文章を書くこと

インターネットが普及して来て以来、自分にとって(おそらく多くの人に取って)、一番変わったことは何か、と考え見ると、それは文章を書く機会が増えたということだと思う。仕事でもプライベートでも電話でしていたやり取りは、そのかなりの部分がメールに置き換わった。それ一つとっても大変な変化だ。

そもそも、文章を書いて伝えることと、音声(口頭)で伝えることは、相当に違うことだと思う。実際、会って話をした人から後でメールを貰うと、全く印象が違うことがある。文章で表現すること、それが自己アピールの中核となることは、自分が子供のころにはまったく想像もできなかった。

まして、ブログという手段が自由な表現手段として流通するようになって、さらに文章表現の巧緻さが社会で生き抜くための重要な手段となり、その社会自体のあり方を変えてしまうようなインパクトが社会の様々な局面で見られるようになってきた。

だが、文章を書くことというのは、自己表現の中の重要なファクターではあるが、すべてではない。むしろ多くの人にとっては文章を書くことの重要性のみが突出することは心外であることも多いのではないか。もっとも、動画、3D世界等の発展も目覚ましく、現実に文章以外の表現の拡大も見られる。そういう意味では、ネットによる社会の変化は始まったばかりの過渡期的な状態なのだろう。(過渡期なのに革命的というのはなんということか!) 

多くの人にとって、人間の持つ表現への希求は、旧来の社会システムの中では潜在せざるをえず、仕事が自己実現手段と言われても、なんとも回りくどい自己表現であることかと感じていた人は多いはずだ。単調作業の繰り替えしのような仕事も、当然それ自体の社会的な価値があることを認めて誇りを持つこと自体は立派なことだが、こと自己実現/自己表現という観点では、『仕事を通じて』行うことにこだわることに無理があるのは当然だ。これは、『終身雇用』、『企業一家』の時代にサラリーマンを経験した人なら、本音の部分では感じていたことだろう。

だが、今明らかに時代が動き始めている。そういうことを見越して生きて行くこと(教育をすること、仕事をすること、プライベートな生活を充実させること)に多くの時間を使う必要があり、意義もある時代だ。