その通り!

本日(4月5日)の池田信夫のブログ http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/559e23abed5ee4729bdd8b404f10bf11 に、山岸俊男の著書である、『日本の「安心」はなぜ、消えたのか』を取り上げて、武士道のような伝統的価値の再生や若年者をインターネットから子供を隔離するような策の愚を説いておられる。


私はまだこの著作を読んだわけではないのだが、池田氏のブログから、とても力強いメッセージを受け取って、非常な『安心』を感じた。私も、ここで言われていることの多くに賛成だからである。もちろん、その私とて、家族や共同体が崩壊している現状に憂いを感じ、ネット情報が非常に愚劣なものを送りつけてくることがあることに、問題意識を感じているという点では人後に落ちない自負はあるのだ。自分にできることがあれば、何とかしたいと常々考えてもいる。


ただ、家族や共同体の再生を、伝統的な価値観の復古に求めたり、ネット情報を遮断するような、無菌抽象空間をつくるような策には、どうしても違和感を感じざるを得ないでいた。生来、他人と同じ考え方や振る舞いに、安易に同調することが大の苦手である私は、日本の学校や会社が押し付けてくる同調圧力にはやりきれないものを感じ続けて来た。村にがまんして住むか、村八分か、という選択は、日本の社会にいれば多かれ少なかれ迫られる。多少誇張を恐れずに言えば、私自身は、今日本の家族や共同体が解体されてきていることに、一定のプラス評価さえ感じて来たものだ。 断っておくが、私は日本が嫌いなわけではないし、日本が古来持つ『共生』の概念には非常な畏敬を感じいる。それは、21世紀のここに至って、本当に世界を救うかもしれない、レベルの高い思想だと考えている。


インターネットのテクノロジーがもたらすコミュニティー構築の可能性についても、伝統的な共同体の解体を埋めるもの、ということを超えて、まだ見ぬ大きな可能性と進化をポジティブに捉えて探求したいと考えて来た。実際、伝統的共同体が決して受け入れられなかった落ちこぼれを、インターネットコミュニティーは救ってくれる可能性がある。そして、表現という点でも携帯電話を使う若者の中からものすごく未来の可能性を感じさせてくれる要素に出会うことも本当に多い。


このような意見の表明は、なかなかしにくい『同調圧力』を自分としては感じていたのだが、これを機会にもっと多様な議論が広がってくれればいいと思う。