駒沢大学の授業でお話しをしてきた

今日は、会社の顧問弁護士が教授としてクラスを持っておられる、駒沢大学にお邪魔して、教授のご質問にお答えする形で、学生に思うところをお話してきた。(法律時事英語クラス)


一年生から四年生まで混在する大教室での授業だったが、今の時期の出席は一年生が多く半分以上が一年生だろうということだったので、大半は十代の若者相手だったことになる。出席人数は、ほぼ教室が満席だったので、250人〜300人くらいだろうか。昨年、国士舘大学の大学院の生徒を相手に講義をさせてもらったが、さすがに彼らと比較してもぐっと若い。


実際には、教授のお話の合間に、私が質問されたことに答えるという形式なので、それほど長い時間お話したわけではないが、『英語の勉強の仕方』および昨今話題になっている、『青少年に対するインターネットのフィルタリング』に関して思うところをお話した。


通常自分が接する若者は、多くは会社の従業員なのだが、二十代が中心で、十代の大学生に接する機会はほとんどないため。最近の大学の、それも駒沢大学の授業風景というのはどういう感じなのか。ちょうど若者がすごく変化してきているということを本で読んだり、学校の先生をしている友人からはよく聞いており、このブログでもその一部をご披露しているのはご存知の通りだが、もっとよく知るために、若者に実地で接する機会を多くしようと考えていたところだったため、渡りに船ではあった。


だが、結論を言えば、予想以上に、話している時の生徒の反応には手応えがあった。業界用語を沢山使って、けしてわかりやすい内容ではなかったと思うのだが、私の話をくいるように聞いてくれていた。しかも後で質問に来てくれる学生もいた。日本の若者も捨てたものではないな、という印象を強く持った。 


若者に夢がない、とか、エネルギーを感じないということは本当にどこでも聞くのだが、では、おじさんたちに夢がありエネルギーに溢れているかと聞かれれば、いかがなものか。若者の反応が鈍いのだとすると、大人の方にも多分に原因があるのではないか。私自身も多いに反省すべきではないのかと感じた。ビジョンも夢ももっと語ってみるべきだったのではないか。少なくとも自分はそれを持っているつもりだったのだから。


今の大人世代、バブル期までは、地道にまじめに働き、家族を養い、会社で出世を志す、そんな人がほとんどだった。ところが、あの日本中が浮かれたように踊ったバブル期に、まるで中年になるまで遊ぶことも知らずに働き続けた人が、中年に達して遊びを覚え、我を忘れて限度なく遊び回るような様相になった。そして、バブル崩壊とともに呆然と我に返るが、もはやまじめな自己イメージを持つには心の傷はあまりに大きく、右肩上がりの長期的成長という夢はもはやむなしい。


大人世代も自分自身をちゃんと取り戻し、夢とビジョンを取り戻して、若者に向かって行くことができれば、きっと若者の方でも反応してくれるのに違いない、と我ながら青臭いことを考えながら帰路についた。