青少年ネット規制法案の背後にある深刻な懸念

青少年ネット規制法案への懸念


青少年ネット規制法案に対する反響(反対意見)がネットコミュニティでは非常に大きくなっている。業界の利害からだけではなく、本当の意味での社会の健全性確保と成熟のため、および日本の国際競争力が阻害されないように、すなわち、社会的正義および厚生の観点からも、現状の臭いものに蓋式の安易な法案が成立しないよう心から願う。もちろん、青少年の健全育成という意図を否定するつもりはまったくないが、現段階での法案を拝見した限りでは、角をためて牛を殺す*1方向に向かっているように思えてならないからだ。


MIAUの声明文http://miau.jp/1207693923.phtmlを拝見すると、7つの問題点が整理されており、インターネットに業務として日頃から接していれば、おのおの自然に賛同できる内容だが、すでに多くの反発や反対意見も多く出ており、あらためてこの問題の真の難しさを感じざるを得ない。池田信夫氏がブログでおっしゃっているようなhttp://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/d591eb2135770fe737e22d899c0d2dfdタカ派バイアスが私たちにかかっているとはどうしても思えない。むしろ、現代社会が、統一的な価値観を共有することが非常に難しくなっていて、しかも別の意見を持つ集団どうしが極端なほど見解が異なるため根本的に理解しあえない状況、というのがまさに現出しているように思われる。(宮台真司*2が、『島宇宙*3』とおっしゃった状態と言っていいかもしれない。)



本質的な問題点


私が一番懸念を感じるのは、法案に賛成する人たちの多くに、疑わしいものも含めてすべてシャットアウトして無菌状態をつくりたい、という意識が見えてしまうことだ。これは実に危険な兆候だと思う。


今回の件についての発言ではないが、東浩紀中央公論に掲載された記事(「情報自由論」第四回”イデオロギーなしのセキュリティの暴走” 東浩紀 『中央公論』2002年10月号)からの以下の引用部分をご覧頂きたい。

『セキュリティを高める』とは、ただ安全性を高めるだけではなく、世界に対する配慮を必要としない状態を作りあげること、人々ができるだけ何も考えずに生活できる世界を作りあげる行為を意味することになる。

セキュリティを高めること、それは前述のように、価値観や規範意識の選択以前の、動物的な部分に基づいた本能的な要求である。だからそこには世界への関心はない。セキュリティの強化を望むとき、私たちが念頭に置くのは、社会全体の利益や福祉ではなく、自分あるいは家族、せいぜい近しい友人何人かの安楽な生活である。そのためには異物は排除したほうがいい。
マンションあるいはコミュニティの入口に監視カメラを設置し、警備員を配置し、出入車両のナンバーを記録し、訪問者の氏名や住所が(たとえば住基カードの提示を義務づけることで)自動的に開示されるようなシステムを作れば、確かにその内部は「安全」な空間になるに違いない。しかしその安全は、私たちが人間であるがゆえに備えていた、何か重要なものと引き替えにして得られているのだ。

今が踏ん張り時


最近の日本はそれでなくても、個人情報保護法やJ-SOX対応を巡る一連の動向を見ても、過剰報道→経済活動の萎縮が明らかに起きて来ているし、鎖国や異物排除と思われる状況が頻発している。IMDの国際競争力ランキングで見ると2007年に日本は、55ヶ国中24位で、2006年の16位からさらに後退した。92年には1位であった面影はもはやまったくない。http://72.14.235.104/search?q=cache:MieD_qLYEkAJ:www.mof.go.jp/singikai/sangyokanze/tosin/sk1406mt_37.pd経済指標だけを取りざたするのはあまり好きではないが、下流社会ワーキングプアー、年金問題等の議論で見られるように、これ以上の国際競争力低下は社会不安を助長しかねない状況にあるのも確かだ。それに、異物排除の無菌化への志向は、社会的弱者や外国人等の差別の温床になリ、社会道徳にも深刻な影響がおよぶ怖れがある。


最近の、あまりに早い社会や価値観の変化に、得体の知れない不安感を感じる人が激増し、伝統的コミュニティや家族に頼れないため社会不安は拡大している。こういう状況では、セキュリティの暴走と言われる反応が起こりがちで、実際にこの数年は非常にその傾向が強い。選択を間違うと、日本全体の腰が折れる状況さえ懸念される。今はどうしても踏ん張る必要がある時だと思う。

*1:牛の曲がった角を直そうと手を加えているうちに牛を殺してしまうこと。転じて、少々の欠点を直そうとして、かえって全体をだめにしてしまうたとえ。枝葉末節にこだわって、肝心な根本を損なうことのたとえ。角を矯めて牛を殺す(つのをためてうしをころす)の意味|ことわざデータバンク【一覧】より

*2:宮台真司 - Wikipedia

*3:宮台真司氏が用いた概念。「共通前提の不透明化」が進んだ社会状況のこと