あらためて痛感する日本企業の重い課題

CEATEC JAPAN 2016


先日、アジア最大級の最先端IT・エレクトロニクス総合展 とされる『CEATEC JAPAN 2016』*1に出かけた。この10年くらい毎年欠かさずこのイベントには参加してきたが、この間、日本のIT・エレクトロニクス業界は戦後最大級の激動期にあり、そして、それはこのイベントに写し鏡のように反映されてきた。だからイベントの年々の推移をたどるだけでこの業界がどのような変遷をたどったのか、概観できる。


そういう意味では、本年は非常に大きな転換点だった。本来、テレビ等の電化製品のコンセプトモデルの見本市であったCEATECも、日本の電気業界の不況の波をまともに被り、2013年には、日立、2014年にはソニー、2015年には東芝と業界の大手企業が次々に出展を見送り、参加者も大幅な減少を余儀なくされ、存在意義自体が問われることになった。これを受けて、2016年は「CEATEC JAPAN -CPS/IoT EXHIVITION-」と題して展示のテーマをサイバーフィジカルシステム(CPS)とモノのインターネット(IoT)に絞り込んで開催された。


以下に、CEATECのホームページより、開催趣旨に相当する部分を参考に引用しておく。

CPS/IoT Exhibition として

“モノ” の本質が変化し始めているいま、接続機能や処理能力を兼ね備えた“ モノ”のネットワーク「Internet of Things (IoT)」が生まれ、新たな価値を生み出そうとしています。

IoT により、多様なデータ・情報が集まり、分析結果が現実世界にフィードバックされるサイバーフィジカルシステム(CPS)の概念を基盤とし、CPS/IoTは、あらゆる産業において、新たな価値創造を通じて、従来の産業構造とビジネスモデルに大きな変革をもたらし、社会自体も変化しようとしています。

このような背景のもと、CEATEC JAPAN では、企業や人の共創を鼓舞し、未来の道標として

「つながる社会、共創する未来」をテーマに開催いたします。

CEATEC JAPAN 2017 ( シーテック ジャパン 出展募集 公式サイト )

サイバーフィジカルシステム


サイバーフィジカルシステム(CPS)とは、『現実世界の制御対象の様々な状態を数値化し、定量的に分析することで、従来経験と勘でしかわからなかった知見を引き出す仕組み』とされているが、人工知能(AI)、IoT、クラウド、ロボット、自動運転車等個々の技術が統合して社会全体を変貌させていくイメージを語るという点では、今起きていることの全体像を表す便利な用語でありコンセプトだと思う。ただ、この用語はこれまで思ったほど流通して来ていないとの印象がある。だが、あらためて今回のCEATECでの展示やコンファランス等に参加してみると、このコンセプトが指し示す未来像がいよいよ現実のものとなろうとしていることがひしひしと感じられる。個別の技術はそれぞれに進化し、あるいは場合によっては思ったほど進化しなかったり、普及し過ぎて『コモディティ』となっていくことさえあるかもしれないが、全体としてのCPSの方は、そのような要素技術を取り込んだり捨てたりしながら、それ自体進化し、社会を隅々まで覆い、劇的に変えていくだろう。


イベントではやや別扱いされていた印象のあるフィンテック関連技術(特にブロックチェーン)等も当然、広義のCPSを支える要素・部品であり重要なインフラとなっていくことは確実で、個別の企業の立場では、この巨大な流れと未来像を出来る限り正確に予想して、自分たちがそこにどのように関わっていけるのか、真剣に考え議論すべき時が来ている。


それぞれの要素技術、特に昨今非常に話題になるAIなど、最先端の技術進化に日本企業なり、日本の研究者が置いていかれるとの不安がささやかれるところだが、少なくとも現段階では、各企業が自分なりの役割を見出して、それなりの成果を出していくことが見込まれており、幸いなことに、比較的参加のハードルは低く間口が広いように見える。以前、日本のAI研究の顔とも言える東京大学の松尾豊准教授の、『日本にはAI関連のエンジニアの人材層は厚く、特に、機械学習というのは、AIエンジニアによる比較的地味で長時間の作業が必要な領域なので、日本企業にも十分勝機がある』というお話を聞いたことがあるが、今回のCEATEC参加企業のお話を聞いたり展示を見ていると、確かにそのような光景が現実に展開しているのを目の当たりにしているように思えてくる。


但し、おそらく本当の問題は、CPSの進化がもたらす変化、すなわち、ビジネスの競争環境や、市場やユーザーの嗜好、さらには社会の変化がどのようなものになっていくのか、という洞察力の有無だろう。その点で言えば、まだ明確なビジョンを持って備えている企業は少なそうに見える。では、どのような『備え』が必要なのか。その前提として、どのような将来像がここから見えてくるのか。



(1)プラットフォーマー


一つには、これから様々なプラットフォーム統一を目指して企業が競い、最終的には、幾つかの巨大なプラットフォーマーが寡占するようになると考えられることだ。現実世界のすべてをサイバー空間に置き換えようというCPSという企ては、インターネットの歴史で起きてきたことが大掛かりに再現されることを予感させる。実際、すでにそれを見越した企業の競争が起きてきている(ドイツのインダストリー4.0、GE等を中心としたインダストリアル・インターネット等)。遠からず勝ち組みと負け組がはっきりしてしまうことは避けられないが、勝ち組になれなかったとしても、自らのポジショニングの仕方によっては、それなりの生き残り策はあるし、それどころか勝ち組のプラットフォームを最大限利用することで、爆発的な成長が可能な道もある(Uber等の、創造的破壊企業の例)。そのことを見越した、企業の戦略の巧緻が決定的な差を生むと考えられる。



(2)質の高い大量の情報の確保


次に、この仕組みの根幹にあるのは、ビッグデータ+AIであり、どのように応用しようと、競争力の源泉は『質の高い大量の情報』であることだ。だから、この『質の高い情報』をどのように、コンスタントに収集し続けることができるか、そのような仕組みでをどのように構築するのかが、勝敗を決する重要な要因になる。現状ではどちらかと言うとデータ利用にあたってのプライバシーの侵害や個人情報保護法抵触の懸念ばかりではなく、法律問題にはならずとも最近では世間から糾弾されることもあるので、各企業がデータ利用を躊躇し、萎縮する傾向が見られ、この問題にばかり焦点が集中するきらいがあるが(これには何らかの策(関連省庁によるガイドライン等)で早急に解決が必要であることは言うまでもないが)、その問題が解決されたとしても、日本企業の場合、今に至るも、自前主義、あるいは、系列内取引の発想が抜けきらないところが多いから、それが大きな競争制約要因になりかねない。できるだけ早い段階で、対処策を決めておくことが、その後の競合力維持には不可欠と心得ておく必要がある。その点では、多くの米国企業は、外部経済との関係づくりが巧みで、データ共用の仕組みづくりにも長けていて、事の初めから現代の競争に向いた構造にあると言える。



(3)トップレベルの技術者の確保


三つ目は、トップレベルの技術者の確保の問題だ。確かに必ずしも、トップ・オブ・ザ・トップの技術者がいなくても、(少なくとも当面は)ある程度高いレベルのエンジニアの数が揃えば市場に参入して競争することは可能だろう。だが、それでも、この市場では圧倒的な技術力が地道な努力のすべてをひっくり返してしまうことも珍しくない。


例えば、交通インフラの部品として確実にCPSの貴重な一部となってくることが見込まれている自動車関連だが、特に自動運転車の動向を見ていると、高レベルの技術者の存在がいかに競合上決定的な役割を担っているかを思い知らされる。一例をあげれば、単眼カメラで昼夜問わず車両を検知するシステムの開発を進めるモービルアイ社*2など、人工視覚イメージ処理技術等の高い技術力に定評があるが、いつの間にか従来のレーダー方式・ステレオカメラ方式が一般的であった業界の常識を一掃してしまった。そして、自動車会社を顧客として部品を売る立場ながら、すでに主客は逆転しているように見える。


トップレベルの技術者は一見高額なサラリーで釣れそうに思われがちだが、企業の文化や、仕事の裁量、優秀な同僚等、実際にはそれ以外の動機に魅かれるケースが多い。この辺りも、従来の日本企業の苦手分野といえる。組織だけではなく、組織文化まで含めて改革が必要となるように思われる。



(4)エコシステム化への対応


四つ目は、プラットフォーム化の必然とも言える、エコシステム化の問題だ。プラットフォーム化とエコシステムの発生は、目に見える形で表面化し始めたのはマイクロソフトのウインドウズの普及とその上で動くアプリ制作者との関係からと言われるが、一企業の所有物として始まるプラットフォームも、時間と共にそれをベースとして多くのプラグインサードパーティの製品やサービスが生まれ、それが相互依存するようになり、いわゆるエコシステムが生まれる。そして次第に、プラットフォームの成功は、エコシステムの繁栄に依存するようになる。そこではシェアがデフォルトになり、より多くのものが共有化され、所有より利用/アクセスへシフトが進むことになる。ここでの重要成功要因は、従来の現実世界における市場とはかなり様相を異にする。やはり多くの日本の企業組織もマインドもそのような環境に対応するようにはできておらず、転換に相当手こずることになるのではないか。



(5)限界費用ゼロ社会


最後に、CPSの高度化の暁に訪れることが予想されている、『限界費用ゼロ社会』*3についての考察だ。これは、文明批評家のジェレミー・リフキンが著書『限界費用ゼロ社会』で述べた近未来社会の様相だが、まさに、CPS(著書ではIoTが主役として語られている)はコミュニケーション、エネルギー、輸送の〈インテリジェント・インフラ〉を形成し、効率性や生産性を極限まで高める。それによりモノやサービスを1つ追加で生み出すコスト(限界費用)は限りなくゼロに近づき、将来モノやサービスは無料になり、企業の利益は消失して、資本主義は崩壊するというシナリオだ。何をばかな、と今だに反発する人も少なくないのだが、CPSはまさに、社会のあらゆる部分の効率性や生産性を参加企業が切磋琢磨して争うフィールドとして想定されており、それはすでに現実に動き始めている。その競争の結果、皮肉なことに、資本蓄積の原資となるはずの費用が激減していくことは、ここまでくると十分に想像の範囲内といえる。リフキンが指摘するように『シェア』の割合が増えることも確実と言っていいと思う。


個別企業が自らの利益を求めて良かれと思って競争する結果、その環境/市場そのものが変化して、場合によっては自らの首を絞めかねない状況を何と表現すればいいのだろうか。合成の誤謬(ミクロの視点では正しいことでも、それが合成されたマクロでは必ずしも意図しない結果が起きること)とでも言うべきなのだろうか。エネルギー効率が極端に良くなることが前提なら、原子力化石燃料による大規模な発電システム関連産業は、大幅な縮小を余儀なくされるだろう。自動車もシェアが進み、既存の自動車生産/販売は激減することは避けられない。これによる社会的厚生の向上は見込めるとはいえ、個別企業の立場になれば、生き残りたければ自分たち自身もこの変化に則して変わっていくしかない。そのような想像力をどうやって磨いていくべきなのかが問われている



中長期のイメージを持つことは不可欠


今回のCEATECでもそうだが、政府系のプロジェクトに関わる報告書等を読んでいても、CPSによる社会変革の入り口部分については、盛んに語られるようになってきたため、かなり具体的なイメージを持てるようになってきた。だが、本当に問題なのは、その影響で変貌するであろう、市場であり、社会であり、顧客であり、ビジネスモデルのほうだ。スピードが益々上がってきている現代では、先のことなどわからないと開き直っているわけにもいかない。短期の競争イメージと同時に中期的な市場の変貌、後期の市場の大変貌を共にイメージできているようでなければ生き残れない。ただ、私自身も、このところ、このイメージをシャープにしていくことに全力をあげて取り組んでいるが、結構厄介な課題であることを痛感せざるをえない。まあ、愚痴を言っている場合ではないので、また決意もあらたに頑張ろうと思う。