メガヒットを生むためには

昨日書いた内容をもう少し先に進めてみたい。


メガヒットはもう生まれない?


島宇宙化し、動物化(他者の欲望を欲望する人間的な欲望が、各人が一回きりの欠乏を満たすだけで終わってしまうような欲求に取って代わられること)したというのが本当なら、現代の市場において、メガヒットというのはもう生まれないのではないか、という疑問が当然湧いてくる。それぞれ共通の価値や理解を持たない小グループに分断され、欲望は他者と関わりなく、自足の欲求が満たされればそれで消えてしまう、そういう状態が本当に社会全般に及びきってしまうと、ヒットを創るどころか、『流行』という概念も成立しなくなるのではないか。

しかし、実際にはメガヒットは出現し続けている。(ニンテンドーDSWii等)これはどういうことなのか。島宇宙化も動物化も説明能力のない虚説なのか。 いや、どうやらそんなに簡単に片付けられる事態ではなさそうだ。



姿の見えない最近の大ヒット

 

  • オシャレ魔女 ラブ and ベリー(カードゲーム :発行枚数1億8300万枚
  • ムシキング (カードゲーム)         :発行枚数2億3000万枚

かつてファミコンソフトのドラゴンクエストは大流行し、ファミコンをやらない人にまで名を知られて、社会現象にまでなった。(参考:ドラゴンクエスト3 リメイク版を含めて累計500万本)その販売数をわずか1年で超えてしまうような大ヒットのソフト、日本の人口を上回る発行枚数となっているカードゲーム。奇妙なことに、これだけのヒットをしていながら、流行が波及しているようには思えない。


また、最近話題となってきている、ケータイ小説など、ベストセラーの上位を席巻しているのに、若い人たちも少なからずいる自分の周囲でも、ほとんど読んでいるという話は聞かない。2007年上半期ベストセラーランキング一位の『赤い糸』は発行一週間で100万部を越えているのだが。携帯小説全体でも、一体誰が愛読者なのだろうか。その姿が見えない。


このように、メガヒットはあるが、従来のようなマスメディアや、オピニオンリーダーを通じて、流行が形成されて、その結果として大ヒットする、という構図とは違うところに、現代のヒットが生まれる新しい構図が出来上がりつつあるようなのだ。



『わたしたち消費』で示された回答とその先


このような問題意識をベースにして、現代の市場で大ヒットを生むためにはどうすればいいのか、という主題を扱ったのが、社会学者の鈴木謙介氏と電通消費研究センター共著の、『わたしたち消費』だ。(上記の例も、この著書から引用させていただいた。)


わたしたち消費―カーニヴァル化する社会の巨大ビジネス (幻冬舎新書)

わたしたち消費―カーニヴァル化する社会の巨大ビジネス (幻冬舎新書)


確かに、ここ数日私が書いて来たことは、まさにこの主題にどのように答えて行くかという問題意識をベースにしているし、その意味では、まさにジャストフィットの著書ではある。そして、問題設定だけではなく、解決のためのヒントも随所に有用なコンセプトやツールがちりばめられている。


ただ、結論に至る部分は、正直私にはもう一つ物足りない印象が残った。現代の市場は島宇宙化し、動物化が社会に広く及んでいるのは確かだが、中高齢層は、『夢の時代』や『虚構の時代』を生きて来た人がまだ夢やイデオロギーを捨てきれずにいて、若者の品行を嘆き、武士道復活を叫んでいるわけだ。当然、旧来のマスメディアの影響もまだ強大だ。今最も効率的にメガヒットを生むためには、動物化しつつある若者を、インターネットや携帯電話に生まれて来ている、SNSソーシャル・ネットワーク・サービス)や2ちゃんねるのような掲示板、ブログ等を有効利用して、口コミをコントロールし、そのバイラルのエネルギーをマスメディアで増幅して行く、というのは極めて常識的な策で、最近は誰もが取り組んでいのるだ。(もちろん、単に旧来のマスメディア一本という人たちも沢山いるのだが。) 


だから、これが結論だと言われると、鈴木謙介氏ほどの力量のある社会学者の著作としてはもどかしい。もっとその先を期待したくなる。新旧が混在する状態は、今まさに『新』の激流にすべて洗い流されていくような予感がある。本当に知りたいのは、そこから先だ。


現状にも勝ち残り、その先にも生残る、そのための鍵は、鈴木氏の著作にも触れてあるが、『コミュニティ』理解であり、そのプラットフォームとなっている『SNS』理解だと考える。というより、やや大げさに言えば、『コミュニティ』や『SNS』を通じた、現代のユーザー、さらには人間理解が極めて重要になっていると思う。


著作を読んで残った不足感は、自ら埋めて行きたいものだ。そしてそれは、自分自身のこの2〜3年の最大の課題として考えて来たこととはからずも符合する。