『所有しない社会』について考えてみる

国際大学 FTM フォーラム2012 グリーンテーブル:第一回目


国際大学グローバル・コミュニケーション・センター(GLOCOM)は、『日本を覆う閉塞感を打ち破り、技術やイノベーションのあり方を根本から見直して未来を切り拓いていくために、また長期的観点から多様な人々が幸せになる社会を構想するために』と銘打ってフューチャー・テクノロジー・マネッジメント(FTM)フォーラム(議長:村上憲郎国際大学GLOCOM教授、Google日本法人元社長・前名誉会長)を2011年10月に発足させ、企業の役員クラスをコアメンバーとして主として技術戦略に取り組むレッドテーブルと、ミドル・若手をコアメンバーとして社会のあり方等に主として焦点をあてるグリーンテーブルに分けてそれぞれ議論を進めてきた。


このグリーンテーブルの問題設定は自分自身の関心領域と重なるところも大きく、また選ばれたディスカッション・メンバーも、中堅・若手クラスのオピニオンリーダーとして興味深い発言が期待できると思えたこともあり、2011年度に開催された4回のうち3回に参加して、このブログでも参加報告を書いてきた。


本年度(2012年度)も、昨年同様4回の開催が予定されていて、今回その第一回目が開催されたので参加してきた。
第1回FTMラウンドテーブル(Green-Table)「“所有しない社会”とスマート社会の構想」 | 国際大学グローバル・コミュニケーション・センター


開催概要は次の通り。


日時: 2012年8月28日(火)18時〜21時

会場: 国際大学グローバル・ コミュニケーション ・センター
(東京都港区六本木6-15-21ハークス六本木ビル2F)

プログラム(敬称略)

18:00 〜 ご挨拶・FTMの紹介

18:10 〜 話題提供「“所有しない社会”とスマート社会の構想」
       庄司昌彦国際大学GLOCOM主任研究員/講師)

18:55 〜 ディスカッション
       川崎裕一 (株式会社kamado代表取締役社長)
       西田亮介 (立命館大学大学院特別招聘准教授)
       藤代裕之 (NTTレゾナント株式会社 新規ビジネス開発担当)
       森永真弓 (株式会社博報堂DYメディアパートナーズ i-メディア局 i-メディア戦略部
                メディアプロデューサー (兼) メディア環境研究所 上席研究員)
       庄司昌彦 (国際大学GLOCOM主任研究員/講師)

20:00 〜 休憩 20:15 〜 オピニオンメンバー・会場も含めた全体ディスカッション
21:00   終了



前提


2012年度のグリーンテーブルの年間テーマは、『所有しない社会の構想』ということで、まず、座長の庄司昌彦氏より『”所有しない社会”とスマート社会の構想』というタイトルのプレゼンテーションがあり、それに引き続いてディスカッションメンバーの議論が始まった。庄司氏は、昨年来の取り組みを勘案した上で、社会が様々に変化する中で具体的に時代にフィットした最適なスマート社会を構想していくために、『所有しない社会』という社会像を仮想したいとする。庄司氏のプレゼンテーションの概要は以下の通り。


『リーディングズ情報社会』(公文編、2003年)等の整理によれば、情報社会論は1960年代から70年代の何人かの論者を源流としている。彼らの議論は、重厚長大な工業社会への反省やエネルギー・環境問題への対応が主要なテーマであり、軽薄短小で知的な、いわばスマートな社会を目指していた。しかし、少なくとも90年代中盤以降の情報社会論では、メディアやコミュニケーションに関する議論が有力となり、特にエネルギー・環境問題と関連させるような議論の影は薄かったと思われる。


 ところが、ユビキタスなデバイスによる生活環境の情報化や、米国のオバマ政権が「グリーンニューディール」政策で打ち出したスマートグリッドの導入、また福島第一原発事故後のエネルギー政策に関する議論の中で、再び、情報通信技術とエネルギー・環境問題を関連付けた議論が増えてきた。また、インターネットを支える技術者文化は自然と自由を志向するヒッピー文化と関連があり、それもまたハッカー集団の活動やソーシャルメディアを介した社会変革運動の世界的広がりの中で表出してきている。


 昨年度のGreenTableでは、シェア経済の実態や、「もっと、速く、良く」という価値観と技術の進展、「共感」といった人間的要素と技術の関わり、「個人」と「仕事」の関わりなど、現状に関する議論を深めた。今年度は、そうした議論を踏まえつつ具体的な未来のスマート社会を構想していくため、「“所有しない社会”」という社会像を仮想してみることとしたい。第1回となる今回は、過去の情報社会論との異動や4回の議論を通じて深めていく議論の基調となる報告を行う。
第1回FTMラウンドテーブル(Green-Table)「“所有しない社会”とスマート社会の構想」 | 国際大学グローバル・コミュニケーション・センター


庄司氏の意図するところは十分に理解できるし、今回の到達点と考えているであろう地点も予想できないわけではない。ただ、議論の誘導という点では、問題の諸相と方向性があまりに多様で、ディスカッション・メンバーがやや当惑してしまったようだ。いざ、議論が始まってみると、メンバー各自の意見には興味深い観点があるのだが、どうしても論点が錯綜して議論が深まりきらない印象が残った。


この議題には、できればフリーディスカッションを始める前に、もう少し以下の潜在的な疑問に答える『仮説』を準備しておく必要があったように思う。


『所有しない社会』的な現象が現在起きてきていることを前提として、


その原因、理由、背景は何なのか?


一過性なのか、根本的な変化なのか? 


今後そうなったほうがいいのか? それを目指していくべきなのか? 
それとも元に戻すべきなのか?


社会を変えていくことを志向するべきなのか?


現状を認識した上で、個人(集団)が変化する(受け入れていく)べきなのか?


日本だけの現象なのか? 世界的な傾向なのか?

ゴールイメージ


加えて、今回は何を議論のゴールと考えているのか都度明言して、もっと議論を誘導してもよかったのではないか。

個々人のライフスタイルのあり方を問うことなのか?


新しいビジネスの可能性を模索することなのか?


政治的な取り組み課題として社会の改革案を策定することなのか?

『所有しない』に何故今注目すべきなのか


『所有しない社会』について議論を進めていく上で、何故今『所有しないこと』に注目すべきなのか、私なりに整理してみた。先ず以下の3点に分けて考えてみるのがよいと思う。そうすることで原因と結果が錯綜してしまいがちなこの論点に、一定の時系列的な道筋をつけることもできると考える。

所有しないのは・・


1. 所有できないから


2. 所有することが楽しくないから(罪悪感を感じるから)


3.所有しないことに積極的な意味があるから

所有できないから


何より先ず、昨今の若者は経済的な余裕がなくなっている。


バブル崩壊後、小泉政権の頃のほんの一時期を除いて長く不況が続いてきた。国際競争力も落ちる一方だ。短期的に企業業績が多少上向いても、新興国の追い上げも厳しく、中長期的な成長が期待出来ないとなると、労働分配率の下方圧力は強い。終身雇用が保証されていて長期安定的に所得上昇が見込めるなら、住宅や自動車のような高額な耐久消費財もローンを組んで買う(所有する)ことができる。だが、もはやそれは誰にとっても難しくなった。年金受給でさえ定かとは言えない。長期コミットしないと買えないものを所有しようとすることのリスクは非常に大きくなって来ている


この経済環境で一番割りを食っているのは若年層だ。特に20歳代の非正規雇用比率は急増しているし*1、改善の兆しは全く見られない。パラサイトシングルと言われたように、これまで親と同居することで基礎的生活条件を親に依存していた者も、それが維持できなくなるのは時間の問題だ。結局、安価で短期的な消費しかできなくなって来ているし、このままではますますそうなるだろう。


だからこそ、再び経済成長を目指して邁進する必要があるとシニアの多くは口を酸っぱくして語る。だが、仮にアップルやGoogleのような企業が日本に数多く現れるようになったとしても、国際競争力を維持するためには、今のアップル同様、設計やデザインのような付加価値の高い仕事は日本に残すことができても、労働集約的な工場での生産のような仕事は、より賃金の安い中国やインドのような国にシフトすることになるだろう。工場を国内に置くことが出来たとしても、同一業務同一賃金が世界的に浸透してくれば、中国やインドのレベルまで賃金が下がらざるをえなくなる。中間層の所得下落は先進国共通の悩みだ



所有することが楽しくないから(罪悪感を感じるから)


昨今日本でも、天候の変化をはっきりと感じることができるようになった。超巨大な台風、ゲリラ豪雨、極端に暑い夏等々、もはや『異常気象が普通』といってもいいくらいで、『観測史上初』のオンパレードだ。これは日本だけではなく、世界的な現象であることは、ちょっと気をつけていればすぐにわかる。北極海での海氷面積は観測史上最小になり、オゾン層は過去最大の減少を記録し続けている。『宇宙船地球号』はもう満杯だ。それなのに、一方で中国やインドを始めとする新興国の経済成長はこれからが本番だ。どう考えても、大衆消費社会的パラダイムは転換せざるを得ない。物的生産拡大による成長を志向する社会ではなく、徹底してエネルギー効率を高め、無駄な生産や消費を抑制する社会に切り替えていかざるをえない。だが、本当にそんなことは可能なのか。私たちが習ったマーケティングの教科書には、一旦上がった生活レベルは下がらないと書いてあったはずだ。


だが、どうやらバブルの熱で脳をやられた私達の世代と違って、今の若者はちゃんと時代の要請する条件に適応しているようだ。各種の調査資料によれば、若年層の環境問題への関心は強く、節約志向で無駄を嫌う傾向が出てきているという。以前に書評を書いて紹介したことがあるが、マーケティング・アナリストの三浦展氏の言う、『シンプル族』は、すでにパラダイムの転換が現実に起き始めていることの現れと言えそうだ。

もっとたくさん物があることがいいことだ、という豊かさと消費についての考え方を最小限に抑え、精神性や健康を重視し、家族や友人と質の高い時間をすごすことを重視する、倹約的な生き方。 外面的にはもっとシンプルに、内面的にはもっと豊になることを志向する。 それは自発的に選ばれたライフスタイルである。贅沢と怠惰を否定する禁欲主義でもない。 『シンプル族の反乱』*2 P41


三浦氏の著書『シンプル族の反乱』は2009年の発刊だが、東日本大震災を経た現在では、ここで紹介されたようなライフスタイルがより一層浸透しているように見える。


かつて、日本の大衆消費社会が隆盛を極めていた時、消費は美徳であり、思い切って消費をすることが社会への貢献とさえ言われていた。大量生産/大量消費を代表していた自動車も、機能としての用途は背後に隠れ、社会的なステータスシンボルとしての記号が華やかに踊って飛ぶように売れた。地域社会でも、企業コミュニティーの中でも、自動車はまさに序列、ステータス、センス等を表す記号として、最大限機能していた。だが、昨今のように地域社会も企業コミュニティーも解体されて、個人がバラバラになると、かつての記号の意味も無化されてしまう。それどころか、今日では、必要な機能以上の性能の車を所有していようものなら、『環境に配慮がない』という、負のメッセージを発信してしまいかねない。特に若年層にとっては、自動車を自慢すること自体、『痛い』と感じる人も多くなっているようだ。



所有しないことの積極的な意味


東日本大震災の最大の特徴の一つは津波等の鮮明な画像が数多く流れて人々に衝撃を与えたことだが、そのため、住民の貴重な財産である住宅や自動車が無惨に流されていく様を世界中の人が目撃することになった。思えば、これほど『所有のリスク』を眼前に見せつけられる機会は他にはない。被災された人たちには非常に気の毒な話だが、購入した住宅や自動車が無と化すだけではなく、後に高額のローンがだけが残ったようなケースも少なくないはずだ。


こんなに大規模な地震津波はさすがにそうは起きないだろうと思いたいが、つい最近も、死者が最大約32万3千人という途方もない被害想定が出されたばかりの南海トラフでもそうだし、近いうちに必ず起きると言われてきた東海地震も、昨今では想定以上の規模になる可能性があると言われ始めた。日本だけではなく、地球全体が地震活動期に入ったという物騒な説もある。*3これでは、個人も企業も『購入/所有』に慎重にならざるをえない。住宅で言えば、そもそも日本の人口は減少に転じていて、今後『空き家比率』は急増する方向だ。


自動車もステータスシンボルであったころは、カローラ → コロナ → クラウンと乗り換えてきた人が、下級車移行することはありえなかった。クラウンの次があるとするとベンツ等のよりステータスが高そうな車しか選ばれなかった。だが、そのような記号消費の霧が晴れてみると、都会で買い物をするなら軽自動車のほうが使い回しはいいし、旅行にはワンボックスカーの方が便利であるという当たり前のことに皆が気づき、それを実行に移すことを躊躇しなくなった。(現実にそのような移行が頻発するようになった。) 所有しているとそのような用途に応じた使い分けが簡単にはできないから、レンタルやシェアサービスが充実していればそのほうがメリットがある、ということになる。ここにも所有しないことの積極的な意味がある。


企業も、重厚長大の時代には、資本や労働力を集積する必要があったし、特に自動車産業のように、『すりあわせ』が強みになる業種では、下請けや販売店等を系列にまとめた『垂直統合』が強みを発揮した。だが、世界的に水平分業が主流になり、協業/アライアンスが当たり前になってみれば、自社の組織が不要に大きいことは、マネジメントが複雑になり、新しい仕事への対応力/機動力もなくなりがちで、競争力が落ちてしまうリスクが大きくなる。よって、ここでも不必要に所有しないことが有利になる。



変わる起業家のマインド


先日、ニコニコ生放送で、ジャーナリストの佐々木俊尚氏と事業家の家入一真氏の対談番組があったのだが、これが非常に興味深く、今回のグリーンテーブルでのトピックにも深い関わりと持つテーマが取り扱われていた。
佐々木俊尚の未来地図レポート 「成長ではなくつながりを〜新しい起業家の姿とは〜」 ゲスト:家入一真 - 2012/08/29 20:00開始 - ニコニコ生放送


佐々木氏によれば、今は第三次起業ブームなのだという。第一次は、楽天三木谷浩史氏や堀江貴文氏等が起業した90年代の終わり頃、第二次はWeb2.0と言われたゼロ年代の半ば頃。はてなmixi等に代表される時期である。このころまでは、皆成長路線で、起業家/経営者も日本一や世界一を目指すことを宣言する等、非常に鼻息が荒かった。
ところが、昨今の(第三次)起業家は、あまり成長を志向しておらず、成長しなくても自分たちが食べていければいい、というようなタイプが非常に多いのだという。具体的には、ノマド論争でも有名になった、安藤美冬氏や、イケダハヤト氏等の名前があがる。NPO法人のような社会貢献に興味を持つタイプが多く、お金を稼ぐよりもっと満足できることがあると考えているように見えるという。お金に対する幻想が壊れている気さえするのだそうだ。


グリーンテーブルの昨年度のディスカッション・メンバーの一人、閑歳孝子氏とお話をしていて、実は私自身、閑歳氏の考えがこれに非常に似ていて、がつがつとお金を稼いで企業を成長させることを志向していないと感じたことを思い出した。


一見非常に理解しがたい不思議な現象にも見えるが、上記を併せて読んでいただければ、第三次企業ブームの主役である若年経営者のマインドも無理なく理解できるのではないか。少なくともこれをベースに仮説を構築することはできるように思う。



仮説として


本年度のグリーンテーブルはまだ始まったばかりなので、いきなり結論めいたお話ばかりするのは興ざめかもしれない。ただ、あくまで一つの仮説として読んでいただければ、今後とも興味を持ってこの活動を見守ることができるのではないか。少なくとも私はそういうつもりで、引き続き参加させていただこうと思っている。