オタクとマニアの違いとは?

みんなオタクに興味津々


オタクについては本当に関心を持っている人が多いことを実感させられる。私のつたないブログに、もっとも反応してくれる人が多いのは、オタクについて書いた時で、前回もご質問をいただいたが、またご質問というか、疑問を抱いたというメールをいただいた。今度は、現在育児休業中の元同僚だ。

「そもそもオタクって何なんだろう?オタクの定義は
?オタクとマニアはどう違う?
武道オタクと武道の稽古がものすごく好きな人ってどう違うんだったっけ?
それと女性の特質との関係は?」等々、授乳しながら考えたりしました。


こんな哲学的な自問自答をする母に育てられたご令嬢(彼女のお子さんは女の子)は、さぞ思慮深く聡明な女性に育つだろう。私も成長が楽しみだ。


しかし、本当にオタクが全世代的、全日本的現象であることは、本来オタクとは縁遠いはずの私の友人が続々反応してくれることからもうかがい知れる。私自身がオタクのことを調べだしたのは、わずかこの1年くらいのことで、まだ人に教えを垂れることができるとはとても思えないが、少しでも調べた成果を披露して、あわよくばご意見を賜りたい。


調べれば調べるほど、これはただごとではないことがわかってくる。断片的な知識が増えて来ても、なかなか全体像が見えてこない。しかも、よく考えてみれば、自分自身十分にオタクの端くれみたいなものではないかとも思う。コミックも今でも読むし、すでにやめたが、会社をずる休みしてゲームをやるくらいのゲーマーではあった。そんな自分ってなんだろう、ということをオタク研究を通して考え込んだりさせられる。もう少しちゃんと研究してみようと思う。現代の市場というより社会を知るためには、オタクのことを熟知することが不可欠だと最近では確信している。



では疑問にお答えしよう


まず、『そもそもオタクってなんだろう?』『オタクの定義は?』『オタクとマニアはどう違う?』という疑問についてだが、今回はWikipediaに掲載されている説明を援用/解釈しつつ、お答えを引出してみたい。(以下Wikipediaより引用)

おたくとは、社会的認知度が高くない趣味に傾倒する人の一つの類型またはその個人を示す言葉である。


その趣味というのは、アニメやゲームやパソコンなどサブカルチャーのこととされているが、それではオタクとマニアの差がよくわからない。

根本的な面ではオタクはマニア・学者と略同一で、年齢的、 一般的基準として外れている物を趣味とする人をオタクと呼ぶだけであり、 明確な差は見受けられない。が、自身をマニアと呼称して、オタクとの同一視を拒絶する者もいる。「マニア」と認識していても、より限定された対象の「マニア」やそのジャンルに全く興味の無い者から見れば「オタク」として捉えられることもある。近年のオタク概念の汎用から、従来はマニアとされた区分とおたくの同一視(広義のオタク)も発生している。


なんと、明確な差は見受けられない? そうだろうか。

オタク以前にも、何か特定の物に執着して、生活を省みない人は存在した。これらはマニアと呼ばれている。ただ、マニアがその原義において、ある特定方向にのみ情熱を持って接するのに対し、オタクは「オタク市場向け製品」が様々な分野・ジャンルにまたがりながら、一定の属性によって区分されるように、ある特定範疇にある対象群に慣れ親しむという、やや曖昧な嗜好対象となっていることが多々ある。


何だか良くわからない。ただ、最近のオタクが『萌え』ている特徴を持って、『やや曖昧な嗜好対象』と定義されているのだろうか。マニアの趣味の方が対象が明確で限定されているということか。

学術的な専門家とオタクとの違いは、前者は知識を世のために活かすことを目的とするのに対し、オタクは知的満足・収集的満足・同じ志向のオタクとの交流・共感による寛ぎ・安らぎに留まる点である。強いてあげる学者とマニアとの差は、後者はジャンル全般における体系的知識が欠けていても特に問題としない点である。


ここで、『専門家』『オタク』『マニア』の比較により、差異が説明されている。社会性、体系的取り組みというところでの分類は、確かに社会的な評価に関して、専門家>マニア>オタク、というニュアンスがあることと関係があるということだろう。だが、この差異の壁は案外薄いと思う。

オタクであることによる副作用が、世間一般から「不健全」であると誤認される。オーディオマニアや釣り馬鹿(→釣りバカ日誌釣りキチ三平)などのような既存の「マニア」という区分が、一般にとって文化性の高い・あるいは健全な(ただし行き過ぎた)趣味にもみなされるのに対し、オタク傾向が社会的に拒否感を被りやすいのは否定できない。


どうやら、社会性のなさ、ということはオタクニュアンスの香りがするかどうか、ということのようだ。ただ、一般にとっての文化性の高さという部分は、今価値転換が進んでいるように思われる。アニメなど、海外からの評価が非常に高く、普遍的な芸術性を認められてきている。いわゆる『クールジャパン』だ。

日本では主に、初期(1980年代)の頃にはその出展元にも関連して、対象年齢を過ぎたと世間的に認知されている趣味(アニメや漫画、アイドル、ゲーム、コンピュータなど)をもつ独身の日本人男性に対して用いられることが多かった。


オタクは一般に子供の趣味とされるものに、対象年齢を過ぎても興味を持ち続ける人について言うということのようだ。

しかし近年、外国人、日本人女性、そして既婚の男性に用いることも多くなり、また前述以外の、ややカルト的な趣味、インドア系の趣味、また学術的な趣味を持つ人に用いられることも多くなってきている。ただし、女性や外国人男性がこれらの趣味をもつ場合には「○○好き」「□□マニア」と呼称されることが多く、現在でもその傾向は続いている。


この辺りは、オタクとマニアの区別をむしろわかりにくくしている。というより、これでは女子オタクの存在が説明できない。


上記から、オタクとマニアを区別するのに、よりオタクのニュアンスが感じられる特徴を上げると、以下のようになりそうだ。

  • 趣味の対象は社会的認知が高くないサブカル・インドア系
  • 子供が興味を持つものが対象(であるほうがよりオタクらしいニュアンス)
  • 自閉的な社会性のなさ
  • 子供であることを好み大人になることを嫌う
  • 『萌え』のような曖昧なものに耽溺する傾向がある


どうだろうか。ある程度、差異の説明になっているように思うのだが。ご質問のもう一つにも、上記区別を利用して、お答えできそうだ。武道オタクと武道がものすごく好きな人の差だが、武道オタクというのは、原則いないはずだが、それでもオタク的に見えるのであれば、『本人に社会性がなく、大人にならない子供のような人で、稽古着、ヌンチャクのような特殊武具、萌えを感じる女性武道家等に耽溺して取り組んでいる人』がおそらく武道オタクと呼ばれているのではないか。


また、女性の特質との関係だが、実は、これを語るためには、最近の社会変化と併せて語らないとわかりにくいと思われるが、とりあえず、上記の定義を援用して語るとこんな感じだろうか。


女性にも当然マニアとオタクの差があるはずだが、女性の特質として、男性より一般的にはるかに社会性がある。これがしばし、定義を曖昧にしがちだが、女性の中にも同質の仲間以外にはつきあおうとしないが、仲間のなかでは過剰なコミュニケーションをするタイプがいるものだ。そういうタイプがより、オタクらしいと言える。多少意味は違うが、やはり『社会性』はキーワードのようだ。子供でいたい、大人になりたくない、そういう人は、一見して大人の女性よりはオタクニュアンスを感じるだろう。(そもそも大人は社会性がある人も多い) 萌えは一見女性に無縁なようだが、女性のアイドルが好きなオタクは存在するし、『やおい*1や『腐女子*2が好むボーイズラブ*3は、萌えの同心円の中にあるのではないだろうか。(言い過ぎだろうか?)



まだ道半ば


取り敢えず答えになっていると思うのだが、正直なところ、私自身、こんな程度の分析では最近のオタクは説明できなくなっているのではないかと感じることは白状しておこう。それは、オタクの変化という以上に、社会全体の変化がオタク文化を変質させているということだと思う。


最近は、岡田斗司夫氏の著作を拝読しているのだが、岡田氏なら、こんな薄っぺらい分析ではまったくだめ、とおっしゃるのではという気がする。ただ、現代のように混乱と拡散の極みにあるオタク現象をいきなり相手にするのではなく、もう少しオタクがオタクらしく分類できた頃の定義をまず押さえておくことで、混乱した現状を分析するためのステップになるようにも思う。だから、かつてはこのような定義ができたが、今大きな変革期にある、ということをご理解いただいた上で、とりあえず同僚への回答としておきたいと思う。