携帯電話のガラパゴス的進化

昨日に引き続き、日本の携帯電話の進化について、もう少しコメントしておきたい。



融合商品の難しさ


従来、異なった製品同士の融合というのはあまりうまくいかないものとされてきた。MP3付きのデジカメ、テレビとビデオが融合したテレビデオなど、一定の話題提供にはなっても、なかなか中長期的なヒットにはなりにくい。本来それぞれ独立した用途とプロダクトサイクルを持ち、ユーザー属性も異なる製品が融合されると、双方の製品の進化が異なることもあって、どうしても中途半端な製品となりがちだからだ。


理論的には、ベストミックスを構成すればよいとはいえ、現実には非常に難しい。融合することによって、それぞれの製品を単独で購入する場合よりも、割安であったとしても、多くのユーザーは最も自分の用途にあったそれぞれの製品を買うだろう。 もちろん、例外はある。ラジカセのように、本来の要素が相互に補強しあって、融合商品として完結する例もないわけではない。ただ、それぞれの製品がコモディティ化せず、進化を続けている間に、融合商品が成功することは原則難しいと考えてよい。


別の言い方をすれば、製品の進化は、生物の進化と同じで、より個別化して行く方向はあっても、融合していく方向は原則ない、ということだ。
このあたりのことは、少々記憶が曖昧で間違っているかもしれないのだが、アル・ライズとジャック・トラウトの共著に、『法則』の一つとして取り上げられていたと思う。

売れるもマーケ 当たるもマーケ―マーケティング22の法則

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日本の携帯電話の特殊性


そういう意味では、日本の携帯電話で起きていることはかなり画期的なことだと思う。急速に進化を遂げる中で、ベストミックスの複合製品として成功している。ただ、もちろん、スタンドアロンの製品を中途半端にインターネットに接続したからと言って、それだけで成功するようなものではない。製品としてのベストミックスが重要で、しかも製品サイクルが異常に早い携帯電話にして成り立っている状況だろう。


ついでに言えば、このような微妙なバランス、携帯小説のような予想できない用途や市場は、事前に製品企画のプロがお金をかけてじっくり調査をするより、ユーザーが製品を使いながら見つけた用途に注意していて、サインを逃さず流れに飛び乗ることが重要だ。それも、最近の携帯電話の進化の中で見られる現象の一つだと思う。


特殊な進化: ガラパゴス的進化


大変皮肉なことに、日本は今パラダイス鎖国*1の状態にあり、携帯電話はその象徴とも目されている。日本の携帯電話は、市場がそこそこに大きく、販売奨励金が潤沢に出たというような特殊な環境と相まって、急速な進化を遂げ、あまりに先進的であるが故に、海外メーカーが入り込めなくなった。そして、日本メーカーはそこから外(海外)には出ず、海外からの参入もない、鎖国状態になったわけである。その結果、日本の各メーカーは海外市場での競争力は失ってしまった。携帯電話以外にも、電気産業全般に同様の自己鎖国が見られること、そして、日本の国際競争力自体はどんどん落ちて行く実態を憂慮して、当然ネガティブに語られることになる。鎖国を続け、ガラパゴス状態になった日本の携帯電話は、本来の進化の流れから逸脱して、特異な進化を遂げたということになる。


だが、携帯電話のガラパゴス的進化には、見るべき物が沢山ある。そして、きちんと育てて行ったほうがよいことも沢山あると思う。(今回は製品進化を中心にコメントしたが、サービス自体でも同じような画期的な状況はいくつも見出すことができる。)そして、その携帯電話を育てるためには、メインのユーザーである若年層の存在は不可欠だ。


大変残念なことに、今は、情報の遮断(フィルタリング)の方向にどんどん流れができているように感じるが、これでは、せっかく進化を遂げた携帯電話市場全体が死滅してしまいかねない。そして、これこそ本当の鎖国への道だ。鎖国をしている間に、他国の植民地になるような流れは何とか阻止したいものだ。 

*1:海部美知氏著、『パラダイス鎖国』ご参照