない。日経が07 年2月9日に新聞発表した調査によると、総合100位以内のIT企業は、46位のNTTデータ、68位のマイクロソフト、94位のNTTコムウェアといったところだ。調査を担当した日経HR編集グループでは、「大きなIT企業はそれなりの人気があるようですが、大量のSEを抱えているような企業は上位に入っていませんね。ゼネコンと同じで、下請け、孫請けといったIT企業は不人気になっています」と話す

夢のあるIT企業であるためには


本来夢のある業界であることは本当だと思うが、今の日本のIT業界は、確かに非常に大きな問題があることも、実のところ認めざるを得ない。では、どうすればそれを変えていくことができるのだろうか。少なくとも個々の会社がこういう状況にならずに、夢のある会社で居続けるためには、どうすればいいのだろうか。


先日、長年の友人で、人材斡旋の会社を経営する友人と話していて、自分自身潜在的に感じていたことをズバリと指摘された気がした。


曰く、『なんでもチャレンジできる、だからこそ夢がある、ということをアピールできなくなったIT企業に人は入ろうとはしない。身分がどうという問題ではない。給与や福利厚生を重視したい人はそもそもIT業界に入ろうとは思わない。自由度が大きくてチャレンジできる、だから自分の身の置き所もある、と感じるから人を集めることができるので、決められたことを決められただけやれというIT企業に入ろうという人はいない。少なくとも自分はそんな会社に入ることを就職希望者に推薦することはできない。』


私も全くその通りだと思う。 でも、自分の周囲を見ても、ある程度の規模感のあるIT企業は、ほとんど同じような状況に追い込まれれていく傾向があるように見える。元気なのは、ニッチマーケットを相手にする、小規模なITベンチャーのほうだ。そういうところは、仕事はきついし、いわば3K職場そのもののように見えるのだが、社員の目が輝いている。従業員一人一人の意欲が高く、能力も引出されているように見える。


どういうことなのか。


日本的経営が一番向かないIT業界


端的に言えば、従来の日本企業の慣行、いわゆる日本的経営で取り組むのが、どの業種よりもうまくいかない業種、それがITであるのに、多くの企業が気づいていないことだと思う。


その辺りを非常に明快に指摘してくれる一節が、城繁幸氏の著書、『3年で辞めた若者はどこへ行ったのか』*1にあるので、引用/ご紹介したい。

P38〜P39
年功序列制度には、合う業種と合わない業種が混在しているわけだ。もっともこれが合わない業種とは何だろう。ベテランというだけでは価値を持てない業種、変化が蓄積よりも重要なビジネス。ITこそ、その代表だろう。新興のIT企業の中には、『エンジニアの35歳限界説』を唱えている起業すら存在する。


自分もこれは実感する。他業種も同様の状況は出て来ていると思うが、IT業界では特に著しい。

P39
ところが、日本のIT企業の多くが、相変わらず年功序列制度を維持し続けている。特に歴史ある大企業ほど矛盾は深刻だ。大型の汎用機を売っていた往年の営業マンがIAサーバーの販売を統括し、ワープロを作っていた元技術者がPCビジネスの舵を取る。そして彼らの下には、同じような世代の中間管理職たちが群れを成し、最前線で戦う若手との間に壁を作る。


世代間対立はいつの時代にも、どの業界にもある、というような感想を管理職世代からよく聞くが、根本的に構造が違っていることに気づいていない。もっとも気づいていても、どうすることもできず、少なからず疲弊し、本当に病気になってしまう者も少なくない。


P39
こういった、ビラミッド型の組織でおきていることを一言であらわすなら、それは伝言ゲームだ。役員が会議で発したセリフが、末端に下りてくる頃にはまったく違った意味として伝えられる。現場から上げられた企画書は、階層化した管理職を経るうりに、堂々巡りして当初の案に戻ってくる。そして、一つのアクションを起こすまでに半年近くかかるうち、ビジネスはもう手の届かない先まで流れていってしまう。

こうして、品質を確保し、関係者に情報を共有かすることができるため、一旦ビジネスを始めた後は、スムーズにことが進むのが日本的な経営の良さとされて来た。だが、IT業界の場合、そのようにして進めていっても市場のスピードにキャッチアップできなければ、全く意味がない。中期的に安定した市場があることを前提としたやり方が通じるはずがない。

P39
今でも、日本のモノづくりは世界一と言っていいが、ことITの分野においては、世界市場に通用する製品は皆無だ。その裏には、こういった事情があるのだ。


すりあわせが得意な日本のモノづくりは、垂直統合的な製造業では通用しても、IT業界では通用しない。これは、従来型製造業の頂点にある会社に在籍した経験のある私自身、骨身にしみて感じるところである。日本オラクル等、日本のIT企業で二十年以上働いたキャリアを買われてNECに入社した池田氏の発言をベースに、さらに参考になる話が続く。



ITゼネコン

P40
アメリカのIT起業は、どんなに小さくても、必ず何か一つは独自技術を持とうとする。逆に日本では、とりあえず大手の系列に潜り込もうとする。簡単に言えば、日本のIT企業は、巨大なゼネコンみたいなものなんです。


この、『ITゼネコン』問題は、今回のエントリーの内容の範囲を超えて、さらに大きな問題を喚起するが、とりあえずあまり深追いせず、いくつか参考になる記事をピックアップしておく。自動車業界のように日本的経営で世界の競争に勝っていた企業はともかく、カルテルをつくって競争を制限し、談合を繰り返し、海外企業の参入に障壁をつくる、というような意味での旧来の日本の経営手法にIT業界がはまって行く構図というのは、いかがなものか。次の世代の夢を摘み取る元凶ではないか。


ITゼネコンとは何か(PC Explorer 2004年4月): 佐々木俊尚 これまでの仕事

IT & 経営 :テクノロジー :日本経済新聞

IT & 経営 :テクノロジー :日本経済新聞

http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/6cfe99a7bfe6b59f9322bdbdaf53d70c

P41
日本のITビジネスは、NEC富士通、日立といった大企業を頂点とし、数千社の企業が、下請け、孫請けする形で成り立っている。会社内もピラミッドなら、企業群もまたピラミッドを成しているわけだ。まさにゼネコンと言っていい。 『そういう意味では、日本のIT企業は、モノ作りより人材派遣業と言ったほうが近い。リスクのある開発よりも、仕事を請け負い、SEを派遣することで安定した利益を得ようとする。モノを作りたくてはいった会社が、いつの間にか会社を維持するための会社になってしまっているんです』

P41
だが、SEの派遣業はけして美味しい仕事ではない。大手は契約獲得のためにぎりぎりの水準でクライアントからの受注を目指す。当然しわ寄せは系列の下流に行くほど大きくなる。しかも、近年は中国やインドといった新興IT国の台頭で、さらにダンピングに拍車がかかっているのが実情だ。 今やITは3K(きつい、汚い、かっこ悪い)の代名詞となってしまった観すらある。下請けに専念するだけでは、明るい未来はないのだ。


『B to B』という美名の元に、受託専業(大企業の下請け)に落ちて行く企業が、中小IT企業にも多いが、ここがターニングポイントだ。このラインを踏み越えてしまった企業は、私の友人が言うように、もはや有為な若者を入れることも、引き止めることもできなくなる。さらに、話は続く。



偉大なる素人集団の悲劇

P42
『僕自身はITが好きで、この業界に就職したと思っている。でも、他の人、特にポストにつくような偉い人はそうじゃない。会社は好きだけど、仕事は嫌いという人が多い』 (中略) 昭和的価値観において、重要なのは仕事内容ではなく、会社名だったのだ。(中略) 年功序列だと、まず序列ありきだ。担当する仕事は、後から序列に従って割り振られることになる。こうして嫌いな仕事も、黙々とこなすサラリーマン達によって、会社は動いていくことになる。それでなんとかここまでやってこれたのだから、日本企業は偉大なる素人集団と言えるかもしれない。


きらいなのに、ポストにつかされたから黙々とこなす、それは日本企業においては、美徳とされた価値観だ。労働の流動性が低い日本社会では、やむを得なかった面もある。だか、世界市場との競争において、もうこれ以上は維持できないことは確実だ。

P42〜P43
だが、もうこれ以上は無理だ。グローバル化で世界が繋がってしまった以上、コストカットだけでは、中国やインドには絶対に勝てない。そして、柔軟な組織と戦略が無ければ、独自性という点でも、アメリカの足元にも及ばない。それをやり遂げたいという熱意と、それだけの能力のある人間にプロジェクトを任せるシステムを作らなければ、日本のITはそう遠くない将来、間違いなく滅ぶだろう。既にその芽はあらわれている。求人倍率が上昇する中、IT業界は軒並み採用予定数の確保に苦しんでいる。無理もない。好況で選択肢の多い中、3Kと呼ばれる業界に飛び込む必要などないのだ。

受託専業になりながら、夢があるように語ろうとしても、若者はばかではない。逆に、そんなことも見抜けないで入ってくる人材に、多くを期待することはできないはずだ。



夢が語れてこそ

P42
高度成長期、基幹産業であった鉄鋼や製造業には、厳しくとも夢があった。だが二十一世紀のインフラと呼ばれるITには、何も無い。(中略) 『作業の効率化しか頭にない今のビジネスは、絶対におかしいと思う。血も汗も、もっと未来に向けて流すべきだと思うんです。』


全く賛成だ。夢がなければ、夢が持てるように経営を改める、苦しくてもそういく決意があってこそ、有為の若者は集まるはずだ。池田氏も、語る。

P44
『日本のITにポテンシャルはあると思う。それらをうまくまとめられれば、十分世界に通用する製品が作れると思う』


私もそう思う。ポテンシャルがないのではない。それを生かせる構図が作りきれていないのだと思う。こういうことをきちんと理解できる人たちを集合して、世界への競争に誘いたい、という意欲を私も何とかなくさないでがんばりたいものだ。

*1:

3年で辞めた若者はどこへ行ったのか―アウトサイダーの時代 (ちくま新書)

3年で辞めた若者はどこへ行ったのか―アウトサイダーの時代 (ちくま新書)