わかりにくい社会/市場の羅針盤


『わかりにくい』社会/市場はどうすれば理解できるのか


これまで、現代の市場のわかりにくさ、ということを繰り返し書いてきたわけだが、冷静に考えてみれば、実際に現場で市場を相手に仕事をしていると、いつの時代も、市場/ユーザーあるいは、社会現象を正しく理解することは難しい。後から振り返ればある程度ストーリーのある分析をしてみせることもできようが、実のところ、現場ではいつも自分が正しいのかどうかわからず、戸惑ってきた。まして、最近ほど大きく状況が変化する時代には、いったいどうすればいいのか。



経済学の蹉跌


かつては、経済学がその羅針盤役を期待されたことがあった。古くは、マルクス経済学が社会のすべてを説明する、そういう期待を一身に受けていた時代が確かにあった。また、精緻な高等数学を駆使する、近代経済学がその任につくと期待されていた時代もあった。しかし、今、日本における経済学の地位は、驚くほど低下してしまった。


経済学の父と言われるアダムスミスの国富論を読んでみると、哲学、道徳、経済学、法律等の要素が渾然一体となっていて、非常に難解だ。経済学の教科書に書かれほど、明快に読み解くことは私にはできなかった。その一方で、難解さの中にも、溢れる知恵の豊かさが感じられる。近代の経済学は、説明の明快さを追求しすぎて、隘路にはいり、むしろ現代では説明能力を落としてしまったようだ。もちろん、今でも条件が統御された中での説明能力は非常に高いこともあるが、社会を取り巻く要素が複雑になりすぎた今日では、限定的な役割しか果たせなくなっていると思う。


大学入試においても、特にバブル崩壊後は、経済学部の人気が落ちている。失われた10年のような不況期に、資格取得に有利な学部や実学の人気が上がるのは無理からぬところだし、経営情報学部、都市経済学部、サービス経営学部等、学部を融合する形で多くの学部が新設された影響もあるだろうが、背景にあるのは、狭義の経済学の説明能力の低下であることは、やはり認めざるをえないだろう。



社会学への期待


バブル崩壊後に社会を説明する役割において、最も期待されたのは学問の一つが社会学だ。学際が時代の要請であれば、一番その位置に近いのは、社会学だというのは納得がいく。大学の学部が融合を志向しているのも、複雑で移ろいやすい社会の理解に対して、一つの要素だけでは説明がつかないことが多くなったとの認識の現れだろう。社会学の定義を見ると、

Wikipediaより引用

社会学(しゃかいがく, sociology)とは、社会現象の実態や、現象の起こる原因に関するメカニズム(因果関係)を解明するための学問である。その研究対象は、行動(行為)や相互作用といったミクロ・レベルのものから、集団や組織研究、人と人との関係、ネットワーク、地位と役割など集団レベルのもの、さらに、家族、コミュニティ、農村、地域社会、権力構造、より大規模な社会の構造やその変動(社会変動)などマクロ・レベルまである。思想史的に言えば、「同時代(史)を把握する認識・概念(コンセプト)」を作り出そうとする学問である。

いわば、隘路にはいった経済学のような学問領域を混沌までさかのぼり、解明をやり直すことを目的とした学問ということになるだろう。


ただし、最近では、抽象的な議論が現実社会と乖離している、社会学の種類が多すぎて具体的な局面で何をどう応用すればよいかわからない、等の批判が多く聞かれることも事実だ。ただ、それでも、私自身の経験で言えば、社会学による数々の取り組みの中に、社会や市場を理解する上で、助けとなるツールを発見できる確率が一番高いと思う。各自が、社会や市場を読み解くにあたっての仮説として、社会学の成果を利用し、自ら検証の努力を怠らないのであれば、実業を行うにあたって予測の精度を上げ、リスクを低くする助けとなってくれるだろう。



最も注目すべき概念


中でも、近年、私が最も注目し、時代と社会を読み解く助けとしてきたのは、社会学者の見田宗介氏の見解(概念)である。


見田氏は、戦後から現代の日本社会を、理想の時代(1945-1960)、夢の時代(1960-1975)、虚構の時代(1975-1990)に区分し、豊富な実例を用いて人々の価値観の変遷を説明されている。敗戦直後、人々はアメリカをはじめとする諸外国に羨望をもち、それらの国々の提示する暮らしや政治、思想などが「理想」として人々に共有されていた。やがて高度成長期を迎え「夢」が次々実現し、誰もが明るい未来を信じる時代が続く。そうして先進国の仲間入りを果たしたと思ったら、今度は「虚構」が社会を覆うようになった。現代は、「虚構」の言説が浮遊し、リアリティが脱臭されている時代だという。数多くある、段階発展説の構図の中で、最も含蓄があり、多くの場面で役立って来た。


上記が非常に平易に書かれた著書である、『社会学入門』は大変な名著なので、是非一読されることをお薦めする。

社会学入門―人間と社会の未来 (岩波新書)

社会学入門―人間と社会の未来 (岩波新書)


そして、この段階説の延長上に、オタクが跋扈する現代社会を説明する用語として、動物化がある。これは、社会学者の東浩紀氏が、フランスの哲学者コジューヴの著作から示唆を受けて、『動物化するポストモダン』の中で使用した用語(概念)である。


動物化するポストモダン オタクから見た日本社会 (講談社現代新書)

動物化するポストモダン オタクから見た日本社会 (講談社現代新書)


東氏の説明によると、人間は本来、動物と違って、他者の欲望を欲望するという複雑な構造を内側に抱えながら生きているが、日本では1995年以降、各人がそれぞれ欠乏ー満足の回路を閉じてしまう状態が社会に到来した。空腹を覚えた動物が食べることで完全に満足してしまえるような、動物的な欲求が人間的な欲望に取って代わりつつある。従来オタク社会に顕著な傾向性であったものが、95年以降社会に全面化した。もってこれを『動物の時代』と呼ぶ、ということだ。


私自身、このセンセーショナルな内容に、最初はひどく戸惑いを感じたものだが、賛成するにせよ、異を唱えるにせよ、無視できない概念であることは確かだ。そして、これを仮説として考えると、多くのことに合点がいくことを最近は特に感じることが多い。オタク分析に必須であるだけではなく、現代社会を読み解くためにも、貴重な本なので、読んでみることをお薦めする。


本当に大事なことは、こうした内容をどう利用して行くのか、どうして役だてるのか、ということだが、これについては、今後少しずつ書いて行こうと思う。