知識経営はできているか

ドラッカーと日本企業の成功


経営学の神様と言われたピーター・ドラッカーは、ポスト産業社会を迎える企業にもっとも大事なのは、知識であると喝破した。知識は企業のもっと大事な生産資源であると40年も前に語っている。 40年前といえば、日本は高度成長期のただ中にあったころだ。まだ、オイルショックも、円高ショックも来る前で、その後日本が製造業で世界に大きなプレゼンスを示し、ジャパンアズナンバーワンと賞賛されるほどの地位を得ることも、およそ想像だに出来なかった頃だ。


ある意味で大変皮肉なことに、日本の製造業ははからずも、欧米企業と比較しても、もっとも知識を従業員から広範に引き出し、従業員同士活発に議論させ、今で言う暗黙知を共有していた。そして、重要員の役割を厳格なマニュアルの中に閉じこめて、知識を引き出すことも活性化することもしなかった、多くの欧米企業をいつのまにか追い越してしまっていた。知識を生かすという点で、その後先頭ランナーとなったのは、日本だった。それは、当のドラッカー氏自身が認め、早くから評価していた。しなしながら、今ほとんどの日本企業には、往事の勢いはない。むしろ日本は知識を活用してイノベーションを起こすことが苦手な国、とのありがたくない評価を受けるようになってしまっている。



日本企業を襲った成功の復讐


だが、それはどうしてなのだろう。多くの日本企業は、自分たちのやりかたを信じて、まじめに努力しているが、あまりうまく言っていないケースが多い。 特に、かつての成功体験を誇る年代の人たちが経営者にいる大手企業では、成功の復讐といわざるを得ないような状況が起きてきている。


バブル後の不況期に企業はそれ以前の右肩あがりを前提としてた日本的経営が維持できず、リストラをし、組織を変え、成果主義を導入し、正社員は派遣社員や業務委託に置き変え、マネジャーは過大な負荷と多すぎる部下を抱えることになった。若年社員は、正社員であっても、気に入らなければ簡単に会社を見限って転職していく。 システムもマインドも変わってしまった中では、従来の手法がことごとく裏目にでるのも無理はない。企業が右肩あがりを前提に、年功序列と終身雇用を維持して、均質で優秀な大卒男子を新入社員として採用し、日本的OJTノミュニケーションによって情報を共有し、暗黙知を伝承することができたわけだが、今その環境はがたがたに崩れてしまっている。 今でも、伝統的企業では、OJT、ローテーション、ノミュニケーション三種の神器金科玉条であるところも多いが、それではどんな策をこうじても、すべて裏目に出てしまうだろう。



日本初世界一の経営理論・・しかし


暗黙知と言えば、日本には、世界的に評価の高い経営学者の野中郁次郎がいる。私も、氏の著名で重厚な著書が出版されるごとに買い求めて、研究してみたものだ。特に、『知識創造企業』では、暗黙知をうまく共有して成功する日本企業とその秘訣を日本発の経営理論として昇華させている。ただ、私は当時、その理論は必ずしも理解できたとは言えないし、その実践方法も、日本企業ではだんだん実行は難しくなって行かざるを得ず、過去を説明した理論ではあっても、明日の日本企業を蘇生させる『知識』にはならないのではないか、という気持ちが捨てきれなかった。独特の乖離感を感じ、理解ができない自分に一人挫折感を感じたこともあった。


知識創造企業

知識創造企業


ところが、最近、『みんなの知識をビジネスにする』を読んでいるて、山崎秀夫氏がこの野中氏を取り上げている部分があり、思わず苦笑してしまった。当時私が感じたことと、ほぼ同じことが書いてあるではないか!


「みんなの知識」をビジネスにする

「みんなの知識」をビジネスにする


P44

一橋大大学院教授の野中郁次郎さんの研究をきっかけにして、日本的経営における集団の知識がどのようにして優れていて、これが1970年代から80年代にかけてどのようにして日本を『ナンバーワン』と言われるほどに引き上げる要因になったのかということが語られるようになった。

(中略)野中さんの本を読むと暗黙知のことについても全部書いてあるんだけど、普通の人は読んでも難しくてわからない(笑)。(中略)宗教的なニュアンスさえ帯びた一種の哲学の本ですからね。

P45

そしてこのような構造になっている暗黙知ナレッジマネジメントにふさわしい組織形態とは何なのかと言ったら、徒弟制です。長期雇用であり、以心伝心であり、『あ・うん』の呼吸であり、言語を使うな、そういう文化です。ところがこれがITによってガラリと変わってきた。

P46

手の中の技のような徒弟制度的な組織形態ではない方が、これからのITの社会では競争力があるということになる。これは日本にとっては非常に困った問題です。

海外企業について行けない日本企業


日本のモデルが機能する前提がどんどん壊れてきている一方で、フラットでオープンな組織をつくり、個人の力を最大限引き出し、生産もオープンソースを生かして競争力を上げるという海外企業のモデルの優位性が上がる経済環境となっている。しかも、中国やロシア等の圧倒的なコスト優位な国、シリコンバレーをモデルに、IT立国としての実力をつけてきている、台湾、シンガポール、北欧、アイルランド等の新興勢力等に日本は押される一方に見える。


さらに困ったことに、90年代以降の日本企業の中には、欧米をまねて導入したはずの、成果主義、リストラ、知識共有ならぬ雑多な情報の機械的共有などで、失敗を重ねることになる企業も続出した。


私は、今、市場の根本理解のための取り組みを本格的にやらないと、競争に生残ることはできないとブログで何度か申し上げたが、経営や制度設計も全く同様で、構造変革が起こっているのに、局所的な改善策を経営改革とか言っているようでは、デフレスパイラルにはまるだけだ。