情報過多時代を勝ち抜く能力

情報量過多時代の競争力


情報過多時代に最も必要と考えられる能力の一つは精度の高い情報収集力だ。本当に必要な情報にすばやくたどり着くことができるスキルは、今後ますます重要になるだろう。優れた検索技術によって、web全体を巨大なデータベースとすることを実現してこの課題に答えたGoogleは、最も先端的な企業として高い評価を受けることになった。ところが、如何にGoogleの検索技術が優れていようと、あまりに情報量が多くなると、自分の探している情報を見つけ出すことは至難の業だ。試しに今Googleで、『情報過多』を調べてみたところ、496,000件がヒットした。一体このどこに私の知りたい情報が書かれているのだろう。Googleページランクにより上位に来たサイトに本当にその情報が書かれているのだろうか。そうかもしれないし、そうではないかもしれない。


ほんの数年前と比較しても、情報へのアクセスや精度は飛躍的に向上している。本当に便利になったものだ。検索エンジンの精度向上だけではなく、特に Web2.0以降、情報発信の数と質もまた飛躍的な発展を遂げて、インターネットを使えば、誰でも一通りの情報を得ることができる。その内容の豊富さもスピードも従来とはまったく比べ物にならない。ただ、誰もが簡単に情報を収集できるようになればなるほど、ビジネス上の競争条件もまた厳しくなり、その恵まれた状態の中でさらに勝ち残るためには、どのように情報を収集し、生かして行くことが可能なのかということを知ることが重要だ。どんな技術進化があろうと、いや、技術進化があればあるほど、それを使ってビジネスを行う立場にいるものにとっては、技術進化の成果を十分に咀嚼した上で、競争者を上回ることが求められる。



Webリタラシーより問題設定力


情報収集能力を考えるにあたって、面白い話がある。ベイトソンの問い』という有名な事例だ。

幼い息子がホウレン草を食べるたびにご褒美としてアイスクリームを与える母親がいる。この子供が,?ホウレン草を好きになるか嫌いになるか,?アイスクリームを好きになるか嫌いになるか,?母親を好きになるか嫌いになるか,の予測が立つためにはほかにどんな情報が必要か。


この問いを解決するために、闇雲に情報収集したところで意味はない。どう問いをたて、仮説をつくるかということがないと、有効な情報など何も得ることはできない、ということを教えている問いである。さらには、どこが一番問題になるのか、どこが怪しいのか、というような創造力のある問いが必要になるはずだ。


そもそも、情報は集まるものではなく、集めるものである。集めようとする人の問いの仕方の善し悪しによって、必要な情報が集まるかどうか決まる。問題設定力、仮説構築力、想像力というような能力こそ、決定的に重要な能力のとなる時代が来ている。それさえあれば、テクノロジーによって(完璧ではないにせよ)かなりのものが集まるわけで、意外な違いが極端な差となってしまうのが今の時代だ。webリタラシーの有無がこれからのビジネス競争力を決めるというような言い方をするとき、必要なのが情報技術の利用に詳しい人というニュアンスがあるのはすごく違和感がある。もっと重要なのは、その膨大な情報から最も精度の高い内容を引出してくる、問題設定力、仮説構築力、想像力のほうだろう。このことを理解しているかどうか、という点でも企業ごとの差は大きい。競争力に決定的な差となって現れる前に、対処しておくべき問題だと思う。