動物化の時代と若者の自動車離れ
昨日書いた議論で、東浩紀氏の『動物化の時代』について、もう少し書き足しておこう。
■動物化の時代とは
昨日は、見田宗介の時代分類の延長に、この動物化の時代が位置づけられているというような書き方をしたが、東氏の著作から厳密に読むと、見田氏の弟子である、大沢真幸氏の時代分類の議論を受け継いで、95年以降の時代を『動物化』の時代と名づけたいと思う、とある。(大沢氏の分類によれば、45年から70年までが理想の時代、70年から95年までを虚構の時代とされている。) ついでに言うと、それは日本国内だけのことではなく、ポストモダン化全体の中で生じた全世界的現象とされている。
動物化について、東氏の展開する議論を、多少平易に解説を交えて引用すると、次のようになる。
従来、というより、おそらくは本質的には、人間の欲望は他者を必要とする。そして、『欲望』は望む対象が満たされても消えることがない。それは、他者の欲望を欲望するという複雑な構造があるからだ。欲望の対象を得ても、その得た事実を他者にうらやましがられ、嫉妬されたい、という気持ちはなくならないし、他者が欲望するものをこそ手に入れたいと思う。いわゆる、自己意識を持ち社会関係をつくるために必要な、『間主観的欲望』というやつだ。これは、近代の哲学や思想の根幹をなす大きな前提だとされる。
見せびらかし消費、人並みを求める消費、故郷へ錦等々、みんなこの人間の欲望のなせる技ということだ。いわゆる、スノビズム(俗物根性。社会的地位や財産などのステータスを崇拝し、教養があるように上品ぶって振る舞おうとする態度。学問や知識を鼻にかける気取る態度。また、流行を追いかけること)も大方これで説明できる。そして、80年代から90年代初めくらいにマーケティングの実務に取り組んだ私たちは、この過剰を求める人間心理と向かいあい、理解することに努めてきた。
ところが、動物化するというのは、この構造が消えて、各人がそれぞれの欠乏を満たすだけで終わってしまうことを意味する。私自身は多少の違和感を感じるのだが、東氏の前に『動物的』という言葉を使った、コジューブは戦後のアメリカ型消費社会が動物的だという。マニュアル化され、メディア化され、流通管理が行き届いた現在の消費社会では、消費者のニーズはできるだけ他者の介在なしに、瞬時に機械的に満たすように日々改良が積み重ねられている。確かに、食事も性的なパートナーもファーストフードや生産業で、極めて簡便に、面倒なコミュニケーションなして、手に入れることができる。そのような社会が日本でも出来上がって来ている。
■若者の自動車離れに見る実例
人々が間主観的な欲望に関心がなくなったら、スノッブな消費がなくなったら、それは物は売りにくくなるだろうなと思う。だが、確かにこれを認めざるを得ない兆候はあちこちに見られる。その例の一つは、最近の自動車販売の低迷、特に、若者が車を買わなくなったという事実の背景にもあるように思われる。
08年3月19日付けの西日本新聞によれば、下記のようにある
日本自動車工業会(自工会)は19日、2008年度の国内自動車販売について、ガソリン価格の高騰などを受け、前年度比0・6%減の530万6100台になるとの見通しを発表した。
1982年度の約533万台以来、26年ぶりの低水準。2007年度も5・0%減の533万8400台と2年連続で前年実績を割り込んでおり、国内販売の低迷は続きそうだ。
08年度は乗用車全体で、0・4%増の442万5000台と予想。ただ、普通乗用車と小型乗用車の合計では0・1%減の296万5000台を見込む。
確かに、自動車販売低迷の背景には、最近のガソリン価格高騰等の要素はあるが、2002年2月から続いた景気拡大は戦後最長のいざなぎ景気を抜いたはずなのに、26年ぶりの低水準というのは、かなり異常な事態だ。
そして、この自動車販売減少の最大の理由は、若者の車離れである。
車が売れない現象は若者の指向変化か [ブログ時評79] : ブログ時評より引用
日本自動車工業会のJAMAレポートNo.100「運転者の変化と使用・保有状況」にある「図8.主運転者年齢」から1995年と2005年の分を以下に抜き出す。
年齢層 1995年 2005年
〜24歳 10% 5%
〜29歳 9% 6%
〜39歳 24% 21%
〜49歳 29% 23%
〜59歳 17% 23%
60歳〜 11% 23%1995年の販売台数はずっと多かったのだから、10年間で若い世代の乗用車購入は半分に減った印象だ。20代まで合わせて11%の状況では、クルマは若者のものとはとても言えない。そして車離れは上の世代にまで及んでいる。10年後の調査だから、世代がひとつずらせる点に留意して数字を見て欲しい。 20代から上に波及している傾向は、新聞購読者やNHK視聴者での若者離れと似通っている。
■自動車ユーザーのスノビズムの消失
かつての、『いつかはクラウン』というトヨタのキャッチコピーは、当時の自動車市場の特徴を極めて明快に語っていた。自動車こそは、間主観的消費による『過剰』に支えられて販売を増やして来た典型的な商品だった。今はカローラ(大衆車)だが、いつかはクラウンに乗りたい。そのコピーに実にリアリティーがあった。 また、彼女に自慢したいから、友人に負けたくないから、世間体があるから、隣がいい車を買ったから、等々、自動車のユーザーアンケートはスノビズムで溢れかえっていた。これが消えてしまったら、それは車は売れなくなるだろうと思う。
このようなことが、消費社会全体で起こっているとすると、マーケターの自信喪失は当然とも言える。95年からすでに10年以上が経過しても、まだ正しい理解が進んでいるとは考えにくい。一日も早く頭を切り替えて行くことがどうしても必要だと思う。