破壊願望しか見えてこない米国を憂う

 ヒラリーの勝利?


米国の大統領選挙がいよいよ佳境に入ってきた。9月27日(日本時間)には民主党候補ヒラリー・クリントンと共和党の候補に上り詰めたトランプの第一回目の公開テレビ討論会が行われた。当初から泡沫候補と叩かれ続け、同じ共和党の長老からさえ敬遠されながらここまで来たトランプだが、さすがにこれ以上は無理だろうという『常識』の声は今に至っても消えることはなく、今回の討論会でも、一般のメディアではヒラリー勝利を伝える報道が多かった。私も文章になった二人の具体的な発言を読みながら、これはどうみてもヒラリーの勝ちと言わざるをえないと思った。論理が首尾一貫していて、常識的で(非常識ではなく)批判を許す隙は少なく、非を認める潔さもあり、ディベートとして見れば、どうみてもヒラリー勝利としか言いようがない。
http://www.chunichi.co.jp/s/article/2016092701001219.html



 トランプが勝っていた!


だが、本当にそうなのだろうか。もともと論理が首尾一貫せず、非常識で、潔さを微塵も感じることができないトランプなのに、それでもここまで来たのではなかったか。そのように考えていると、案の定、トランプ優勢と感じた人たちが多く、全体としてもトランプが勝っていたという意見が多いのに、メジャーメディアの光彩に隠れてしまっていて、真実が伝わっていないという意見が沢山出てきた。


どうしてそんなことになってしまうのか。この点については、ニュース番組制作者の渡辺龍太氏のブログ記事での主張が当を得ているように思える。

このように、アメリカの田舎には、真面目に勉強や仕事を頑張って生きてきたのに、年々貧しくなっていき、もう医療保険・大学の授業料のための借金・家賃・車代を捻出するのがギリギリになっている人たちがいるのです。そういった人々が求めるリーダーを想像してみてください。今ままの状態が続く事は座して死を待つようなものなので、何であれ、現状を必ず変えてくれる可能性の高い人物を求めるのは当然です。(中略)

討論の準備をしっかりするというのは、『失言をしない』『何を聞かれても笑顔を絶やさない』という事が最重要課題であるというような、ヒラリーが元オバマ政権の国務長官だった事を改めて思い出させる、現状が変化しない事への約束の様な発言に受け取れるからです。

討論でクリントン圧勝と言うメディアは想像力が無い – アゴラ


8年前はオバマ元大統領の『CHANGE』を信じて投票したが、その期待は裏切られたと感じている人が多いという。実際、米国実勢調査局のデータによると、国民の家系水準は過去15年間停滞しており、家計所得の中央値は下がり続けている。

Income


だが、問題は経済政策における失政というだけに留まらないようだ。次のBBC記事を読むと、経済や雇用や移民等の個別の問題より政府そのものが最大の問題と多くの米国人は考えていて、政府に対する不満が民主党支持者、共和党支持者ともに爆発寸前にあることがわかる。

ピュー研究所によると、政府を信用するかどうか尋ねられると、共和党支持者の89%と民主党支持者の72%が「たまにしか」もしくは「絶対に信用しない」と答えるという。ギャラップ社調査によると、10人に6人のアメリカ人が、政府は権力を持ちすぎていると感じている。さらにアメリカ最大の問題は何かという調査では、2年連続して、経済や雇用や移民よりも政府が最大の問題だという結果になった。

連邦議会は膠着しているし、有権者に選ばれた政府関係者は無能に思える――。このように感じて不満を抱く有権者は20〜30%に上ると、アメリカン・エンタープライズ研究所の世論調査専門家、カーリン・ボウマン氏は言う。

「政治家は争うばかりで何も成果を出さないと、多くの人の目にはそう映っている。加えて、連邦議会の業務内容は1970年代から格段に増えているため、批判すべき内容が単純に増えているとも言える。国民は昔よりも政府を遠くに感じ、政府を疎ましく思うようになっている」

【米大統領選2016】なぜアメリカ人はそんなに怒っているのか - BBCニュース


渡辺氏は、『失言の有無』とか『礼儀正しい』とか『庶民的かどうか』という事が、現状の暮らしを変えられるかに関係が無いとオバマ大統領から学んだ人は、劇薬でも良いので、とにかく『本当に現状を変えられる可能性の高い人』がリーダーになるべきだ、と米国人が考えるのは論理的だと述べる。


これが背景にあるとすると、確かに、討論会のやりとりが全く違って見えてくる。ヒラリーはまさに米国民が感じている疎ましい政府の代表に見えていて、トランプはそれを破壊しようとしているゆえに支持が高まるという構図が読み取れる。要は、ヒラリーのような現状肯定、旧来の常識の尊重では、何も変わらず、変わらないということは自分たちの生活は将来に渡って絶望的と感じる一人が今の米国にはものすごく多いということだ。


 シリコンバレーはどうなっているのか


ただ、確かにいわゆる『プアー・ホワイト』等の低所得者層はそのように感じていることは理解できるが、富裕層はどうなのか。特に先進技術で世界中に非常に大きな影響力を振るっているシリコンバレーで活動するエンジニア、ビジネスマン、投資家等はどのような立場なのか。


どうやらさすがにトランプ支持者は少なさそうに見える。7月14日、シリコンヴァレーの起業家/経営者/エンジニアら145名は連名で「トランプはイノヴェイションを破壊する」と訴えるオープンレターをウェブに公開した。この中には、Apple創業者の一人であるスティーブ・ウォズニアックTCP/IPプロトコルを開発し「インターネットの父」と呼ばれるヴィント・サーフ、ネット中立性を提唱した法学者のティム・ウー、eBay創業者のピエール・オミダイア、TwitterやMediumの創業者のエヴァン・ウィリアムズ等、錚々たるメンバーが並んでいる。シリコンバレーを代表する投資家であるマーク・アンドリーセンも早い段階からトランプ嫌悪を鮮明にしている一人だ。


だが、驚いたことに、著作『ゼロ・トゥ・ワン』*1で日本でも著名な、起業家にして有力な投資家であるピーター・ティールはトランプ支持を表明している。自らゲイであることをカミングアウトした彼にとっては、そもそもゲイマリッジに反対する共和党は居心地が良いようには思えない(もっとも、最近でトランプは自分は同性愛者の見方と言っているようだが・・)。しかも、シリコンバレーの起業家/投資家にとっては、ビジネス環境に悪影響を及ぼすことしか言わないトランプは、アンドリーセン同様、ティールにとってもありがたい存在とは考え難い。だが、過去の発言から、どうやらティールは現状の民主主義は資本主義と共存できないと本気で信じていて、トランプ大統領を誕生させて、腐った政治体制を壊して、民主主義より資本主義を優先するように変えてしまうことを期待しているのでは、という見方もあるようだ。

Donald Trump, Peter Thiel and the death of democracy | Technology | The Guardian
A Crazy Yet Plausible Theory About Why Peter Thiel Supports Donald Trump | Inc.com


確かに、この記事を精読すると、それもありうべきと思えてくる。とすれば、ティールのトランプ支持の理由は、プアー・ホワイトと同様、現状の政治の破壊者としてトランプに期待していることになる。あらためて、共和党支持者の89%と民主党支持者の72%が、政府について「たまにしか」もしくは「絶対に信用しない」と答えるというピュー研究所の調査が思い出される。おそらく、さすがにトランプは受け入れられないと感じている他のシリコンバレーの起業家/投資家にしたところで、ヒラリーを積極的に支持しているというよりは、トランプよりマシという程度の支持なのだろう。そこに彼らの積極的な政治意識はほとんど感じられない。


社会学者の宮台真司氏などは、シリコンバレーは今やリベラル政党支持ではなく、オルタナ右翼が支配しているとまで言い切る。私はそこまで言うだけの材料が今のところ手元にないが、言われてみれば昨今そのような兆候を随所に見出すことができることは確かだ。このオルタナ右翼=Alternative Rightについては、日本では駿河台大学の専任講師である八田真行氏の記事くらいしかまだまとまった記事がないが、今後、重要な研究対象として注目を浴びていく可能性は大きそうだ。

alt-right(オルタナ右翼)とはようするに何なのか | ワールド | 最新記事 | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト


哲学者のジョセフ・ヒースは著書『啓蒙思想2.0』*2で、米国の保守派は、政治は結局のところ計画や政策ではなく『勘(gut feeling)』と『価値観』だという考えに魅了され、選挙戦は人々の頭ではなく、心に訴えることで決すると考えるようになったという。だから、共和党の候補者が『エネルギー省を閉鎖する』というとき、本気でそうするつもりなどなく、『私は、連邦政府が石油会社を嫌っていると非常に強く感じている。そこを変えたい』ということにすぎず、目的は、自分の考えではなく、感情を伝えることにあるのだという。今まさに我々はこれを体現したトランプと、それを受け入れる米国大衆、という悪夢を見せられている。しかも、米国のクレージーな一局面などではなく、今大きなうねりとなって、米国の政治の頂点、合衆国大統領を生み出そうとしている。



消える希望の火種


しかし、何と恐るべき状況だろう。本当にトランプが大統領になるかもしれない。その結果、破壊に次ぐ破壊が行われたとして、その後に何を創造するのだろうか。どう見ても、今のトランプに『創造』といえる整合性のあるビジョンがあるようには思えない。しかもヒラリーが大統領になったらなったで、これほど充満した怒りと不満のエネルギーは解消されずに溜め込まれるわけだから、それはまた違った意味で非常に恐ろしい。


シリコンバレーのIT起業家は、従来その活動の背景に社会改革の思想の香りがあり、彼らのビジネスの成功は、彼らが考える理想の実現のための手段にすぎないという意志が感じられたものだ。賛否は別として、やや大げさに言えば、米国が世界に誇る希望の光とさえ言えるものだったはずだ。最近で言えば、電気自動車テスラモーターズ社のCEOである、イーロン・マスクあたりまでは、それが感じられた。だが、イーロン・マスクとともにPayPalの共同経営者を務めたピーター・ティールを筆頭に、そのような思想(カリフォルニアン・イデオロギー等)の影響は感じられなくなりつつある。


『カリフォルニアンイデオロギー』とはヒッピーの理想とコンピュータ技術者であるハッカーの理想が交じり合った混合物とされる。ハッカーの理想は、個人の実力の評価という反属性主義、フロンティア志向、資本主義の肯定に連なり、ヒッピーの人間の本来性の尊重という反属性主義に連なる反権威主義、自由の尊重という理想は重なり合っていた。スティーブ・ジョブズなど本人がかつてヒッピーのような放浪を経験したり、禅の修行をしたりしており、ヒッピーの精神性と響きあう個性の持ち主であったこともあり、カリフォルニアン・イデオロギーの体現者と目され、そういう意味でも熱狂的な信者や追随者を生んだ。


シリコンバレーの反権威主義、自由の尊重という理想は今でも変わらないのだろう。だが、かつてのようにヒッピーカルチャーとの混合によって醸成される人間の本来性の尊重というような方向に深まっていくのではなく、単なる個々の欲望の追求の自由、個々の感情の満足追求の自由に堕してきつつあるのかもしれない。 シリコンバレー的なIT起業家が増えれば世界は変わるかもしれない、というような淡い願いは、もはや幻想でしかないのだろか。本当にそうだとすると実に残念なことだし、世界は希望の火種の一つを失いつつあると言える。


このような現状をすべて受け入れた上で、それでもできること、やるべきことは何なのか。 あらためてゼロベースで考え直すべき時がきているのかもしれない。

*1:

ゼロ・トゥ・ワン―君はゼロから何を生み出せるか

ゼロ・トゥ・ワン―君はゼロから何を生み出せるか

*2: