インターネットと電化製品の融合

ソニーが全盛期を迎えていた頃、ソニー出井元会長の発言は本当に光り輝いて聞こえたものだ。しかも、業績に後押しされた、ただのハロー効果(ハロー効果 - Wikipedia)ではなく、氏の当時示されたビジョンは、今に至るもその先進性と完結性には驚かされくらいの完成度の高いものだった。


下記は、氏が最近(昨年)書かれた本だが、比較的簡単に読めるので参照して見て欲しい。詳細な内容や最近の事例は別として、ソニーの会長時代から、同様のビジョンやコンセプトに繰り返し言及されていた。

日本進化論―二〇二〇年に向けて (幻冬舎新書)

日本進化論―二〇二〇年に向けて (幻冬舎新書)



そのビジョンをもっと総括的に整理して理解したいと考えていた頃、大前研一資本論が翻訳出版(先に米英でベストセラーとなり後で日本で翻訳出版された)されたため、すぐに買い求めて読んだ。



『見えない大陸』
の出現というコンセプトは、これも見事なもので、当時は必ずしも理解できなかったことも多いが、今また繰り返して読んでみると実に先進的であったことを思い知らされる。当時、ここで語られた『サイバー空間』については、実現したとしてもずっと先のことだろうし、自分がビジネスとしていったいどのように係わればよいのか、途方に暮れてしまったものだ。


その後、ITバブルの崩壊、ソニーショックと続くうちに日本の普通の人の目には色あせ、縁遠いものになっていたと思う。


だが、インターネットの進化が続くうちに、特に、Googleアップルのような企業の成功によって、出井氏や、大前氏がイメージされていた未来がどのようなものであったのかを目の当たりにすることになる。両氏とも、電化製品はネットとのつながりの中で考えなければ生残ることは不可能、と異口同音に言われていた。ここ数年で自分自身やっとそのコンセプトを遅ればせながら、実感を持って理解し、そのような観点から市場を見ることができるようになって来た。(まったくなんて鈍いことだろう!) iPodやiTuneのような実例を見せられれば、如何に鈍い私でも気づこうというものだ。同時に、日本の製造業の苦境、米国と比較した日本の競争力の衰退、というような現象にも、理解が進むようになった。


ところが、その鈍い私でもまだ驚くような鈍さを感じるような状況が、大変残念なことに多くの日本企業にはまだ多いと言わざるを得ない。まあ考えてみると、このテーマを90年代の終わりくらいから懸命に考えて、多くの著作を読んだり、意見交換を繰り返していた私なので、多少普通の人より先に気づくのはあたりまえなのだ。むしろ、そんな取り組みを早くからしていながら、ここまで時間がかかってしまった恥ずかしさのほうが大きいくらいだ。でも、それはどうしてだろう。端的に言えば、まだ大掛かりなコンセプトの全体像が実感できるような実例がなかったのが一番の理由だと思う。iPodやiTuneなど、日本経済全体から見れば、わずかなものにしか見えないのも無理はない。


しかし、今、そのコンセプトを非常にダイナミックに実現しつつある例が私たちの身近にある。何あろう、携帯電話だ。


今日本の携帯電話は特に若年層に支えられて、非常な興隆期を迎えていることは誰しも認めない訳にはいかないだろう。しかしながら、この携帯電話の実態こそ、私たちのようなオールド世代の理解が及んでいない領域で、最近では、若年層の携帯利用を丸ごと押さえ込もうというような荒っぽい議論がオールド世代から出るような有様だ。何か得体の知れないものが若者を捉えて魔界に引き込んでいくようなイメージ、格差社会の底辺にいる若者が、パソコン購入のような選択肢がなく携帯電話を使っているというようなイメージなど、ネガティブなイメージが先行していて、とてもそこにポジティブなものの存在など、想像もできないという感じだ。


ただ、冷静にここで起きていることを分析してみると、ネガティブなことばかりでは決してない。むしろ、ポジティブな兆しを沢山見つけることができる。もっとも、携帯電話の活況が示すコンセプトの全体像は、一度に簡単に語れるものではないので、ここでは、『電化製品とインターネット』という点に絞って見てみたい。


携帯電話と電化製品と言えば、デジタルカメラ、携帯音楽デバイス、電子ブックなど。もう少し境界を広げてみると、PDA、ラジカセ、カーナビ(ナビゲーション)、ラジカセ、パソコン、さらに最近で言えばデジタルTV。これらの家電がネットと融合し、さらに効率の良い決済システムを持つ。今の携帯電話は現実にこのように言っても全くおかしくないくらいのしろものだ。まさに、家電とインターネットの融合した世界そのものだ。これにさらに、双方向の情報交換システム(電子メール、SNS等)が加わり、one to one からバイラルマーケティングまでできてしまう。もちろん、個々のデバイスは携帯電話と比べるとずっと性能の良いものはあり、パソコンを使えば、同様のシステムを作り上げることは可能だが、今の携帯電話ほどの完結性を持たせることは大変だろう。


電子ブックなど、単独ではあまり売れたという印象はない。ところが、最近話題になっている携帯小説など、ある意味では電子ブックのありようを再定義したと言って良い。(ケータイ小説 - Wikipedia)携帯のサービスを通じて、ユーザーが電子のデバイスで小説を読み書きするという市場が立ち上がってしまった。そして、ネットとの接続、それを通じたユーザーどうしの交流、小説を書く人と読む人の交流等がなければ、今のような状況はなかっただろう。


デジタルカメラも手軽に写真を取って、それを知り合いに送ったり、見知らぬ第三者と見せ合うという用途で、どれほどの市場が広がったことだろうか。それを先導したのは、明らかに携帯電話だ。音楽デバイスとしての携帯電話は、『着うたフル』の成功はiPodのようなデバイスとも住み分けて、業績は伸び続けている。女子中学生や高校生の間では、新曲を簡単にダウンロードして、スピーカーから音楽を流し、友人に紹介し合うというような使い方をされているという。まさに携帯電話はラジカセでもあるわけだ。いずれもスタンドアローンの電化製品では考えられなかった市場が開拓されている。


鳴り物入りで携帯電話に導入された、ワンセグTVについては、まだ必ずしも成功したという評価は得られていないようだが、上記の例を勘案すれば、携帯の持つ双方向性を生かした番組づくりが始まると状況は変化して行く可能性が高い。この点はワンセグ独自放送の解禁が期待されているようだが、すでに始まって好評を得ている、クリックTV DOMAIN ERRORの方が興味深い。もしかすると、TVそのものの概念が携帯電話を起点として、今とは全く違ったものになってくかもしれない。(その可能性は高いと思う。)


どうだろうか。 『見えない大陸』がすぐそこに見えてこないだろうか。今この大陸にいるのは、ほとんどが中高生を中心とした若年層だ。市場が成熟して、物が売れなくなったと言われるが、市場が成熟して、ユーザーが見える大陸から見えない大陸に大挙して移り住んでいるのが実態に近いのではないのだろうか。携帯電話の利用実態、若年層の購買行動など、もっと探求したくならないだろうか。多くの大人が見落としているヒントをきっと見つけることができると思う。


created_on 2008-04-06 17:41:21