下流志向を読んで その3

全体に非常にわかりやすく、そして自分自身の体験と照らし合わせても実に納得のいく内容だと考えるが、中には自分の想像力が及ばないというか、もっと詳しく聞いてみたいと感じるような部分もいくつかある。中でも、どうしても気になるのは、P111『階層下降することから達成感を引き出す子供たちの出現』という部分だ。これは、『階層化日本と教育危機』に指摘のある概念、とあるが、その後の重要なモチーフとなっており、日本という特殊な社会が作り出した奇怪な出来事ととらえ、『自らの意思で知恵や技術を身につけることを拒否して、階層下降していくという子供が出現したのは、もしかすると世界史上初めてのことかもしれない』(P123) という認識につながっていく。

このような思想が出現すること自体は、必ずしも珍しいこととは思わない。多少極端な言い方をすれば、『出家』のモチーフには同類型が見られるし、近代文明社会に背を向けて、未開社会に入る人も少し歴史をさかのぼるとたくさん存在することがわかる。動機はどうあれ、自分からステップダウンをするということはよくあることと言えるのではないか。それはしばし、画一的な価値観に埋没している状態から、自我を自立させていく重要な過程であったりもする。また、隠棲の思想はその価値判断は別として、むしろ高度成長やバブルのアンチテーゼとして評価を受けていたと言ってもよいように思う。

ただ、子供、それも日本の子供に起きているというのは、いかにも理解しがたい不気味さを感じてしまう。そして、少なくとも今の自分の理解をはるかに超えている。まるで、大量に海に向かって自分自身を滅ぼすネズミの群れのようではないか。戦後の日本が内包したネガティブな状態を浄化するために。ほろびに向かう子供たち、という連想さえしてしまうような話だ。

かなり極端な連想ではあるが、アナロジーとしてあながち間違っていないのではないか、と考える。生きることのすべてを単純な貨幣評価に置き換えてしまうこと、その押し付けに対する強烈なアンチテーゼ、反発が子供の無意識を借りて、出現してきていると考えられるのではないか。

一企業としてこの環境にどう向かっていけばよいのか、ということが現実的な問題として非常に重要になってくるし、この場合の企業行動は、今後の問題解決なり、問題の複雑化なりに大きな係わりを持ってくると考えられる。良質な若年労働力の供給が見込めないということを重く見て、海外生産等の活動を一層伸ばしていくという判断を多くの企業がするようになると、社会としての日本社会は、さらに問題を大きくして、それがまた企業を海外に向かわせる。合成の誤謬が起きてしまう。

ただし、すべてに市場の価値観を持ち込む過ぎたことが原因だとすると、企業側の行動に過度な期待は難しかろう。画一的な価値意識が、日本を世界の製造業の王者に押し上げた原因であったかもしれないが、それがまた社会としてのナイーブさ、脆弱さとなって、強い思想ともいえる市場原理主義の毒が簡単に回ってしまった。今また社会に多くの無駄と雑多な価値を取り戻すことで、社会は豊かさを取り戻し、活性化し、結果として経済社会としての成熟にもつながるということのようだ。