それでも日本人を信じたい/押し流すべき『官僚思考』

まだ戦後ではない


今回の震災は規模と範囲が大きすぎるため、未だに全貌が掴めているとは言えず、まったく動向がつかめていない村落等も少なくないという。そういう意味では、戦争に例えるなら、今は戦後の復興期というよりは、まだ戦争が続いているというべきだろう。ここに来て、特にその印象が強いのは、依然として予断を許さない福島原発の状況だ。情報が錯綜していて、本当のところがなかなか把握しづらいが、少なくとも冷却システムが復旧して安定稼働するまでは『戦争』が終わらないことはわかる。今この瞬間も復旧作業に命がけの作業員の方々やそのご家族には、かける言葉とて無いが、とにかく頑張って欲しいとしか言いようがない。



極限状態であらわれる本質


この戦争の比喩だが、良い意味でも悪い意味でも太平洋戦争前後の様々な出来事は、極限状態にあったその時に日本人がどのように行動するのかを知るのに非常に貴重なサンプルを大量に残してくれており、それを今回の震災のような同じく極限状態における現代の日本人と比較することで、意義深い気づきを沢山得ることができる。



将兵は強いが将校は凡庸


前回のエントリーで私自身取り上げたように、『危機に一致団結して整然とあたる』日本人の姿は、戦後の復興期の日本人に見られた特徴でもあると同時に、実は戦争中にも随所にみられた日本軍の強さの秘密でもあった。当時の日本の国家としての責任や評価等にはここでは言及するつもりはないが、いざ国家のため、銃後の家族を守るため、と覚悟を決めた日本の下士官以下の将兵の優秀さと強さが抜群であったことは定説と言ってよいだろう。だが、同時に、上級将校、軍事官僚、政治家等のリーダーは(もちろん例外もあるが)総じて評価が低い。いわゆる戦略思考ができているとは言いがたい。そのあたりの事情を非常にわかりやすく解説した名著に『失敗の本質―日本軍の組織論的研究 』*1があるが、あらためてこの本で取り上げられた事例を思い出してみると、残念なことに今回もまた同様な傾向が随所に散見され、『人災』はまだ収束していないように見える。


リーダーの戦略性のなさについては、先日、内田樹氏が今般の震災の危機管理を見て、『これは日本陸軍だ』と思ったとブログで書いているが、相変わらずの彗眼だ。『兵站の軽視』『局所合理性』『戦力の逐次投入』など、まさに太平洋戦争中において非常に多くの事例が報告されたごとく、今回の震災の危機管理にも少し気をつけていれば(いや、さほど気をつけていなくても)いやになるほど見つけることができるはずだ。

兵站と局所合理性について (内田樹の研究室)



最も高度な危機管理が必要なはずなのに


特に、批判の的になっている東京電力原子力安全・保安院など、典型的に帝国陸軍、中でも軍事官僚が牛耳った中央参謀と同じ原理で経営されているとしか考えられないような行動や発言が目立つ。原発のような高度で複雑な技術が必要で、しかもいざ事故が起これば住民にも甚大な被害が及ぶような施設なら、日本の危機管理のお手本とも言える高度な危機管理が行われてしかるべきと思うのだが、今続々と出てくる問題指摘記事や動画を拝見していると、むしろその対局とも言える状態だったのではないかと我が目を疑いたくなる。以下、いくつか参考になる記事の引用をしておくので、是非自分で読んで(視聴して)判断してみて欲しい。

YouTube

http://mainichi.jp/select/weathernews/news/20110327k0000m040036000c.html

http://www.nationalgeographic.co.jp/news/news_article.php?file_id=20110324001&expand#title

原発がどんなものか知ってほしい(全)

http://d.hatena.ne.jp/Syouka/20110325/1301078563

未曾有の国難というなら、副次的な被災まで国が全力でバックアップすべき (1/2)



現場は優秀


第一線の兵士と下級将校は優秀で強いが、中央の参謀本部が凡庸という構造についても、今回の事故とその初期対応の過程で、非常にわかりやすい事例があったようだ。


そのうちに1号機では炉内の熱で水蒸気が発生し、圧力が高まっていった。破裂しないうちに放射性物質を含む水蒸気ごと逃がし、圧力を下げる必要があった。これをベント(排気)という。「ベントをやらなければならなかったが、本店は非常に消極的」(政府関係者)という状況だった。


福島第1原発の現場責任者は、吉田昌郎執行役員発電所長である。その陣頭指揮は光っていたようだ。「吉田所長は勇敢で現実的だった」と政府関係者は言う。「しかし、本店を経由してしか現地に連絡できなかった。だから12日朝、菅直人総理がヘリで現地に飛び『ベントしろ』と言った。吉田所長の背中を押しに行ったんだ」(政府関係者)。


(中略)「放水作業のなか電線工事をすることは作業員の安全を確保できるものではなかった。何が起こるかわからないからだ。本店と現地は何時間も議論した。本店は『自衛隊の放水は止めてもらえ』とまでなった。だが吉田所長が『やる』と判断した」


ぎりぎりの選択だったが、この工事は成功。現場でも本店でも拍手が起きた。「本店がいろいろと言っても吉田所長は『評論家はいらない』と取り合わなかった。彼がいなければ現場も本店もパニックだったろう」(東電関係者)。

世界が震撼!原発ショック悠長な初動が呼んだ危機的事態国主導で進む東電解体への序章|Close-Up Enterprise|ダイヤモンド・オンライン

歴史は繰り返す


私はこの現場責任者の吉田所長の話を読んで、これはインパール作戦の時にコヒマ撤退を見事に指揮した宮崎中将にそっくりだと思った。少し長くなるが、私の以前のブログエントリーから引用する。

インパール作戦というのは、1944年(昭和19年)3月に日本陸軍により開始され6月末まで継続された、援蒋ルートの遮断を戦略目的としてインド北東部の都市インパール攻略を目指した作戦のことである。 補給線を軽視した杜撰(ずさん)な作戦により、歴史的敗北を喫し、日本陸軍瓦解の発端となった。 無謀な作戦の代名詞として、しばしば引用される作戦である。(Wikipediaより) この作戦を指揮する、牟田口司令官は最初に参謀長としてついた、シチョウ兵出身の小畑少将が補給に問題があるとして反対したことに腹を立てて、わずか一ヶ月でクビにしてしまったり、補給を無視した無謀な突進命令を度々発したことから、部隊内では「無茶口(ムチャグチ)」と呼ばれることさえあったというから、『補給』=『臆病』と考えていたとしか思えないような人物だ。そんな指揮官の指揮する作戦は、結果的に日本軍参加将兵約8万6千人のうち戦死者3万2千人余り、戦病没者は4万人以上(そのほとんどが餓死者であった)を出した。(Wikipediaより)
インパール作戦 - Wikipedia
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ところが、宮崎中将の指揮する宮崎支隊は、インパールよりさらにインドに近いコヒマを占領し、作戦全体が進まないため、コヒマから徹底するにあたっても負傷兵や病兵を一人も戦場に見捨てずに運んだばかりか、他の師団が見捨てた兵(患者)まで拾って帰ったという。補給を進言する参謀を即座に更迭してしまうような司令官をいただきながら、宮崎中将は徹底的に補給を考え抜き、状況に極めて柔軟に反応した。特筆すべきは、イギリス軍の守備兵を敗走させた時に、今まで使っていた日本製の武器を全部イギリス製に取り替えさせたことだ。味方の補給はまったくあてにせず、敵の補給を奪う方がまだ当てになると考え、『天皇陛下から賜った』帝国の武器を捨てて、鬼畜米英の武器を持たせるという発想は、信じられないほどの知恵と柔軟さではないか! 
人に頼らず自ら考え行動することが大事だ! - 風観羽 情報空間を羽のように舞い本質を観る

中央が凡庸では国は滅びる


危機的な状況になればなるほど、中央の参謀本部、将軍、政治家にこそこのような人物が出てきて全体を仕切って欲しいと誰しも考えるだろう。だが、先の太平洋戦争ではそうはならなかった。そして国家は壊滅的な打撃を受けて300万人を上回る日本人を死に追いやることになる。



優秀なリーダーはいた


だが、これは日本人生来の傾向というわけではない、というのが作家の司馬遼太郎氏が生涯をかけて取り組んだテーマとも言えるが、確かに、明治維新前後から日露戦争までの頃に現れ出る人物には大久保利通のような希有な政治家、日露戦争で参謀としてロシアのバルチック艦隊を壊滅させた秋山真之海軍中将、同じく日露戦争で陸軍を指揮して帝国陸軍を勝利に導いた名将児玉源太郎陸軍大将など、世界に誇れる政治家、戦略家が沢山いる。



『私とあなた』の『官僚思考』


どちらが本当の日本人なのか、というのはおそらく愚問なのだろう。何かのきっかけでどちらも引き出されうると考えるべきだろう。誰がそれを引き出すかと言えば、この舞台の観客、すなわち一般の日本人だ『私とあなた』、ということだ。そして、何がネガティブな日本のリーダー/恐るべき怨霊を呼び起こすかと言えば、キーワードは『官僚思考』である。震災の危機管理にあたる政府や東京電力原子力安全・保安院等の背景にある『官僚思考』はここで一々指摘せずともすでに誰もが気づいたと思うし、それは太平洋戦争で日本を壊滅させた軍事官僚と気持ちが悪いほど似ていることにもご賛同いただけると思う。だが、それを易々と許してきたのは、実は『私とあなた』にもすっかり浸透してしまった『官僚思考』なのではないか。


戦後の日本は高度に組織化され、ほとんどの人が『サラリーマン化』した。ほとんどの企業は何らかの企業グループに組み入れられ、下請けを統合し、株式の持ち合いで相互の関係を強化する。労働組合は企業内組合で労使は一体化する。政管財が固く絡みあい、反権力であるべきマスコミまで驚くほどお行儀がいい。この体制は、進むべき方向が決まっていれば、日本全体が火の玉となって突進することができる。余計なことは考えずに、判断はお上に任せて(思考停止して)自分に与えられた職責だけに全力を尽くす。だから、仮に誰かが東京電力の経営が何やらおかしいと気づいても、そんなことを口にしようものなら、自分の会社にもどこかで誰かがつながっていて迷惑がかかる。そんな自分とは関係ないことで騒ぐのはみっともない。大人ではない。『私とあなた』もそう考えていなかっただろうか。



浄化能力の機能停止?


今になって東京電力の首脳や原子力安全・保安院が何やら本格的におかしいと気づいても後の祭りだ。何せ丸投げしていたのだから、原子力に関わるどんな情報が出てきても、俄に判断できるわけがない。たただでさえ、今、原子力に反対していた人も原子力を推進したい人も人材と権威と手持ちの情報を総動員して味方を増やそうと躍起になっている。その結果、マスコミでもインターネット情報空間にも、もっともらしい、しかし怪しい情報が氾濫していて、相当に情報の取捨選択に優れ、注目すべき意見を述べていた人でさえ飲み込み、普段では考えられないような発言さえ飛び出して来る。良い意味でも非常に注目を集め始めていたソーシャル・メディアにおいても、『キュレーター』から判断能力を奪い、浄化能力が機能停止したかに見える。



流してしまうべき『官僚思考』


だが、今まで発言がタブー視されてきた政治的な分野に、これほど多くの人が大量の発言を始めていること自体、実は驚くべきことだ。まさに言論空間に津波が押し寄せていると言っていい。その津波は、デマも怪しい情報もふんだんに含んでいるが、組織の過剰な統制に萎縮し、個の発言を必要以上に恐れ、事なかれ思考の防波堤で守られていた(と思っていた)日本人を丸ごと飲み込んでいるように私には見える。そして、その津波で個々人に染み付いた『官僚思考』を洗い流すことができれば、大久保利通のような強力無比なリーダーシップも、秋山真之児玉源太郎のような世界に誇れる戦略性も、さらには坂本龍馬のような自由闊達な行動力でさえ、心の奥底にもとからちゃんと持っていたことを気づくことができるはずだ。このような要素も、『日本人の無意識に厳然として存在する心的態度や資質』の一つであることをもっと信じていい。この津波が来て尚、『官僚思考』の殻が流せないと感じているなら、あえて言う。脱ごう。脱いでしまおう。いつの間にか着せられたお仕着せの殻など、この機会に脱ぎ捨ててしまおう。裸一貫、エネルギーが満ちあふれてくるはずだ。



ソーシャル・メディアの『死』と『再生』


ブロガーの野間 恒毅氏は、311でソーシャル・メディアは死んだという。だが、それはおそらく再生のための『死』となるはずだ。日本のソーシャル・メディア元年はこの『死』を乗り越えたところから始まる。そして、それは新しい日本と日本人をつなぐ強力な武器になるに違いない。

911でソーシャルメディアが生まれ 311で死んだ | ガジェット通信

*1:

失敗の本質―日本軍の組織論的研究 (中公文庫)

失敗の本質―日本軍の組織論的研究 (中公文庫)

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